悪気がないとわかっているのに——言葉を負に受け取ってしまう自分との付き合い方
悪気がないのはわかっている。
それなのに、なぜか胸の奥に小さく引っかかってしまう言葉たちがある。
言われた本人はきっと、数分後にはもう忘れている。
でもこちらは、その日の帰り道でも、お風呂の中でも、布団に入ってからも、ふと思い出してしまう。
「あの言い方、どういう意味だったんだろう」と。
気にしすぎだと、自分でもわかっている。
わかっているのに、止められない。
ある日の、電話の話
仕事に少しずつ慣れて、職場での会話も増えてきたころのこと。
私はある先輩に、こう言われました。
「あなたは業務内容を理由に、電話を取らなくていいタイミングがあってうらやましい」
たぶん、ただの事実の確認だったのだと思います。
私の担当している仕事は、電話対応が必須ではなかった。
それだけの話。
でも私には、なんとなく「あなたは楽でいいね」と言われたように聞こえてしまった。
だから次の日から、手が空いているときは積極的に電話を取るようにしました。
少しでも、チームの役に立ちたかったから。
そうしたら今度は、こう言われたのです。
「空気を読んで。仕事が進んでないじゃん。しっかりして」
——え、と思いました。
取らなくていいと言われ、取れば取ったで何か言われる。
私の行動が極端だったのか?考えて行動していないから?
そんな自分を責めるような考え ばかりが頭に浮かんでは消えていく。
どちらに転んでも、正解じゃない。
あのとき私の頭の中は、本当に宙ぶらりんでした。私はいったい、どうすればよかったんだろう。
何時間も、そのことばかり考えていました。
同じ一言でも、刺さる日と流せる日がある
少し時間がたって、落ち着いてから気づいたことがあります。
あの先輩の言葉は、もしかしたら、私が思っていたほどの意味を持っていなかったのかもしれない、ということ。
不思議なもので、同じような一言でも、自分に余裕がある日はあっさり受け流せたりします。「そうですねー」と笑って返せる。
けれど、疲れていたり、自分に自信がなかったりする日には、まったく同じ言葉がぐさっと刺さる。
つまり、言葉の意味は、言葉そのものだけで決まっているわけではないのかもしれません。
受け取るこちら側のコンディションが、その言葉に色をつけている。
同じ「空気を読んで」でも、元気な日なら「あ、はーい」で終わる。
すり減っている日なら、自分を全否定されたように感じてしまう。
言葉は、鏡みたいなものなのかもしれません。
相手にとっても、自分にとっても。
そのとき自分がどんな状態かを、こちらに映し返してくる。
負に受け取ってしまうとき、それは相手が悪いのでも、自分の性格が悪いのでもない。
ただ「今、ちょっと疲れているよ」というサインなのだと思うのです。
そして、自分も相手を無意識に傷つけるような言葉を発していないか。
そういった振り返りを行うチャンスではないだろうか。
気にしてしまう自分を、責めないで
たぶん、ここまで書いていても、明日また引っかかる言葉に出会えば、やっぱり気にしてしまうのだと思います。
「気にしないようにしよう」と思えば思うほど、その言葉は頭の中で大きくなっていく。
だからもう、気にしてしまう自分を、無理に変えようとしなくていいのかもしれません。
ただ、ひとつ気づいたことがあります。
夜になって思い出すあの言葉は、たいてい、言われたときよりずっと大きくなっている、ということ。
先輩が口にしたのは、ほんの一秒の「空気を読んで」だったはずなのに、布団の中で再生するころには、「あなたは気がきかない」「だから一緒に働きづらい」と、言われてもいないことまで尾ひれがついている。
そう、私たちを本当に眠れなくさせているのは、相手のあの一言ではなくて、それを何度も再生しながら、自分でつけ足してしまう「続きのセリフ」のほうなのかもしれません。
相手は一行しか言っていないのに、こちらは勝手に、その先の物語まで書いてしまう。
それがわかると、少しだけ力の入れどころが変わります。
相手の言葉を変えることはできないけれど、自分がそこに何を書き足しているかには、気づくことができる。
「今、私、まだ言われてもいないことまで想像してるな」と。
気づけたら、そこで物語をいったん止めておく。
判断するのは、明日の、もう少し元気な自分にまかせてしまう。
それで十分間に合います。
人の言葉が刺さってしまうのは、自分が弱いわけではないと思う。
相手の気持ちを想像できる人だから、言葉のうしろにあるものまで受け取ってしまう。
その想像力は、本当はとても豊かなものだろう。
それだけ人の心を考え、寄り添える力にもなる。
ただ、その豊かさが、ときどき自分を責めるほうにばかり働いてしまう。
だから、目指したいのは「気にしない自分」になることではなくて、たった一言に、その日一日や、自分という人間まるごとを書きかえさせない、ということ。
言葉は受け取る。
傷ついた気持ちも、なかったことにしない。でも、その隣で、ちゃんと自分のことも抱えていてあげる。
両方を同時に持っていられたら、きっとそれでいいのだと思います。
