わたしの創作の原点
原点という名の悪魔
物心ついた頃から、わたしは絵を描いていました。
身体が弱く、体重は標準のマイナス20%。喘息持ちで、友達のように外を走り回ることもできませんでした。
必然的に家の中で過ごす時間が増え、気がつけば紙と鉛筆が、わたしの一番の遊び相手になっていました。
6歳の頃には、すでに水彩で風景や昆虫、花などを描いていました。
まだファミコンすら登場していない時代。屋内でできる遊びは限られており、わたしは自然と絵に没頭していったのです。
小学校に入ると友達ができ、お互いの家を行き来するようになりました。
そこで出会ったのが「週刊少年ジャンプ」でした。
初めて目にする漫画の世界に、胸が高鳴りました。
母に頼み込み、小遣いを前借りし、200円を握りしめて本屋へ向かう。
当時、表紙を飾っていたのは「ウイングマン」。
美少女が描かれたその表紙をレジへ持っていくのが、ひどく恥ずかしかったことを今でも覚えています。
絵が好きだったわたしは、漫画の模写に夢中になりました。
ほどなくして「聖闘士星矢」が連載を開始し、強烈な衝撃を受けます。
それが、わたしの“絵の原点”になりました。
しかし、“創作の原点”は別の場所にあります。
中学生の頃、母が「デビルマン」の単行本を買ってくれたのです。
夏休みになるとテレビで放送される「デビルマン」のアニメにかじりついていたわたしを見て、思い立ったのでしょう。
確か、分厚い上中下巻のセットでした。
けれど、その内容はアニメとはまったくの別物でした。
よくあれが少年マガジンで連載できていたと思うほど、性的・暴力的な表現は凄まじく、残酷で救いのない世界観が広がっていました。
目を背けたくなるほどの物語。
それなのに、わたしは何度も何度も読み返しました。
トラウマになるほどの恐ろしさ。
けれど、不思議とその世界は、わたしの中に静かに浸透していったのです。
人間の中に潜む醜さ。
悪魔は外にいるのではなく、人の内側にいるという発想。
それが、わたしが“人の内面を描きたい”と思うようになった原点なのだと思います。
その後、人生第二のバイブルに出会います。
「ベルセルク」です。
残念ながら作者の三浦建太郎氏は逝去され、完全な形での完結を見ることは叶わなくなりました。
この作品もまた、人間の内面を容赦なく描き出す物語でした。
ネタバレは避けますが、わたしは「蝕」までが真骨頂だと感じています。
あの地点までが、作者が真に表現したかった内なる空想世界なのではないか、と。
さて、少し話が逸れました。
先日、ふと「デビルマン」のことを思い出し、調べてみたところ、Netflixで「デビルマン crybaby」が配信されていることを知りました。
現代的に再解釈された作品です。
設定は異なりますが、あの世界観は確かに息づいていました。
そして、無性に原作を読み返したくなったのです。
探してみましたが、当時の単行本は見つからず、買い直すことにしました。
現在刊行されているのは、
・完全版(永井豪自らが加筆したバージョン)
・ザ・ファースト(オリジナルそのまま、連載時の扉絵やカラー原稿を収録)
の二種類。
完全版にも惹かれましたが、わたしは自分の原点となった“オリジナル”を、今の感性で読み直したいと思い、「ザ・ファースト」を選びました。
雑誌と同じB5サイズ。
当時の空気を、そのままの手触りで味わうことができます。
今読むと、確かに絵の古さはあります。
けれど、漫画は絵だけではない。
ストーリー、世界観、概念、そして人間心理。
漫画にはさまざまな栄養素が詰まっています。
わたしはそれらを吸収しながら、今の自分を形づくってきました。
インプットが足りなければ、アウトプットは生まれない。
そして、偉大なアウトプットは、圧倒的なインプットからしか生まれない。
だからこそ、もう一度。
あの悪魔を、自分の中に取り込もうと思います。
