ふたりなら。。。
標高が上がるにつれて、風は冷たさを増していた。
オサムは、ペダルを踏み込むたびに太ももに走る心地よい疲労を感じながら、曲がりくねった山道を黙々と登っていた。ロードバイクの細いタイヤが、アスファルトの凹凸をダイレクトに伝えてくる。
「もうすぐ峠か……」
息を整えながら、次のカーブを曲がった時だった。
道の脇に、一台のロードバイクが停まっているのが見えた。その横に、しゃがみこんでホイールを睨みつけている小柄な人影がある。
トラブルだろうか。
この辺りは、週末でも車通りが少ない。放っておくのは気が引けた。
オサムは減速し、その人影の横でクリートを外して足を着いた。
「大丈夫ですか?」
「えっ、あっ、はい……」
顔を上げたのは、ショートカットの髪が汗で額に張り付いた、自分と同年代くらいの女性だった。ウェアは泥で汚れ、顔には焦りと疲労の色が濃い。
「パンクですか?」
「……はい。スペアのチューブも、さっき使っちゃって……」
彼女――ツカサは、力なく視線を落とした。
見ると、前輪のタイヤがぺしゃんこになっている。
「よかったら、僕の予備を使いますよ」
オサムはサドルバッグから新品のチューブを取り出した。
「えっ、そんな、悪いです……」
「いいんですよ。困った時はお互い様ですから」
オサムは手早くツカサのバイクからホイールを外し、パンク修理を始めた。
慣れた手つきでチューブを交換し、CO2ボンベで空気を充填する。その間、ツカサは申し訳なさそうに、でも真剣な眼差しで作業を見つめていた。
「ありがとうございます……。本当に助かりました」
修理を終え、バイクを元の状態に戻すと、ツカサは深々と頭を下げた。
「いえいえ。それより、頂上まで行くんですよね?」
「はい、そのつもりでしたけど……この足じゃ、ちょっと無理かも」
ツカサは、泥だらけの自分の脚をさすりながら苦笑いした。度重なるトラブルで、心も体も限界に近いようだ。
「……もしよかったら、一緒に走りませんか?」
オサムの提案に、ツカサは少し驚いたように目を見開いた。
「僕が前を引きます。風よけになりますから、少しは楽なはずです。ペースも合わせますし、無理そうならいつでも言ってください」
「でも……」
「一人だと辛い上りも、二人なら意外と頑張れるものですよ」
オサムの言葉に、ツカサは少し迷った後、小さく頷いた。
「……よろしくお願いします」
再び走り出した二人は、並んで山道を登り始めた。
斜度はきつくなり、向かい風はますます強くなる。ビュービューと音を立てて吹き付ける風が、二人の行く手を阻もうとする。
「大丈夫? きつくない?」
オサムは時折後ろを振り返り、ツカサの様子を気遣った。
「はい……! なんとか……!」
ツカサは息を切らしながらも、懸命にペダルを回し、オサムの後ろについてくる。その瞳には、先ほどまでの不安は消え、代わりに強い光が宿っていた。
オサムは、彼女の走りに引っ張られるように、自分もさらにペダルに力を込めた。
一人の時は、風はただの障害物だった。だが今は違う。
二人で風を切って走る感覚が、不思議な高揚感を与えてくれる。
「もう少しだ! がんばれ!」
「はいっ!」
最後のカーブを抜けると、視界が一気に開けた。
頂上の展望台。
眼下には、雲海が広がっていた。
二人はバイクを停め、肩で息をしながら絶景に見入った。
冷たい風が、火照った体に心地よい。
「すごい……」
ツカサが感動したように呟いた。
「来てよかっただろう?」
オサムが笑いかけると、ツカサも最高の笑顔で返した。
「はい! オサムさんのおかげです!」
二人の間を、頂上の風が吹き抜けていく。
それは、先ほどまでの冷たく厳しい風ではなく、二人を祝福するかのような、優しく温かい風に感じられた。
二人のロードバイクの物語は、ここから始まる。
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