見出し画像

ドラムだけのスコア——『バードマン』アントニオ・サンチェスが映画音楽を変えた瞬間

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)を初めて観たとき、最初に違和感を覚えるのは映像ではなく音だった。リガン・トムソンが楽屋を歩き、廊下で誰かと口論し、舞台袖に滑り込む。その全シーンに、オーケストラもピアノもシンセも乗っていない。代わりに鳴っているのはドラムだ。スネアの連打、シンバルのざわめき、タムの転がり。それだけ。映画音楽というものがどれだけ「弦楽器とコードで観客を整理する装置」だったのかを、この一本は逆から証明している。

担当したのはアントニオ・サンチェス。メキシコシティ出身のジャズ・ドラマーで、ギタリストのパット・メセニーのグループに長年在籍してきた人物だ。映画音楽の主要作はこれが初めてに近い。イニャリトゥ監督は彼に楽譜を渡さなかった。シーンを観せて即興で叩いてもらい、そのテイクをそのまま使った。スタジオに大型オーケストラを呼んで指揮棒を振る、という従来の作曲家の風景がここにはない。

なぜドラムだったのか

リガンの頭の中で鳴っている音を素直に音にすると、たぶんあのドラムになる。彼の脳内には別人格の「バードマン」が居座っていて、舞台初日のプレッシャー、別れた妻や娘との関係、批評家への怒りが渋滞している。これをメロディに整えてしまうと嘘になる。心理は整理されていないからだ。

ドラムは音程を持たない打楽器だから、感情を「悲しい」「明るい」とラベリングしない。代わりに動悸の速さだけを伝える。リガンが追い詰められると刻みが細かくなり、立ち止まると消える。観客の心拍が画面の人物と勝手に同期していく。BPMで殴られている感覚に近い。これがイニャリトゥの選んだ非言語的な観客誘導だ。

即興という方法の意味

サンチェスのドラムは事前楽譜のないジャズの作法で録られている。映像に対して叩き、気に入ったテイクを採用する。これは一見、効率の悪いやり方に見えるけれど、本作の擬似ワンカット撮影との相性が異様にいい。連続した時間を切らずに撮るという撮影方針と、頭から終わりまで止まらずに叩くという録音方針が、構造的に同じ思想で動いている。映像が「切らない」のだから、音楽も「切らない」。

おもしろいのは、映画の途中で実物のドラマーが廊下の隅で叩いている姿が画面に映り込むシーンだ。本来は劇伴として「外側」にあるはずの音が、画面の「内側」にぬっと顔を出す。観客は一瞬、自分が観ている世界の枠組みを揺さぶられる。劇伴と劇内音楽の境界線をわざと崩しに来ている。これも演劇の「ライブ性」を映画に持ち込もうとする本作の戦略の一部だ。

アカデミー賞のすれ違い

本作の音楽はアカデミー作曲賞にノミネートされた。しかし後にアカデミーは資格を取り消した。理由はマーラーやラフマニノフなどクラシック曲が一定量使われているため、新規作曲としての要件を満たさないという判断だった。サンチェスは公にこの決定に抗議した。「私が即興で叩いたあの大量のドラムはどう数えるんだ」と。結局決定は覆らなかった。

これは細かい規約問題に見えて、実は映画音楽の定義そのものへの問いだ。スコアとは譜面なのか、それとも音響体験なのか。即興の打楽器演奏は「作曲」なのか「演奏」なのか。アカデミーの規則は明らかに前者寄りで、20世紀的な「作曲家=紙に音符を書く人」というモデルを前提にしている。本作はそのモデルが取りこぼす領域に踏み込んでしまい、制度の側が追いつけなかった。腹立たしい話だが、本作がやろうとしたことの先鋭さを逆に証明している。

ジャズ・スコアの系譜のなかで

ジャズが映画音楽の前線に出てきた瞬間は歴史上いくつかある。マイルス・デイヴィスが『死刑台のエレベーター』(1958)の映像を見ながらスタジオで吹いた即興のミュートトランペット。あれもサンチェスと同じ「映像を見て即興で重ねる」方法だった。半世紀後に同じ方法論をドラムだけでやり直したのが本作だと考えると、系譜が一本につながる。

ただ、マイルスのときは「ジャズ=洒落た夜の音楽」というイメージを映画に持ち込む役割が大きかった。本作のドラムにそういう装飾性はない。むしろ無調で攻撃的で、観客を居心地悪くするためだけに鳴っている。同じ「即興ジャズ」というラベルでも、機能はまったく違う。サンチェスのドラムは音楽というよりもう一人の登場人物に近く、リガンの内側を別人格として可視化している。

賛否のあるあの音

このスコアを苦手だと言う人の気持ちもよく分かる。延々鳴り続けるシンバルは神経に障るし、メロディがないので帰り道で口ずさめない。映画館を出た瞬間にすべて消える音楽だ。だが、消えてしまうことこそが本作の音楽の正しい挙動だと思う。リガンの精神状態に貼り付くために存在しているのだから、彼が画面から消えれば音楽も消えていい。鑑賞後にサントラを買って繰り返し聴くタイプのスコアではない。一回きりの、その上映時間だけのための音楽。それを2時間きっちりやり遂げたサンチェスの度胸はやはり見直されるべきだ。

関連書籍

『至宝のジャズ・ドラムを聴け! 問答無用の名演ディスク・ガイド200』(小宮勝昭) — ジャズ史に残るドラマー200枚のディスクを徹底解説した一冊。アントニオ・サンチェスが即興で叩いたあの音がジャズ・ドラムの伝統のどこに位置するのかを、名演の系譜を辿りながら確かめるのに向く。

『「俳優」の肩ごしに (文春文庫 や 30-4)』(山田太一) — 俳優の身体と演出家の関係を書いた随筆集。本作の即興的なドラムが、舞台俳優の即興的な台詞回しと地続きであることに気づかせてくれる。

『[図説]映画音楽の教科書』(周防義和) — 名作映画のシーンごとに「なぜこの音楽がここに鳴るのか」を分析した一冊。アントニオ・サンチェスが選んだ即興ドラムが映画音楽の文法をどう逸脱しているかを、正攻法の映画音楽論と比較しながら考えるのに向いている。

(一部のリンクにはPRを含みます)

いいなと思ったら応援しよう!