イジメ本もようやく終わりに
「いじめの構造(講談社新書)」
イジメ研究者が書いた本を読み終えた。
リアルな例や加害者のやり口を見るたびに、読み手の心臓を抉り、狭心症のように胸が痛くなる。
この本も書かれてしばらく経つようだ。
作者の目指すところは、個人の自由が全体主義的な加害行為を消す、とある。
あと、個人が自由に選択できる社会的技能システムなど。
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だが、他の社会評論家などは、自由を与えたから現代の弱肉強食や新自由主義、能力主義(知能格差)が加速した、というのがある。
ネオリベラルや新自由主義の負の側面により、できるものはできるし、できないものは救われない、というハッキリした現実がある、という説明だ。
私が簡単に思うには…
①競争(イジメ)の結果、自由を手に入れた
②能力があるから自由を手に入れた
などに、落ち着くのではないか?と思う。
それに、あたかも次の時代はネオリベラルだ!と先読みし、それに皆が合わせて競争(イジメを)した結果が、いまではないか。
現代、自由とは何なのか?を問うている、折り返し地点に来ているのではないか?と思う(別に考えない人は考えないが)。
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また、読んでいて狭心症になりそうな部分は、
①加害者が必ずしも悪いと思っておらず良いことと思っている
②また損得・合理的行動の結果がイジメである
と、書かれたとこだ。
これは、どうだろう?
大人の方が口にはしないが、大人の方が実は分かっているのではないか?
ただ、仕事さえしていれば良いものではなく、必ず利害関係は絡むし、自分を優先させれば何かを犠牲にする羽目になる。
この縮図が学校のイジメ問題といえるのではないか。
そう考えると、大人世界がよく心臓発作や狭心症を起こさないでやれるのが、不思議に思えてくる。
