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悪についての論考その1

(2022年10月に書いたまま公開せずに置いていたものになります✨)

部屋を片付けて掃除するー断捨離の作業の中、
 
昔読んだ(1991年の日付を残しているのから30年以上も前になる...)シュタイナーのマニ教と悪の関係についての論考を改めて読んで、今まさに直面していることにインスピレーションを得ました✨
 
最近、ずっと「悪」の存在について考えていたので...
 
いや最近だけじゃないな〜物心ついた時からテーマになっていることは幾つかあるけど、「悪」についてはその一つで、側から見て私がどこか悶々としている様子だったら、たいていその辺りのテーマが身体を通るエネルギーの通り道を探しながらインスピレーションとなる思考を探しているのかもしれないです。
 
ずっと探していたのだけど、中古本にも見つからなくて、コピーしていたファイルが今日ようやく見つかった...
 
31年ぶりに読んで、21歳の探究する私に出会った。そして、赤線を引いた同じ文章が、今も同様にインスピレーションとして響く✨

31年のこの人生の体験が、よりその文脈に具体的な意味を与えて深く理解していることにも気づいた。

「通常マニ教は、その悪に対する見解によって、西洋キリスト教
と区別されている。カトリックは、悪はもともと神的なものが転落したもの、もともと神の善霊が転落したものと考えている。それに対してマニ教は、悪は善と同じく永遠のものであり、肉体の復活はなく、悪がなくなることはないと教えている...」と説明し、

「重要なのは、光の国は戦いによってではなく、柔和、寛大、慈悲によって闇の国を克服するということである。悪に対して戦うことではなく、悪と混ざることによって、悪を救済するのである。光の一部が悪のなかに入り込むことによって、悪はみずからを克服するのである。」とマニ教の霊統のインスピレーションを表現する。このインスピレーションによってマニ教の霊統は第6根源人種を準備するのだ。

「訳注:第6根源人種は、(現代人である)第5根源人種が「万人に対する万人の戦い」によって幕を閉じた後にはじまる時代を生きる人間。この時代には、心のなかにあるものが外見に現れるようになり、人間は全人類と悪人類に分かれ、悪を善に戻すことが主要な課題になる。」

「第6根源人種は、寛容さによって可能なかぎり悪をふたたび進化の流れのなかに組み入れる課題を有している。悪魔的な姿で世にあらわれる悪に反抗しない霊統が出現する。寡婦の子の後継者たちのなかに、悪を戦いによってではなく、寛容さによって克服し、ふたたび進化のなかに引き入れる意識が固まる。その準備をするのがマニ教の霊統の課題である。」

そして、
「この霊統は、平和、愛、悪に対する不戦を大切にする共同体の形成をとおして、みずからを表現しなければならない」。

壮大なスケールだが、このインスピレーションを、現代の今に適用するとしたらどうなるだろう...
  
1)「悪」のラベルを世論の主流派から貼られた人物を、そのラベルの影響から離れて理解しようとすることはできるだろうか? 
 
2)シュタイナーが示唆するように「悪とは、時期はずれの善にほかならない」として、悪と善を識別する力を、このインスピレーションに沿ってどのように内に育てることができるだろうか?

3)そして、「善と悪との共同をどのように考えるべきであろうか?」
 
マニの霊統がこの問いかけをしていることが、とても大きなインスピレーションとして捉え、嬉しく感じた。何故なら、コロナ禍を乗り越えて行く中、人類は情報開示(暴露)の波に遭遇すると私は予想しており、まさにこの問いを悶々と考えてあぐねていたからである。


次の論考では、
私自身が大切にしているノンデュアリティー(非二元)の気づきと、悪の存在がどのように折り合いが付くのかの考察をしたいと思う。

詩人ルーミーの言葉とされる「正しい行いや誤った行いといった観念の向こうにフィールドがある。あなたとそこで会おう (Beyond ideas of right doing and wrong doing, there is a feild I’ll meet you there.)」という表現を、私も素敵だと感じるからである。


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