ワタシはワタシを書き続ける
警鐘が鳴っている。
ワタシは、過去のホームページもそうだったし、noteもそうするつもりなのだけど、ありのままの自分を曝け出すことを最重要視している。
ワタシが持つそのままの価値観で、
沸々と浮かんでくるそのままの言葉で、
記事を書くのだ。
それこそが混じり気の無いワタシであるし、ワタシはそんなワタシをこそ、ここで見ていたいのだ。
飾らない言葉は、時に誰かの胸に深く刺さる。
それは良くも悪くも。
心を動かすこともあるし、傷つけることもある。
ワタシはそんな、良いものも悪いものも含めて言葉を発信したいのだ。
飾った言葉、選んだ言葉、配慮した言葉は途端に陳腐化し、どこかの誰かが既に書いたようなものが出来上がる。
それなら、もはやワタシでなくても良い。
しかし、ところで。
noteには千差万別、本当に多くの人が居ると感じる今日この頃。
当たり前ではあるが、インターネット上で出会う人の数は現実のそれよりも圧倒的に多い。
故に当然、出会う価値観もそれだけ多種多様となる。
しかもAIによるアルゴリズムで、ワタシに合いそうな価値観を持った人々がどんどんと紹介される。
そして、これが実際、合うのだ。
あぁ、良い思考をされている。
あぁ、苦労してこられたんだな。
あぁ、美しい言葉だ。
そんな風に思っていると、気づけばコメントを送り、フォローしている。
さらに、noteには様々な企画が転がっている。
ショートショート企画を始め、ワタシが書く衝動に駆られる「火種」が実に沢山撒かれている。
そしてその企画に乗っかっている他の人々の記事を読むと、これまた面白く、気づけばコメントを送り、フォローしているのだ。
そうこうしている内に、
note内で他者との繋がりを感じ始めたワタシが居る。
その上、それを喜ばしい気持ちで受け取っているワタシが居る。
ここで警鐘が鳴る。
ワタシは、自分がこの次に陥る状態を知っている。
それは何かを書く時に、
「この書き方だと〇〇さんが傷ついてしまうかもしれない」
「この内容は△△さんの価値観を真っ向から否定しちゃうな」
と慮り、言葉を選び始めてしまうのだ。
そして冒頭に書いた通り、いつか
「もうワタシのnoteは、ワタシが書いているけれどワタシではない。ならば、ワタシが書く必要は無い」
と気づき、消えていくのである。
ただ、今のワタシはそれを嫌だと思っている。少なくとも、今は。
だからワタシは揺らがないよう心がけなければならない。
これからさらに多くの喜ばしい繋がりが出来ようと、それはそれとして、ワタシはワタシで在り続ける。
たとえ人を傷つけることになっても。
たとえ喜ばしいその繋がりが断ち切られてしまっても。
ワタシはワタシの言葉で、価値観で、ここに書き続ける。
そして、いつかワタシの言葉だけが救える誰かに、ワタシを届けるのだ。
それがワタシという存在の意義だと捉えている。
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