小説『四十九日目の遊び』著者 長谷川誠
祖母の葬式で、私は一度も泣かなかった。
親戚たちが、それを咎めるような目で見てきたのを覚えている。喪主である母でさえ、私の乾いた目を見て、少し困ったように微笑んだ。
仕方がない、と思っていたのだろう。
私と祖母は、特別仲が良かったわけではない。盆と正月に顔を合わせ、当たり障りのない会話をして、また半年ほど会わない。そんな関係だった。
だから、初七日の夜に祖母が現れたとき、私は驚くより先に、場違いな感想を抱いた。
——律儀な人だ。
「なんで泣かんかったの、あんた」
仏壇の前、線香の煙の向こうに、祖母は生前と変わらない姿で座っていた。
割烹着ではなく、葬式の日、棺に入れた紺の着物を着ていた。声も昔のままだった。少し嗄れていて、語尾だけ妙に伸びる。
私はしばらく祖母を見つめた。
「……見えるんだ」
祖母は答えなかった。
ただ、皺だらけの顔をくしゃりとさせて笑った。
「四十九日まで、こっちにおれるんやと」
「誰に聞いたの」
「知らん。死んだら分かる」
ずいぶん雑な説明だった。
「ただな、誰かと一緒におらんと、成仏の道が見えんらしい。……あんた、暇か」
「暇じゃないけど」
「じゃあ、遊んでくれ」
その頼み方があまりに唐突で、あまりに子供じみていて、私は思わず笑ってしまった。
死んだ人間に「遊んでくれ」と頼まれる状況が、現実感を持って迫ってきたのは、その時が初めてだったかもしれない。
「何して遊ぶの」
「なんでもええ。かるたでも、折り紙でも。あんた、昔ばあちゃんと遊ぶん好きやったやろ」
「そうだっけ」
「薄情な子やなあ」
祖母は笑った。
その夜、私たちは仏壇の前でかるたをした。
祖母は死んでも負けず嫌いだった。
私が札を取るたび、「今のはばあちゃんが先やった」と文句を言った。
「死人がズルするなよ」
そう言うと、祖母は声を上げて笑った。
こんなふうに祖母と笑った記憶が、私にはなかった。
それから毎晩、祖母は現れた。
折り紙をした。
庭の草をむしった。
縁側に並んで座り、近所の野良猫に勝手な名前をつけた。
祖母は生前よりずっと饒舌だった。
「死んだらな、明日の心配せんでええから楽や」
そう言って笑った。
私は少しずつ、夜が来るのを楽しみにするようになった。
もっと早く祖母と話しておけばよかった。
そんなことまで思うようになった。
異変を感じたのは、二週目に入った頃だった。
庭で草をむしっていると、祖母が突然言った。
「あの子は昔から、要領がよかったからなあ」
「誰?」
「あんたのお母さん」
祖母は雑草を一本抜いた。
「あの子は昔から、人に信じてもらうんが上手かった」
「どういう意味?」
祖母の手が止まった。
ほんの一瞬だった。
「……なんでもない」
「気になるんだけど」
祖母は私を見た。
いつもの笑顔だった。
「あんたの親がな、若い頃、ある人を——」
そこで言葉を切った。
「ある人を?」
祖母は立ち上がり、膝についた土を払った。
「今日はここまでにしとこか」
「なんで?」
「一日で全部聞いたら、つまらんやろ」
祖母は笑った。
その夜、私はなかなか眠れなかった。
ある人を。
その続きを、頭の中で何度も作っては消した。
四十九日は、まだ四十二日残っていた。
それから祖母は、あの日の続きをなかなか話そうとしなかった。
その代わり、妙な断片だけを落としていくようになった。
かるたをしている途中、
「あの子は昔から気の強い子でな」
と言った。
縁側で茶を飲む真似をしながら、
「あんたのお父さんも、一度だけ家を出ようとしたことがある」
と言った。
私が続きを聞くと、
「昔の話や」
と笑って終わらせた。
まるで少しずつしか渡してはいけない毒を、慎重に量って私に飲ませているようだった。
それでも、祖母との時間そのものは楽しかった。
ある夜、二人で折り鶴を作った。
祖母の指は透けているくせに、なぜか紙には触れられた。
「下手だね」
私が言うと、
「昔は上手かったんや」
祖母はむっとした。
出来上がった鶴は、左右の羽の大きさが違っていた。
私は笑った。
祖母も笑った。
「これ、取っとき」
「なんで?」
「ばあちゃんがおらんようになっても、残るやろ」
その言葉だけは、少し寂しかった。
私は折り鶴を机の引き出しにしまった。
三週目の夜だった。
祖母が突然、昔話を始めた。
「あんたのお母さんが、まだ子供やった頃な。近所に仲のええ子がおったんよ」
「女の子?」
「そう。姉妹みたいにいつも一緒やった」
祖母は庭を見ていた。
「せやのに、ある年の夏、その子は死んだ」
「病気?」
「川や」
祖母はそれだけ言った。
「溺れたの?」
「そういうことになっとる」
その言い方が引っかかった。
「事故じゃなかったの?」
祖母は答えなかった。
「その日な、その子とあんたのお母さん、二人で川に行っとったんよ」
「それで?」
「帰ってきたんは、あんたのお母さんだけやった」
胸の奥がざわついた。
「母さんは何て?」
「覚えてない、言うとった」
「何を?」
「その子が川に落ちたところを」
私は祖母を見た。
「母さんが何かしたってこと?」
祖母はゆっくり私を見返した。
そして笑った。
「誰がそんなこと言うた?」
「婆ちゃんだろ」
「ばあちゃんは、何も言うてへんよ」
確かにそうだった。
祖母は事実らしきものを並べただけだった。
私が勝手に、その間をつないだのだ。
「まあ、昔の話や」
祖母は立ち上がった。
「今日はここまで」
その夜から、私は母の顔をまともに見られなくなった。
私は調べ始めた。
祖母には言わなかった。
実家の押し入れから古いアルバムを引っ張り出した。
母の少女時代の写真。
運動会。
遠足。
海水浴。
その中に、一枚だけ見知らぬ少女と母が並んでいる写真があった。
二人とも水着姿で、肩を組んで笑っている。
写真の裏には、幼い字で、
「ミサキちゃんと」
と書かれていた。
その名前を近所の老人に出してみた。
老人は少し黙った。
「ああ……おったなあ」
「どんな子でした?」
「よう笑う子やった」
「川で亡くなったって」
老人の表情が変わった。
「昔のことや」
それ以上話したくないらしかった。
帰ろうとすると、老人が背中越しに言った。
「でも、あの日な」
振り返った。
「川に子供だけがおったんやったかなあ」
「どういう意味ですか?」
「いや……」
老人は首を傾げた。
「誰か大人がおったような気もするんやけどな」
「誰です?」
「覚えとらん」
老人はそれきり口を閉ざした。
その夜、祖母はいつも通り現れた。
「今日は何して遊ぶ?」
私は祖母の顔をじっと見た。
「どうしたん」
「なんでもない」
「変な子やな」
祖母は笑った。
以前なら安心した笑顔だった。
今は違った。
私はその顔の皺の一つ一つに、何かが隠されているような気がした。
数日後、母の古い荷物から、小さな日記帳を見つけた。
何ページか破り取られていた。
残ったページにも、鉛筆で強く消した跡がある。
光に透かすと、一部分だけ読めた。
——あの日のことを、絶対に誰にも言うなと言った。
その前の行は破れていた。
誰が言ったのか分からない。
父かもしれない。
近所の誰かかもしれない。
祖母かもしれない。
私は日記帳を閉じた。
その日の夜、祖母は何も知らない顔で言った。
「かるたするか?」
私は初七日の夜と同じ場所に座った。
札を並べる祖母の横顔を見ながら、不意に思った。
この人は、本当に成仏するために私のところへ来たのだろうか。
四十九日目の夜が来た。
「最後やな」
祖母は寂しそうには見えなかった。
むしろ、妙に機嫌がよかった。
「最後に何する?」
「影絵」
「子供みたい」
「あんたが小さい頃、好きやったんや」
部屋の明かりを落とした。
障子に祖母の手の影が映った。
狐。
鳥。
犬。
祖母は次々に形を変えた。
「覚えとる?」
「少しだけ」
「ばあちゃんは覚えとるよ」
私は手を狐の形にした。
二匹の狐が障子の上で向き合った。
祖母が言った。
「あんた、色々調べとったみたいやな」
手が止まった。
祖母の狐だけが動いている。
「知ってたの?」
「ミサキちゃんのこと、聞いて回っとったやろ」
祖母は笑った。
「怒りゃせんよ。もう時間もないしな」
私は聞いた。
「本当は、誰が殺したの」
狐の影が止まった。
長い沈黙だった。
やがて祖母の指がほどけ、狐が人間の手に戻った。
「あんたのお母さんは、確かにあの日、川におった」
「うん」
「ミサキちゃんもおった」
「うん」
「せやけどな」
祖母がこちらを向いた。
「あの子を先に川に呼び出したんは、誰やったやろなあ」
背中が冷たくなった。
「婆ちゃん?」
祖母は答えなかった。
「婆ちゃんが呼び出したの?」
「さあなあ」
祖母は笑った。
「もう昔のことは忘れてしもうた」
「嘘だ」
「死人は嘘つかんよ」
「じゃあ本当のこと言って」
祖母はしばらく私を見つめた。
それから、初七日の夜と同じように、皺だらけの顔をくしゃりとさせた。
「あんたと遊ぶん、楽しかったわ」
障子の向こうが白み始めていた。
「待って」
祖母の輪郭が薄くなった。
「なんで私だったの」
その瞬間、祖母の笑顔が止まった。
初めてだった。
四十九日間、どんな質問にも笑っていた祖母が、その質問にだけ答えなかった。
やがて、また笑った。
「それ考えるんも、遊びのうちや」
祖母は消えた。
朝になった。
祖母はいなかった。
四十九日間、私は本当に楽しかったのだと思う。
かるたも。
草むしりも。
折り紙も。
影絵も。
もっと早く祖母と話しておけばよかったと思ったことさえ、嘘ではない。
机の引き出しを開けた。
祖母が折った、不格好な鶴が残っていた。
左右で羽の大きさが違う。
それを見た瞬間、少しだけ泣いた。
葬式では一滴も出なかった涙だった。
けれど、泣きながら私は考えていた。
ミサキを死なせたのは、本当に母だったのか。
川辺にいたという「もう一人の大人」は誰だったのか。
祖母だったのか。
そして祖母は、なぜ四十九日間かけて、その疑いを私に植え付けたのか。
数日後、実家へ行った。
母と夕食を食べながら、私は何気ない調子で尋ねた。
「ミサキちゃんって覚えてる?」
母の箸が止まった。
ほんの一瞬だった。
「……どこでその名前、聞いたん」
これまで聞いたことのない声だった。
「昔のアルバム」
私は嘘をついた。
母は私を見た。
何かを言おうとして、口を開いた。
そして、やめた。
その仕草を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。
祖母と同じだった。
「どうしたの?」
「なんでもない」
母は笑った。
その笑い方まで、祖母によく似ていた。
その夜、自室に戻って、机の上に折り鶴を置いた。
祖母と過ごした四十九日間を思い出した。
私は最後まで、一つだけ聞かなかった。
数えきれないほど親戚がいる中で、なぜ、ろくに仲良くもなかった私だったのか。
成仏するために、本当に誰か一人が必要だったのか。
それとも——
祖母には、私でなければならない理由があったのか。
答えは出なかった。
ただ、あの日の祖母の笑みだけが、今も瞼の裏に焼き付いている。
——あんたと遊ぶん、楽しかったわ。
机の上の折り鶴を見た。
左右で大きさの違う羽の、その片方だけが、
風もないのに、ゆっくりと持ち上がった。(終)
-本作は長谷川誠の短編小説ですー
