能登半島地震で、私の会社は一度死んだ。売上ゼロ、在庫は瓦礫。絶望の淵から這い上がった貿易商の全記録。
序章:日常が終わる時、音はしない
突然ですが、皆さんは、日常が終わる「音」を聞いたことがありますか?
多くの人はきっと、ゴジラが街を破壊するような轟音や、隕石が降り注ぐ衝撃音、あるいは鳴り響くサイレンの音なんかを想像するかもしれません。私も、そうでした。あの日、2024年の元旦を迎えるまでは。
結論から言うと、日常が終わる時、派手な音なんてしやしないんです。
それは、今まで当たり前に聞こえていた音が、ふっと消える「静寂」だったりします。あるいは、テレビののどかな正月番組の音声と、すぐ隣にいる家族との間に流れる「気まずい沈黙」だったりもする。そして何より、自分の心臓の音が、やけに大きく頭蓋骨に響く、あの不快な低音だったりするのです。
これは、そんな「音」から始まった、私の、そして私たちの物語です。
崩壊前のプレリュード
2024年1月1日。
その日、私は妻と共に実家へ帰省していました。
富山県の港町、岩瀬。私の故郷です。やや曇り空、冬の富山らしい天気。それでいて元旦特有の、凛として、それでいてどこか気の抜けた空気が、街全体を包んでいました。
実家では、朝から母の甲斐甲斐しい立ち回りと、久しぶりに顔を合わせた家族の賑やかな声が響いていました。
「お兄ちゃん、その黒豆取りすぎ!」
たまたま帰省のタイミングが重なった妹が、呆れたように私をとがめる。
「いいじゃないか、正月くらい」
私がそう返すと、妻が隣でくすくす笑っている。
食卓には、母が腕によりをかけて作ったおせち料理が並び、煮豆の煮しめる甘い香りと、お雑煮の出汁の匂いが混じり合って、部屋を満たしていました。
その傍らで、祖母が「あら、今日はなんのご馳走かね」と嬉しそうに目を細めている。少し痴呆が進んでいる祖母にとって、毎日が新しい発見の連続なのです。
母が「お正月ですよ、おばあちゃん」と優しく声をかける。そんな、どこにでもある、ありふれた正月の風景でした。
私は貿易商として、日々、数字と納期と、海の向こうの見えない誰かの顔色をうかがいながら生きています。
正直、気の休まる暇なんてほとんどない。
でも、この元旦の朝だけは、全てを忘れて、ただの「息子」であり「兄」であり「夫」でいられる。一年で唯一、鎧を脱ぐことを許されたような、そんな穏やかな時間でした。
窓から差し込む冬の柔らかな日差しを浴びながら、熱いお茶をすする。ああ、平和だな。去年も色々あった。壮大な失敗もしたし、資金繰りで胃に穴が空きそうな夜もあった。
でも、こうして家族みんなで新しい年を迎えられた。それだけで、もう十分じゃないか。
「今年は、いい年になるといいな」
誰に言うでもなく、そう呟いたのを覚えています。
この幸せが、この退屈なくらいに平和な日常が、永遠に続くと、心のどこかで信じて疑っていなかった。この数時間後に、その全てが、まるで砂の城のように脆く崩れ去ることになるとも知らずに。
16時10分、世界が歪んだ
その瞬間は、本当に、唐突にやってきました。
食後のコーヒーを飲みながら、ソファでウトウトしていた時です。
カタカタカタ……。
最初は、家の前をトラックでも通ったのかと思いました。よくある、日常的な振動。しかし、その揺れは収まるどころか、次第にその周期を短く、そして振幅を大きくしていきます。
ミシッ、ミシッ……。
家が、悲鳴を上げ始めました。木造の実家が、まるで巨大な生き物のように、しなり、きしむ音。それは、今まで経験したどんな地震とも明らかに質の違う、底知れない恐怖を感じさせる音でした。
「おい、これ、なんかおかしくないか?」
私が言い終わるか終わらないかのうちに、それは来ました。
ドンッ!!
真下から、巨大な拳で突き上げられたような、垂直の衝撃。
体が、ソファから10センチは浮き上がったと思います。その直後、今度は水平に、暴力的に揺さぶられる。右に、左に、まるで木の葉のように。
ガッシャーン!
食器棚から、母が大切にしていた皿が雪崩を打って床に落ち、砕け散る甲高い音。
ドッスーン!
本棚が、轟音と共に倒れる。何百冊という本が、一斉に床に叩きつけられる鈍い音。
「キャアアアア!」
妹の悲鳴。母が、何が起きているか分からず呆然としている祖母に覆いかぶさっているのが見えました。
私も妻も、慌ててテーブルの下に潜り込もうとしますが、もはや自分の体を自分の意志でコントロールすることができない。立っていることも、這うこともできない。ただ、床に叩きつけられ、揺れのなすがままにされるだけ。
思考が、完全に停止していました。
「怖い」とか「死ぬかもしれない」とか、そんな言葉すら浮かんでこない。
ただ、目の前で繰り広げられる非現実的な光景と、耳をつんざく破壊音、そして内臓がシェイクされるような暴力的な揺れに、私の脳は完全に処理能力を失っていました。
どれくらいの時間だったでしょう。1分か、あるいは2分か。永遠にも感じられた揺れが、少しずつその勢いを弱めていきます。そして、まるで何事もなかったかのように、ふっと、静寂が訪れました。
家の中は、めちゃくちゃでした。割れた食器が散乱し、倒れた家具が道を塞ぎ。しかし、それ以上に私を襲ったのは、その「静寂」でした。
さっきまであれほど騒がしかったテレビの音は消え、家の外からも、車の音も、人の声も、何も聞こえない。
ただ、家族の荒い息遣いと、私の心臓がドクドクと脈打つ音だけが、やけに大きく響いていました。
「……みんな、大丈夫か?」
かすれた声で問いかけると、それぞれから、か細い返事が返ってきました。
「……うん、大丈夫」
「……こわかった……」
「……なんや、今の……」
祖母だけが、きょとんとした顔で、散らかった部屋を見回していました。
大丈夫。生きている。
その事実を確認した安堵感と同時に、私の頭の中では、別のサイレンが鳴り響き始めていました。
港だ。倉庫は?商品は?
そして何より、ここは港町・岩瀬。
この揺れだ。津波が、来る。
サイレンと、決断と
その思考は、現実の音によって裏付けられました。
ウウウウウーーーーーッ!
遠くから、そして近くから、町の防災無線が、不気味なサイレンの音を響かせ始めました。それは、聞く者の不安を根こそぎ煽り立てるような、不吉な音色でした。
「大津波警報、大津波警報。ただちに高台に避難してください」
テレビが、アナウンサーの切羽詰まった声で同じ言葉を繰り返しています。画面の隅には「すぐ にげて!」という、赤い、暴力的なまでにシンプルな命令が表示されている。
「逃げるぞ!」
私のその一言で、家族は突き動かされるように動き始めました。しかし、そこには新たな困難が待ち受けていました。祖母です。
「どこへ行くんや」「わしはここにいる」
何が起きているのか理解できない祖母は、その場から動こうとしない。母が必死に説得しますが、時間は刻一刻と過ぎていく。パニックとは、こういう状態を言うのでしょう。
一刻の猶予もない。私は、躊躇を捨てました。
「ばあちゃん、ごめんな!」
そう言うと、私は抵抗する祖母をひょいと背負い上げました。驚くほど軽かった。その軽さが、逆に胸を締め付けました。
倒れた家具を乗り越え、割れたガラスを踏まないように気をつけながら、玄関へ向かう。その数メートルの距離が、とてつもなく長く感じられました。
そのまま玄関まで運び、半ば強引に母の車の後部座席に乗せました。
その時、私は決断を迫られました。
この実家から一番近い避難所と、私の自宅から近い避難所は、方向が違う。何より祖母を載せて車に5人乗せるのは難しい。時間もかかりすぎる。
「お前は、母さんとばあちゃんを連れて、あっちの小学校に逃げろ!絶対に頼んだぞ!」
私は妹の肩を掴み、そう叫んでいました。妹は一瞬怯んだような顔をしましたが、すぐに「わかった!」と力強く頷きました。
「私たちは、高台の避難所に上がる!」
幸い高台にある避難所は自宅から近く、妻にそう告げ、私たちは二手に分かれることを決めたのです。
背後で、母が祖母を諭す声と、妹の励ます声が聞こえる。振り返りたい衝動を、必死にこらえました。
玄関のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた光景に、私は絶句しました。
さっきまでの穏やかな正月の住宅街は、そこにはありませんでした。家の外に飛び出し、不安そうな顔で空を見上げる人々。泣き叫ぶ子供。そして、誰もが同じ方向へ、高台へと向かって歩き、あるいは走っている。
「急げ!」
妻の手を引き、自分の車に乗り込み、エンジンをかける。
走り出した最初の10分ほどは、奇跡的に順調でした。裏道を抜け、このままスムーズに高台まで行けるかもしれない。そんな淡い期待を抱いたのも束の間、大通りに出た瞬間、その希望は打ち砕かれました。
渋滞です。
道という道が、避難する車で完全に埋め尽くされている。誰もが高台、山の方向を目指しているため、流れは完全に止まっていました。クラクションが、あちこちで鳴り響いている。しかし、誰もがどうすることもできない。
「いつもだったらこの道が混むことなんてありえない大通りなのに……」
思わず、そんな言葉が口から漏れていました。非現実的な光景でした。油断した…ここまで混むとは思わなかった。歩いて避難するべきだったか。いや、津波の場合、あの場所では徒歩では確実に助からない。しかし、この渋滞は…妹たちは渋滞大丈夫だろうか…。
カーラジオをつけると、DJの冷静だった声が、次第に焦りを帯びていくのが分かりました。
「……珠洲市で、津波到達との情報が入っています!」「輪島市、火災発生!」
断片的に飛び込んでくる絶望的な情報が、車内の空気をさらに重くします。
富山の、この岩瀬という土地は、海のすぐそばです。津波の恐ろしさは、知識としてではなく、体に染み付いている。
進まない車列。背後から迫ってくるかもしれない、見えない巨大な水の壁。
そして、別の方向へ向かった、母たちの安否。
生きた心地がしませんでした。
「……お母さんたち、大丈夫かな」
妻が、絞り出すように言いました。
「大丈夫だ。あいつなら、ちゃんとやってくれる」
そう答える私の声が、自分でも情けないくらいに震えているのが分かりました。
その時です。
ポケットに入れていたスマホが、けたたましく震え始めました。見ると、取引先からの着信でした。おそらく、安否確認でしょう。あるいは、商品の心配かもしれません。
でも、私には、その電話に出る気力も、余裕も、一切ありませんでした。
ビジネス?商品の損害?そんなものは、どうでもよかった。今は、そんなことを考えている場合じゃない。
隣で青ざめている妻。そして、今この瞬間も、祖母の手を引いて避難所に急いでいるであろう、母と妹。この家族を、絶対に守らなければならない。ただ、生きたい。生かしたい。
私の頭の中は、その、動物的とも言える本能的な願いだけで、完全に満たされていました。
どれくらい時間が経ったのか。何台かの車が脇道に逸れ、少しずつ車列が動き始めました。私は、まるでレースのように、わずかな隙間を見つけては車をねじ込み、必死に高台を目指しました。
そして、ようやく、町の外れにある小高い丘にたどり着いた時、私は車を停め、震える手でサイドブレーキを引きました。
振り返ると、夕焼けに染まり始めた空の下に、いつもと変わらない街並みが見えました。幸い、この場所まで津波が到達した形跡はありません。
「……助かった……」
誰からともなく、そんな言葉が漏れました。
安堵感で、全身の力が抜けていくのが分かりました。
しかし、その安堵は、長くは続きませんでした。
これから、どうなるのか。
家は?倉庫は?そして、私の仕事は?
何より、母たちは、無事に避難できただろうか。
夕闇が迫る街を見下ろしながら、私は、これから始まるであろう、長く、そして過酷な戦いの始まりを、静かに予感していました。日常が終わった後の世界で、私は、一体何をすべきなのか。その答えは、まだ、深い闇の中にありました。
第1章:絶望の夜と、瓦礫の朝
静寂が支配する街へ
高台へと続く道は、人で溢れかえっていました。避難所であるはずの建物は、すでに満員。
私たちは車を停めるスペースすら見つけられず、結局、道路の隅に車を寄せ、その中で息を潜めて待機するしかありませんでした。
どれくらいの時間を過ごしたでしょうか。夜になり、冷え込みが厳しくなってきた頃、周りの車が少しずつ動き始め、人々が家路につく気配を感じました。
「もう大丈夫なのか…?」カーラジオのスイッチを入れると、アナウンサーが津波警報が注意報に切り替わったことを告げていました。
役場の正式なアナウンスがあったわけではない。人々が、それぞれの判断で動き始めたのです。それを合図に、私たちも重い腰を上げました。
母たちとは、携帯の電波が奇跡的に繋がって、無事を確認できていました。妹が気丈にも「こっちは大丈夫!ばあちゃんも落ち着いてる!」と伝えてくれた時、全身の力が抜けていくのが分かりました。
まずは、よかった。最悪の事態は、免れた。
しかし、安堵は、新たな不安の始まりでもありました。
頭の中を占めるのは、たった一つのこと。
「倉庫は、どうなっている?」
私の仕事の、いや、人生の心臓部。あの場所が、どうなっているのか。
妻は「今日はもうやめましょう。危ないわ」と私の顔を覗き込みましたが、私は首を横に振っていました。
「いや、行かないと。見ておかないと、眠れない」
それは、経営者としての責任感というよりは、もっと原始的な、自分のテリトリーを確認しにいく本能だったのかもしれません。
妻を自宅に送り届け、家の惨状には目もくれず、私は一人、再び車に乗り込みました。向かう先は、山側にある私の倉庫です。
夜の街は、不気味なほど静まり返っていました。
場所によっては停電しているのか、家の明かりは消え、道は車のヘッドライトだけが頼りです。時折、懐中電灯の光が揺れ、家から出てきた住民の不安そうな顔を照らし出す。
倉庫に近づくにつれて、心臓の鼓動が早くなるのが分かりました。
頼む。無事でいてくれ。
いや、無事なわけがない。でも、せめて、再起不能なほどのダメージだけは。
祈るような気持ちで角を曲がると、暗闇の中に、見慣れた倉庫のシルエットが浮かび上がりました。
外壁に大きな亀裂はない。シャッターも、歪んではいないように見える。
「……よし」
一瞬、希望の光が差しました。
しかし、私は知っていました。本当の戦場は、この分厚い鉄の扉の向こう側にあるということを。
車のエンジンを切り、外に出る。キーホルダーの鍵が、カチャカチャとやけに大きな音を立てる。シャッターに鍵を差し込み、回す。ギギギ…という重い金属音。そして、両手でシャッターに手をかけ、渾身の力で、それを押し上げました。
ガラガラガラガラッ!!!
静寂を切り裂く轟音が、誰もいない港に響き渡る。
そして、ヘッドライトに照らされたその光景に、私は息を呑みました。
静かなる戦場の正体
そこにあったのは、想像していたような、建物の倒壊や水浸しといった派手な光景ではありませんでした。
むしろ、その逆です。
倉庫の骨格である鉄骨は、しっかりと建っている。雨漏りの跡もない。
しかし、その内部は、まるで巨大なミキサーにかけられた後のように、静かで、しかし徹底的な混沌が広がっていました。
棚という棚から、商品が雪崩を打って落下し、通路を完全に埋め尽くしている。段ボール箱は、その角という角が潰れ、見るも無惨な姿を晒していました。
私が扱っている輸入雑貨や革製品、精密な半導体を内蔵したUSBケーブルやカードリーダー。それらが、無慈悲に、一緒くたになって、瓦礫の山を形成しているのです。
これが、「間接被害」というものの、本当の姿でした。
テレビで連日報道されるのは、家が倒壊したり、津波に流されたり、火事で焼け落ちたりする「直接被害」の映像です。もちろん、それは悲惨で、一刻も早い救助が必要です。
しかし、ここにあるのは、報道では決して伝わらない、静かなる絶望でした。
建物自体は壊れていないから、地震保険の「全壊」や「半壊」といった認定はまず下りないでしょう。
しかし、中にある商品は、そのほとんどが商品価値を失っている。外箱が潰れただけで、中身が無事なものもあるかもしれない。でも、それを誰が確認するのか?この何千、何万という商品を、一つ一つ手にとって?
比喩の創造①:見た目は綺麗なのに、内部の骨が砕けてしまった人間
この時の倉庫の状態を例えるなら、まさにこれでした。
外から見れば、五体満足で、普通に立っているように見える。しかし、その内部では、見えない骨という骨が複雑骨折し、内臓は破裂寸前。一歩も動くことができない、瀕死の重傷を負っている。
倉庫という「体」は無事でも、その中を流れる血液であり、神経である「商品」と「キャッシュフロー」は、完全に破壊されていました。
これが、中小企業の、特に私たちのような在庫を抱えるビジネスが直面する、災害のもう一つの顔なのです。
私は、瓦礫の山を呆然と見つめながら、その場にへたり込みました。
懐中電灯の光が、潰れた商品のロゴをぼんやりと照らし出す。あれは、何度も交渉を重ねて、ようやく輸入にこぎつけた革財布。
こっちは、ヒットを夢見て、なけなしの金をはたいて仕入れた最新のガジェット。
一つ一つの商品に、物語がありました。交渉相手の顔、工場の匂い、そして、これを手にしたお客さんの喜ぶ顔を想像した、あの日のワクワク感。
それら全てが、価値のないゴミの山に変わってしまった。
「……これは無理かな」
自然と、そんな言葉が口から漏れました。
頭の中で、電卓を弾く音が鳴り響く。損害額は、いくらになる?100万か?200万か?いや、そんなものじゃ済まない。
再検品や箱の入れ替えにかかる人件費、廃棄費用、そして、販売できていれば得られたはずの利益…。考えれば考えるほど、意識が遠のいていくようでした。
瓦礫の中で見た、一つの光
どれくらい、そうしていたでしょうか。
冷たいコンクリートの上で、ただ、目の前の絶望を眺めていました。もう、何もかもどうでもいい。いっそ、このまま朝までここで過ごして、全てを諦めてしまおうか。そんな考えが、頭をよぎりました。
その時です。
私の脳裏に、様々な人々の顔が、走馬灯のように浮かんでは消えていきました。
まず浮かんだのは、いつも無理な納期に応じてくれる、海外の取引先の担当者の顔。次に、融資の相談に乗ってくれている銀行の担当者の、心配そうな顔。
これから、公共の相談窓口に行かなければならないのか。いや、まずは保険会社に連絡か。そうだ、朝一番で税理士に連絡しないと、今後の資金繰りの見通しすら立たないじゃないか。
考えるべきことは、山のようにありました。
しかし、そのどれもが、目の前の瓦礫の山を前にしては、あまりに遠い、他人事のように感じられました。手続き、交渉、書類の山…。それらをこなすだけの気力が、今の私には残っていませんでした。
もう、ダメかもしれない。
そう、本気で思った、その瞬間でした。
ふと、私の脳裏に、別の顔が浮かんできたのです。
それは、今までスタッフとして携わってくれた「内職ママさん」たちの顔でした。
私の会社では、検品や梱包といった軽作業を、近所に住むお母さんたちにお願いしています。
その多くが、障がいを持つお子さんを育てているお母さんたちです。外に働きに出るのは難しいけれど、何か社会と繋がっていたい、自分の力で少しでも家計を支えたい。
そんな彼女たちにとって、私の提供する仕事は、単なる内職以上の意味を持っていました。
「社長、この仕事があるから、子供の学校行事にも気兼ねなく参加できるんです」
「ここで仕事するのが、唯一の息抜きなんですよ」
嬉しそうにそう語っていた、彼女たちの笑顔。
子供の治療費のために、黙々と、しかし誰よりも丁寧に作業をしてくれていた、あの真剣な眼差し。
彼女たちは、どうなる?
この倉庫が機能しなければ、彼女たちに仕事をお願いすることはできない。収入が、途絶えてしまう。社会との繋がりが、切れてしまう。
私の被害は、私一人の問題ではなかった。
この瓦礫の山は、私だけの絶望ではなかった。
そう気づいた瞬間、体の奥底から、小さな、しかし確かな熱が込み上げてくるのを感じました。
「……仕方ないな」
潰れた段ボール箱を一つ、力任せにどかす。
「終わるなら、最後の最後まで頑張ってから」
もう一つ、商品を拾い上げる。
自分のためだけなら、とっくに心は折れていたでしょう。自分のためだけなら、あの倉庫の前で泣き崩れて、全てを社会や政府、保険会社のせいにして、終わっていたかもしれない。
でも、私には、守るべき約束がありました。
それは、契約書に書かれたような、ビジネス上の約束なんかじゃない。
「いつでも頼ってくださいね」と笑いかけた、あの日々の会話の中で交わされた、人間としての、もっと温かくて、そして重い約束でした。
この瓦礫の山は、絶望の象徴なんかじゃない。
これは、私たちがもう一度立ち上がるための、「スタートライン」
懐中電灯の光で、自分の手のひらを見る。傷だらけで、汚れていた。でも、不思議と、力が湧いてくるのが分かりました。
夜は、まだ明けない。
絶望の闇は、すぐそこまで迫っている。
しかし、私の心の中には、確かに、一つの小さな灯りが灯っていました。
それは、「仲間のために」という、青臭くて、しかし何よりも強い光でした。
第2章:私は偽善者か?〜被災地で「売る」ということの意味〜
瓦礫の山から、価値を探す
夜が明けたのかどうかも分からないまま、私は倉庫で作業を始めていました。まずは、足の踏み場を確保しなければならない。散乱した商品を種類ごとに分け、被害の程度を確認していく。それは、途方もない、終わりが見えない作業でした。
一つ一つの箱を手に取るたびに、胸が締め付けられます。角が潰れている。側面が破れている。中身は無事かもしれないが、このままでは到底、正規の値段で売ることはできない。
「これは…ダメだな」
「こっちは…ギリギリいけるか?」
独り言を繰り返しながら、商品を「生」と「死」に仕分けていく。その作業は、まるで野戦病院のトリアージのようでした。助かる見込みのあるもの、集中治療が必要なもの、そして、もう手の施しようのないもの。
深夜にもかかわらず、応援に駆けつけてくれたスタッフと共に、私たちは黙々と作業を続けました。
その中に、内職ママさんたちの姿もありました。彼女たちも被災者であるにもかかわらず、「社長、私たちにできることはないですか」と、力強い目で私に言ってくれたのです。
その言葉に、私はどれだけ救われたことか。
「ありがとう。本当にありがとう。」
そう誓いながら、私たちは1,2日かけ、検品と仕分け作業に明け暮れました。そして、ようやく目の前には二つの山が出来上がっていました。一つは、完全に商品価値を失った「ゴミの山」。そしてもう一つが、中身は無事だが外箱が損傷した、「訳あり品」の山でした。






問題は、この「訳あり品」をどうするか、です。
選択肢は、いくつかありました。
全て廃棄する。
どこかの団体に寄付する。
「訳あり品」として、割引販売する。
選択肢1は、最も簡単ですが、それでは1円にもなりません。それどころか、莫大な廃棄費用がかかる。
選択肢2は、一見すると聞こえはいい。しかし、被災地に、外箱が潰れただけの雑貨や革製品を送ったところで、本当に喜ばれるだろうか?
今、必要なのは水であり、食料であり、毛布のはずだ。自己満足の寄付は、かえって迷惑になる可能性すらある。
となると、残された道は一つしかありませんでした。
「売る」という決断
「これを、売ろうと思う」
そう切り出した時、皆の顔に緊張が走ったのを覚えています。
「箱が潰れた商品を、ですか?」
「クレームになりませんか?」
不安そうな声が上がります。当然の反応でした。
私は、皆の顔をゆっくりと見回してから、静かに、しかしはっきりと告げました。
「もちろん、正規の値段では売らない。事情を正直に話し、『箱は潰れているけれど、中身は新品です。それでも良いという方だけ、どうか買ってください』とお願いする。そして、その売上から経費を差し引いた利益は、みんなの給料と、能登への義援金にする」
私の頭の中は、ビジネスアナリストとして冷静に回転していました。
これは、感傷的な判断ではない。生き残るための、最も合理的で、かつ唯一の選択肢でした。
キャッシュフローの確保: まず、会社を存続させなければならない。そのためには、1円でも多くの現金が必要だ。
雇用の維持: 内職ママさんたちに、再検品や箱の入れ替えという「仕事」を創出し、給料を支払うことができる。
社会貢献: 生み出した利益を義援金として寄付することで、より直接的な被災地支援に繋げられる。
顧客への価値提供: 「箱は気にしない」というお客さんにとっては、商品を安く手に入れるチャンスになる。
これは、誰かが損をする話じゃない。関わる全ての人が、少しずつ報われる可能性がある、唯一の方法だと信じていました。
「私は、貿易商だ。商品を売って、稼ぐのが仕事だ。その原則は、たとえ地震が来ようとも、世界がひっくり返っても変わらない。むしろ、こんな時だからこそ、自分の仕事を全うすべきだ。」
私のその言葉に、スタッフたちは黙って頷いてくれました。
腹は、決まりました。
私たちは、ECサイトの準備に取り掛かりました。商品の写真を撮り直し、正直に事情を説明する文章を考え、「訳あり品セール」と銘打った特設ページを、不眠不休で作り上げたのです。
偽善者と呼ばれて
そして、運命の日。
X(旧Twitter)で、セールの告知をしました。
「【能登半島地震の被害報告と、お願い】
この度の地震で、富山の倉庫が大きな被害を受けました。幸い、中身は無事ですが、外箱が潰れてしまった商品が大量に発生しています。
つきましては、これらの商品を『訳あり品』として、割引価格で販売させてください。利益は、スタッフの雇用維持と、被災地への義援金に充てさせていただきます。どうか、皆様のお力をお貸しください」
【能登半島地震の被害報告】
— ツイ鳥「ジョージ=コクム」(森に入ったのですが怪物もおらず、ツイ鳥だけがいました。赤字貿易経営者! (@_596_) January 3, 2024
フォロワーさんたちからも公表してほしい
と言われましたので、Twitterでも告知します。
令和6年1月1日に発生した能登半島地震にて、
富山にあった商品倉庫と商品保管先が
大きな影響を受けました。
(続く1
商品リンク先:特設サイトhttps://t.co/vEjKTzqxMl pic.twitter.com/UchUixzNB3
投稿ボタンを押す指が、少しだけ震えました。
反応は、すぐに現れました。
「ツイ鳥さん、大変でしたね!微力ながら協力させてください!」
「箱なんてどうでもいいです!応援しています!」
「ちょうど欲しかった商品だ。買います!」
温かい応援のメッセージが、次々とタイムラインに溢れました。注文通知が、ひっきりなしにスマホに届く。その一つ一つが、まるで乾いた心に染み渡る水のように、温かく感じられました。
しかし、その温かい流れの中に、冷たく、そして鋭利な刃物のような言葉が混じり始めるのに、そう時間はかかりませんでした。
「うわ、震災ビジネスかよ。最低だな」
「人の不幸を利用して金儲けか。偽善者も大概にしろ」
「どうせ利益なんて寄付しないで、自分の懐に入れるんだろ」
そのほとんどが、今まで絡んだこともない匿名のアカウントからでした。
覚悟は、していました。しかし、実際にその言葉を目にすると、心臓を直接えぐられるような痛みが走りました。
偽善者。
その言葉が、私の頭の中で何度も反響します。
私は、偽善者なのか?やっていることは、結局のところ、自分の会社を立て直すための金儲けに過ぎないのか?
一瞬、心が揺らぎました。セールを中止して、「申し訳ありませんでした」と謝罪しようか。そうすれば、これ以上傷つかなくて済む。
しかし、その時、私の脳裏に再び、あの瓦礫の山と、その中で黙々と作業をしてくれていた内職ママさんたちの顔が浮かびました。
そして、応援のメッセージと共に、次々と商品を購入してくれている、顔も知らない誰かの善意が、はっきりと見えました。
私は、誰のために、この仕事をしているんだ?
匿名で石を投げてくる、顔の見えない誰かか?
違う。
私を信じてくれるスタッフのためだ。
私を信じて、商品を買ってくれるお客さんのためだ。
そして、このビジネスを通して、少しでも笑顔にしたいと願う、社会のためだ。
そう思った瞬間、腹の底から、静かな怒りと、そして鋼のような覚悟が湧き上がってきました。
私は、PCに向かい、文章を打ちました。
「ご批判、ありがとうございます。その通りです。私は貿易商です。売って稼ぐのが仕事です。そして、稼いだ金で、給料が減ってしまったスタッフに支払い、残りは役所に寄付をします。それが、私のやり方です」
もう、迷いはありませんでした。
金は、無くなってもまた稼げばいい。
しかし、周りの家族や仲間、そしてお客さんからの信用が一度崩れたら、その修復には膨大な時間がかかる。いや、二度と元には戻らないかもしれない。
その信用を守るためなら、私は、喜んで悪役になろう。
偽善者と呼ばれてもいい。震災ビジネスと罵られてもいい。
私が信じる正義を、私のやり方で、貫き通すだけ。
それは、被災した一人の貿易商が、本当の意味で「経営者」を語れた瞬間かもしれません。
第3章:国境を越えた恩返しと、予期せぬ落とし穴
クラウドファンディングという名の「狼煙」
「訳あり品セール」は、私の想像を遥かに超える反響を呼びました。批判の声を何倍も上回る数の応援購入が、私たちの活動を支えてくれたのです。
しかし、それだけでは足りませんでした。再検品や箱の入れ替え作業にあたってくれる内職ママさんたちの雇用を、このセールだけで継続的に守り切れる保証はどこにもない。
もっと、安定した形で、彼女たちの生活を守るための仕組みが必要でした。
そこで、私はもう一つの大きな決断をします。
クラウドファンディングです。
正直、ためらいはありました。「震災ビジネス」と批判された直後です。また同じように、「人の同情を買って金を集めるのか」と言われることは目に見えていました。
しかし、もう私の心は決まっていました。誰にどう思われようと、守るべきものを守る。そのために、やれることは全てやる。
「【能登半島地震・被災地支援】障がい児を育てる内職ママさんたちの雇用を守りたい」

そんな、飾り気のない、まっすぐなタイトルでプロジェクトを立ち上げました。リターン品は、もちろん、私たちの商品です。
セール品とは別に、正規の商品を定価で提供し、その支援金をママさんたちの給与に充てる、というシンプルなものでした。
結果から言うと、このプロジェクトは、私の人生における一つの大きな転換点となりました。
最終的に、684名もの方々から、合計2,532,480円もの支援が集まったのです。
驚きました。
集まった金額もさることながら、私が心を揺さぶられたのは、その「数」と、そこに添えられた「言葉」でした。
「ツイ鳥さんの覚悟、しかと受け取りました」
「ママさんたちの力に少しでもなれるなら」
「富山も大変だったんですね。頑張ってください」
一つ一つの支援に添えられた応援コメントを読むたびに、目の前が滲んで、文字が読めなくなりました。批判に傷つき、ささくれていた心が、温かいもので満たされていくのが分かりました。
これは、単なる金じゃない。
これは、684人分の「大丈夫だ、お前は間違ってない」という、力強い声なんだ。
これは、私たちが孤独ではないという、何よりの証明なんだ。
クラウドファンディングは、資金調達の手段であると同時に、仲間を集めるための「狼煙」でした。そして、その狼煙を見て、日本中から、いや、世界から、たくさんの仲間が駆けつけてくれたのです。
台湾からのエールと「恩返しの連鎖」
その駆けつけてくれた仲間の中に、特に私の心を揺さぶった人たちがいました。
台湾からの支援者の方々です。
「訳あり品セール」の販売データを分析していて、私はある事実に気づきました。購入者の居住地を見ると、日本の次に多かったのが、台湾だったのです。
クラウドファンディングでも、海外からの支援の多くが台湾からでした。
なぜだろう?
もちろん、もともと私の会社では、台湾製の生地を使った傘や、台湾の優れた半導体を使ったUSBケーブル、カードリーダーなどを扱っていました。ビジネス上の繋がりは、確かにありました。
原材料の高騰で、今は一時的にその取引を縮小していましたが、台湾の技術力の高さと、パートナーたちの誠実さは、常に良い関係になっていました。
しかし、それにしても、この数は異常です。
SNSのコメントを遡ってみると、その理由が分かりました。台湾の言葉で、こんなメッセージがいくつも書き込まれていたのです。
「日本、頑張れ。恩返しです」
「台湾は、日本の恩を忘れない」
その言葉を見た瞬間、私はハッとしました。
東日本大震災の時、台湾がどれほど大きな支援を日本にしてくれたか。多くの日本人が、その温かい気持ちにどれだけ救われたか。そして何かあるたびに双方間で助け合っている事実に。
彼らは、覚えていてくれたのです。
そして、今度は自分たちが助ける番だと、ごく自然に、手を差し伸べてくれていたのです。
胸が、熱くなりました。
ビジネスとは、なんと尊いものだろうか。
私が台湾のパートナーと築いてきたささやかな信頼関係が、巡り巡って、こんなにも大きな善意の輪となって、今、私を救ってくれている。
その時、私は一つの決意をしました。
「訳あり品セール」で、まだ2〜3割ほど残っていた在庫。その利益の寄付先を、一部を能登から、台湾に切り替えよう、と。
なぜなら、その直前の4月3日。台湾を、マグニチュード7.4の大きな地震が襲っていたからです。「花蓮地震」でした。
「今度は、私たちが恩を返す番だ」
そうスタッフに告げると、皆、二つ返事で賛成してくれました。
私たちは、残りの在庫の売上利益を、台湾地震の被災地へ義援金として送金しました。それは、ビジネスの利益を超えた、人と人との、心と心の繋がりが生んだ、「恩返しの連鎖」でした。
美談の裏の、新たな落とし穴
さて、ここまで話すと、なんだか綺麗な美談のように聞こえるかもしれません。
クラウドファンディングは成功し、国境を越えた支援の輪も生まれた。めでたし、めでたし。
……と、終わらないのが、私のビジネス人生です。
そう、物語は美談だけでは終わらない。成功の裏には、必ず新しい失敗が、口を開けて待っているのです。
プロジェクトが無事に終了し、支援者の皆様へのリターン品の発送作業に追われていた時のことでした。
運送会社から、一本の電話がかかってきました。
「ツイ鳥さん、すみません。お送りした商品なんですが、不在で持ち戻りになったものが多数出てまして…」
最初は、よくあることだと思いました。しかし、その数が尋常ではなかったのです。
あまりに発送数が多かったため、自社だけでは手が回らず、提携先の倉庫にも発送を依頼していました。しかし、そこで思わぬ落とし穴があったのです。
比喩の創造②:ゴールテープを切ったと思ったら、コースがもう一周追加されていた徒競走
この時の心境を例えるなら、まさにこれです。
100メートル走を全力で走りきり、「やったー!」とゴールテープを切った。観客の拍手喝采を浴び、これでようやく休めると思った瞬間、係員がやってきて、こう言うのです。
「すみません、お客様。実は、コースがもう一周追加になりました。しかも、今度はハードル付きです」
え?聞いてないよ、と。
あのクラウドファンディングの成功で得た利益は、この予期せぬ返送ラッシュによって、面白いように溶けていきました。
「なんで受け取ってくれないんだ…!」
運送会社の伝票を前に、私は頭を抱えました。返送の理由は、様々でした。
一つは、提携倉庫のオペレーションミス。彼らは良かれと思って、普段使っているECモールサイトのロゴが入った段ボールで商品を発送してしまったのです。
受け取った支援者からすれば、「クラウドファンディングの支援品が、なぜか大手ECモールの箱で届く」という謎の状況。
「これ、注文していないんだけど」と、不審に思って受け取りを拒否してしまうのも無理はありません。
また一つは、被災地ならではの事情。地震の影響で避難したり、仮住まいに移ったりする中で、住所変更の連絡を忘れてしまっていた、というパターン。
そして、最も私の心を抉ったのが、「送り付け詐欺」と勘違いされたケースでした。
忘れた頃に届く、見慣れない箱。当然ですが発送時にメールで追跡番号などを送るシステムはあったので事前連絡は済ませてあります。
しかしながら、お客様は善意で支援したことすら、日々の混乱の中で記憶の彼方にいってしまっていたのでしょう。
「こんなもの頼んだ覚えはない、これは詐欺に違いない!」と、各地の消費者センターに通報されてしまったのです。
事業者にとって、消費者センターからの電話ほど、心臓に悪いものはありません。
「〇〇様から、身に覚えのない商品が届いたとご相談がありまして…」
電話口の担当者の方は、もちろん丁寧です。しかし、その丁寧さの裏には、「あなたは、何か悪いことをしているのではないですか?」という、鋭い疑いの空気が張り詰めている。
私は、その電話を受けるたびに、心臓が氷水で冷やされるような感覚に陥りました。
「いえ、それは詐欺ではございません。かくかくしかじかで、被災地支援のクラウドファンディングを実施しまして、そのリターン品でして…」
一から、丁寧に、誠心誠意説明する。幸い、担当者の方々は皆さん理解してくれましたが、そんな電話が3回ほど続いた時には、さすがに精神的に参ってしまいました。
善意で始めたことが、巡り巡って、詐欺の疑いをかけられる。
善意で支援してくれた人が、不安な思いをしている。
そして、その誤解を解くために、膨大な時間と精神的エネルギーを消耗していく。
この経験は、私にECサイト運営の、もう一つの厳しい現実を教えてくれました。
商品を届けるまでが、ビジネス。
いや、お客さんがそれを受け取り、「ありがとう」と心から納得してくれる、その瞬間までが、ビジネスなのだと。
私は、この新たな失敗談を、笑い話としてSNSに投稿しました。
「皆さん、お願いです!通販で商品を買ったら、必ず受け取ってください!でないと、私みたいな弱小貿易商は、送料と消費者センターからの電話で死にます!」
自虐とユーモアを交えて。
だって、そうでもしないと、やっていられなかったのですから。
第4章:見えない敵との消耗戦〜制度の壁と、人の悪意〜
補助金という名の「蜃気楼」
春から夏へ。季節が移り変わり、被災地の風景も少しずつ、本当に少しずつですが、前に進もうとしているように見えました。
散乱していた瓦礫は片付けられ、応急処置が施された家々が目立つようになる。私たちの倉庫も、スタッフや仲間たちの懸命な努力のおげで、なんとか事業を再開できる目処が立ってきました。
物理的な戦いが一段落すると、次にやってくるのは、金銭的な現実との戦いです。
地震から数ヶ月が経ち、私は一つの希望に賭けていました。国や県からの、事業者向けの補助金です。
「これだけの被害だ。何かしらの支援はあるはずだ」
そう信じて、申請書類の山と格闘しました。被害状況を写真に撮り、損害額を算出し、事業計画を書き直す。
ただでさえ目の前の復旧作業で手一杯の中、慣れない行政文書と向き合う日々は、精神をすり減らす作業でした。
計何時間かけたでしょうか?時間が取れない中、毎日数十分ずつ頑張って時間を作った、渾身の補助金申請の書類です。
しかし、その先に待っていたのは、無慈悲な現実でした。
結果は、不採択。つまり、ゼロ回答です。
窓口で担当者から告げられた言葉が、今でも耳に残っています。
「ツイ鳥さんのケースは、建物自体が全壊したわけではないので、『直接被害』とは認められません。
在庫の損害などは『間接被害』にあたるため、補助金の対象外となります。あとは、地震保険でなんとかするしかありません。」
頭を、鈍器で殴られたような衝撃でした。
地震保険。もちろん加入していました。しかし、それで補填されるのは、あくまで資産価値の一部です。
商品が落下した際の箱の入れ替えや再検品にかかった人件費、営業できなかった期間の損失、そして何より、箱潰れによって失われたブランド価値。そういったものは、一切保険の対象にはなりません。
自己負担額は、総額で1000万円近くにのぼりました。
それを、全て、自力でなんとかしろ、と。国や県は、そう言っているのです。
比喩の創造③:無傷と診断された、内臓破裂のボクサー
この時の状況を、ボクシングの試合に例えてみましょう。
私は、強烈なボディブローを何発も食らって、リングに沈みました。意識は朦朧とし、内臓は破裂寸前。立っているのがやっとの状態です。
しかし、試合後のドクターチェックで、医師はこう診断を下します。
「顔に傷一つない。出血もしていない。よって、この選手は『無傷』である」と。
ふざけるな、と。
私というボクサーは、外傷こそないものの、内部はボロボロで、再起不能寸前のダメージを負っている。それなのに、制度という名のドクターは、「見た目」しか判断してくれないのです。
これが、「直接被害」と「間接被害」の残酷な境界線でした。
家が潰れ、工場が燃える。そういった目に見える「傷」がなければ、制度の救いの手は届かない。
サプライチェーンの寸断や、商品価値の低下、風評被害といった、ビジネスの「内臓」に受けたダメージは、全て自己責任として処理されてしまう。
この制度の壁は、私に、災害後の世界で生き残ることの、もう一つの厳しさを教えてくれました。
富山の「静かなる被災」
メディアの報道は、どうしても被害の大きい石川県の惨状に集中します。それは当然のことです。しかし、その影で、私の住む富山県もまた、静かに、しかし深く傷ついていました。
あまり知られていませんが、この地震における地震保険の申請件数は、石川県の約6万4千件に次いで、富山県が4万件以上と、2番目に多かったのです。

私の自宅も、例外ではありませんでした。基礎のコンクリートには、無数のひび割れが入っていました。
これもまた、見ただけでは分からない「静かなる被害」です。
保険は適用されましたが、修理費用の全てを賄うには至らず、結局、皆さんからいただいた義援金が富山県から出ましたので一部を充てて、ようやく修理することができたのです。本当に、感謝しかありません。

見えないところで、屋根が割れている家。土台が歪んでいる家。そんな家が、この富山にも、たくさんあったのです。
ハイエナは、弱った獲物を狙う
制度の壁という、巨大で冷徹な敵。
それに加えて、もう一つ、私を蝕んだ「見えない敵」がいました。
それは、人の「悪意」です。
「訳あり品セール」やクラウドファンディングが始まると、注文の通知が鳴り止まない時間が続きました。
その一つ一つの通知音が、応援のファンファーレのように聞こえ、私たちは疲労困憊の中でも笑顔を交わし合っていました。しかし、その祝福の音の中に、不協和音が混じり始めるのに、そう時間はかかりませんでした。
最初の異変に気づいたのは、若いスタッフの一人でした。
「ツイ鳥さん、なんだか変な注文が…」
彼女が指差すPCの画面を覗き込むと、そこには奇妙な注文データが並んでいました。
請求先の名前は明らかに日本人名なのに、届け先は大阪の、とある雑居ビルの一室。電話番号は存在しない。そして、同じクレジットカードで、数分おきに何度も決済に失敗した履歴が残っている。


一つだけなら、入力ミスで済ませたかもしれません。しかし、似たような注文が、まるで示し合わせたかのように、いくつも、いくつも入ってきていたのです。
請求元は東京、届け先は九州。請求元は日本人名、届け先はアルファベットの羅列。IPアドレスを調べると、そのほとんどが海外のプロキシサーバーを経由していました。
血の気が、引きました。これは、ただのイタズラではない。
盗まれたクレジットカード情報を使い、商品をだまし取ろうとする、典型的な不正利用の手口でした。
彼らは、災害で混乱している企業を狙い、「この状況なら、チェックも甘いだろう」と、弱った獲物の匂いを嗅ぎつけて群がってくるハイエナそのものでした。
もし、これに気づかず商品を発送してしまえば、どうなるか。
後日、本当のカード名義人から「利用した覚えがない」と申し立てがあれば、売上は全て取り消される。さらにそういうものを「チャージバック」といって追加手数料もかかります。
さらに、発送してしまった商品は、もう戻ってこない。つまり、販売者の「全損」です。
ただでさえ厳しい状況の中で、この仕打ちは、精神的にかなり堪えました。応援購入の通知に喜んでいた数時間前の自分が、ひどく愚かに思えました。
彼らは、私たちの善意や支援者の思いやりを、嘲笑うかのように利用していたのです。
私たちは、不審な注文を一つ一つ調査し、手動でキャンセルするという、不毛で、神経をすり減らす作業に追われることになりました。
それは、商品を盗まれるという金銭的なダメージ以上に、「人の悪意」に直接触れ続けるという、精神的なダメージの方が遥かに大きかったのです。
そして、悪意は、さらにたちの悪い形で、私に襲いかかってきました。
ある日、決済会社から一本の、見慣れない件名のメールが届きました。
「【重要】チャージバック発生のご連絡」
事業者なら、誰もが凍りつく言葉です。お客様から、「注文と違う商品が届いた」というクレームが入っている、と。
「まさか…」
私たちは、梱包作業には細心の注意を払っていました。しかし、混乱の中だ。万が一のミスはあり得るかもしれない。私はすぐさま、その注文データをシステムで検索しました。
しかし、表示されたデータを見て、私は自分の目を疑いました。
その注文は、まだ「未発送」ステータスのままだったのです。発送すらしていないのに、「違う商品が届いた」とは、一体どういうことか。
答えは、SNSにありました。
その購入者は、SNS上で「あの会社は震災詐欺だ!違う商品を送りつけてきた!」と、注文完了メールのスクリーンショット付きで、声高に拡散していたのです。
血の気が、引きました。
これは、商品をだまし取るだけでなく、私たちの「信用」そのものを、根こそぎ破壊しにきている。
幸い、発送前の記録が全て残っていたため、決済会社には事情を説明し、事なきを得て、決済会社も全面的に弊社の肩を持ってくれました。
匿名という盾に隠れて、人の善意を踏みつけ、弱った者をさらに叩きのめそうとする、その底知れない悪意。
自然災害という、抗いようのない脅威と戦った後で、今度は、人間の中に潜む、最も醜い部分と戦わなければならない。
この消耗戦は、私の心を、確実に蝕んでいきました。
第5章:それでも、日はまた昇る
二度目の鉄槌、そして笑い
夏が過ぎ、秋の気配が漂い始めた頃。
地震の爪痕は生々しく残ってはいるものの、私たちは少しずつ、本当に少しずつ日常を取り戻しつつありました。
不正注文との戦いにも慣れ、内職ママさんたちの手によって、倉庫の「訳あり品」たちも、新たな嫁ぎ先へと旅立っていく。ようやく、息を吸うことができる。そう感じていました。
しかし、この土地の神様は、どうやら私に相当な試練を与えたいらしかった。
能登地方を、記録的な豪雨が襲ったのです。
テレビのニュースは、地震で緩んだ地盤が崩れ、土砂災害が発生していると報じていました。復旧作業の道が、再び寸断されていく。
「またか…」
私は、歯噛みする思いでその光景を見ていました。「何かできることはないか。今度は、豪雨被害への支援プロジェクトを…」そんなことを考えていた、まさにその矢先でした。
富山も、大雨に見舞われたのです。
嫌な予感がしました。私は豪雨の中、車を飛ばして倉庫へ向かいました。そして、その予感が的中していたことを知ります。
倉庫が、浸水していました。
幸い、床上浸水という最悪の事態は免れましたが、床に置いてあった段ボール箱は、ぐっしょりと水を吸ってしまっている。
私は、その光景を前に、なぜか、笑いが込み上げてくるのを止められませんでした。
「はは…ははははは!」
地震、津波、不正利用、悪評、そして、水害。
もう、ここまで来ると、怒りとか、悲しみとか、そんな感情はどこかへ行ってしまう。まるで、出来の悪いコントの主人公にでもなったような気分でした。
能登の心配をしていたら、自分の足元が水浸しになっていた。冗談かよと。
「おいおい、私の心配をしてくれる人は世の中のどこにいるんだよ!」と、天に向かって悪態の一つもつきたくなる。
しかし、不思議なことに、心は折れていませんでした。
一度、絶望の底を見た人間は、少しのことでは動じなくなるのかもしれません。地震に比べれば、このくらいの被害、どうということはない。
「災害程度で、この事業は諦めない」
濡れた段ボールを運び出しながら、私は自分に言い聞かせていました。そして、こうも思いました。
「これだけの災難続きでも、まだ前を向いて仕事をしている私は、なんて偉いんだ」と。
極限状態を乗り越えるためには、時には、自分自身を全力で褒めてやることが必要なのです。これもまた、この災害が私に教えてくれた、重要な教訓でした。
一年後の、痛々しい決算書
そして、あっという間に、一年という月日が流れました。
2025年1月。地震から、一年。
世間では、復興への歩みが語られ、少しずつ日常が戻ってきたかのような空気が流れていました。しかし、私の会社の現実は、そんな楽観的なものとは程遠いものでした。
決算書は、真っ赤でした。
売上は落ち込み、完全に赤字。当然です。この一年、新規事業や宣伝活動など、ほとんど何もできなかった。ひたすら、地震の話、震災の後始末に追われ続けた一年でした。
商品落下による箱潰れ品の検品、販売停止、顧客対応、不正注文の処理、そして豪雨の後始末…。それは、華々しい復興の物語などではなく、ひたすら地味で、泥臭い、消耗戦でした。
「過労死するほどの忙しさだった」
今、振り返っても、そう断言できます。
国や県からの補償は、結局、ほとんどありませんでした。実質的には、全て自力で尻拭いをするしかなかったのです。
そして、目の前には、新たな、そしてあまりに現実的な壁が立ちはだかっていました。
「納税資金の不足」です。
会社が赤字でも、消費税の支払いは待ってくれない。このままでは、税金を支払うための現金がショートしてしまう。
「…売るしかないか」
私は、三度、決断をしました。
在庫セールです。しかし、今度のセールは、これまでとは意味合いが全く違いました。被災地支援のためではない。雇用の維持のためでもない。
ただ、生き残るため。
会社を、潰さないため。
消費税分を、稼ぐため。
私たちは、家電製品や、なけなしの在庫だった革財布などを、最大5割引で販売するセールを告知しました。
「買う余裕がない人は、リポストやシェアだけでも助かります」
その一文に、私のプライドと、そして背水の陣の覚悟を込めました。
案の定、「また便乗商法か」というような批判も、いくつか目にしました。しかし、もう、そんな言葉を気にしている余裕はありませんでした。
生き残るために、気にしていられなかった。
それが、正直な気持ちでした。
自分だけ儲けるビジネスは、つまらない
セールは、またしても、多くの心ある方々に支えられ、なんとか納税の目処を立てることができました。
そして、2025年の3月。
以前にも届いてたのですが、私の元に、石川県知事と、富山県氷見市長から、手紙も改めてもらいました。


あの「訳あり品セール」や、X(旧Twitter)の収益から寄付した義援金に対する、お礼でした。
その薄い、しかし重みのある紙を眺めながら、私は、この2年間の出来事を、ずっと振り返っていました。
地震、津波、批判、裏切り、制度の壁、度重なる災害…。
その一方で、数えきれないほどの善意、応援、国境を越えた励まし。
そして、気づいたのです。
以前の私なら、「売名行為だ」とか「偽善だ」とか言われるのが怖くて、寄付をするにしても、こっそりと匿名でやっていたかもしれません。
しかし、今は違います。
売名と言われようが、なんだろうが、構わない。
私のビジネスが、私の行動が、誰か一人でも笑顔にできるのなら。誰か一人でも、明日に希望を持ってくれるのなら。それで、いいじゃないか。
「自分だけ儲けるビジネスは、つまらない」
その言葉が、すとんと、胸の奥に落ちてきました。
これこそが、私がこの2年間の戦いの果てに、ようやく見つけ出した、答えだったのです。
終章:私が、この瓦礫の上で見つけたもの
私のビジネスは、決して大きいものではありません。北陸の港町で、ひっそりと営む、小さな貿易商です。
しかし、今なら、胸を張って言えます。
私の仕事は、商品を右から左へ流すだけの、単なる金儲けではない、と。
それは、障がいを持つお子さんを育てる、内職ママさんたちの誇りを守る仕事です。
それは、台湾をはじめとする海外の誠実なパートナーたちと、信頼の絆を紡ぐ仕事です。
それは、私の発信する情報を信じて、応援してくれるフォロワーの皆さんと、共に成長していくための仕事です。
地震は、私の倉庫から多くの商品を奪い去りました。
しかし、それと引き換えに、いろいろなことを私に与えてくれたのかもしれません。
それは、自分の仕事の「意味」であり、「なぜ、自分はこの仕事をしているのか」という、根源的な問いへの答えです。
この物語を、今、読んでくれているあなたに、最後に一つだけ、問いかけさせてください。
「あなたの仕事は、誰を笑顔にしていますか?」
その答えが、すぐに見つからなくても、構いません。
しかし、いつか来る「もしも」の日に、あなたを支え、再び立ち上がらせてくれるのは、その答えだけだと、私は信じています。
この物語が、いつか来るその日のために、あなたの、そしてあなたの大切な誰かを守る、小さな灯りになることを願って。
また気が向いたら、この地震で起きたことの詳細、今のビジネス状況などを語っていくので良ければフォローやスキ、コメントをもらえると励みになります。
エピローグ:私に、このモデルを作らせてください
長い、長い物語に、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
正直に言います。こんなに頑張っているのだから、報われたいです(笑)
しかし、それは単に金銭的な意味だけではありません。この2年間の戦いは、まだ終わっていないのです。むしろ、ここからが本番なのかもしれません。
なぜなら、今の私の会社は、ものすごい赤字です。
この値上げ値上げの世の中で、内職ママさんたちから「仕事はないか」という切実な声は増える一方。
しかし、地震で痛い目にあった今、再び大量の在庫を抱える物販ビジネスに大きく舵を切ることは、あまりにリスクが高い。
仕事を割り振りたいのに、割り振れない。この矛盾を、この1年間ずっと抱えてきました。
だからこそ、私は新しい道を模索し続けてきました。在庫リスクがなく、利益率が高く、そして何より、多くの人に価値を届けられるビジネスを。
この1年間、私が必死に既存事業の立て直しと、いろいろな新規事業を模索して、立ち上げようと頑張ってきたのは、そのためです。
そして、その挑戦の一つが、このnoteの収益化なのです。
このnoteを通して、まずは「月300万円」の売上を立てることを、本気で目指しています。無理だと思いますか?
私は思っていません。なぜなら地震やらいろいろあったことに比べて、それくらいの苦労、何1つ平気だからです。死ぬ気で努力してサイクルを回し続けています。
そして、なぜ私が「noteで稼ぐ」ことにこれほどまでに執着するのか。
それは、この挑戦が、私一人のためのものではないからです。
障がいを持つお子さんを育てながら、社会から孤立し、経済的にも精神的にも追い詰められている母親たちに、私は手を差し伸べたい。彼女たちが自宅で、自分のペースで、そして自分の能力を活かして働ける環境を作りたい。
そのための手段として、私はnoteというプラットフォームが持つ、独自の可能性を信じているのです。
1.時間と場所からの解放
執筆という仕事は、パソコンさえあれば、子どもの看病をしながらでも、深夜、家族が寝静まった後でもできます。急な体調不良で作業が中断しても、誰かに「ごめんね」と頭を下げる必要がない。これは、彼女たちの精神的な負担を劇的に軽くします。
2.スキルが資産になる
私が構築したいのは、単なる作業の割り振りではありません。彼女たちに「稼げる執筆スキル」を教育し、自立して収入を得られるようにサポートする体制です。一度身につけたスキルは、一生使える資産になります。
3.多様な活躍の場
noteには夢があります。どんな背景を持つ人でも、その人の知識や経験が価値として認められる可能性がある。しかし、そのためには、まず誰かが「道筋」を示さなければなりません。
「本当にnoteで稼げるのか?」
この問いに、私自身が結果を出すことで、「この通りにやれば、ここまで到達できる」という明確なモデルケースになる必要があるのです。
私が目指す「月300万円」という数字。これは、決して私腹を肥やすためではありません。
このビジネスモデルを「持続可能」なものにし、関わってくれる人たちに十分な報酬を分配するための、現実的な基準です。
特に、単発の有料記事ではなく、継続的な支援となるメンバーシップが伸びてくれれば、この事業は確実に「持続可能」になります。
それができれば、他のジャンルにも進出して、複数のnoteアカウントを運営することも夢ではありません。専門的な論文の解説記事や、ニッチな市場の調査レポート。
その執筆を、私が作ったマニュアルを元に、内職のママさんたちに任せていく。
良いコンテンツができれば、LP(ランディングページ)を作り、メタ広告やGoogle広告で集客して、販売したり、小ロットの物販に繋げることもできる。
行ける匂いしかしない。
あとは、そこまでどうやって持っていくか。私は、諦めたくないのです。
これは、社会を少し良くするための戦いです。
もし、私のこの想いに少しでも共感していただけるなら、どうか、私の挑戦を応援していただけないでしょうか。
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あなたの応援が、私を、そして名もなき母親たちを、子供たちを、もう一歩先へと進ませてくれるのです。
どうか、私に、このモデルを作らせてください。
よろしくお願いします。
【著作者概要】
私、ツイ鳥こと「コクム=ジョージ」は、北陸の地で貿易商を営みながら、この記事で書いたような、社会の「すきま」に光を当てる事業に取り組んでいます。
失敗も、葛藤も、情けない話もたくさんありますが、現場で見て、感じたリアルな物語と、そこから得られたビジネスの気づきを、このnoteで発信しています。X(旧Twitter)でも、日々の気づきを呟いていますので、ぜひフォローしてください。
あなたの応援が、私の、そして彼女たちの力になります。
note: https://note.com/glad_auklet4142
Threads:https://www.threads.com/@cokumu_motto
X (Twitter):https://x.com/_596_
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【著作者紹介】
本記事の著作者「ツイ鳥」こと「コクム=ジョージ」は日常的には、北陸にて、各国の業者とやりとりしながら商品輸入や商品企画を行ってたりする貿易商です。
成り立ちなど、プロフィール詳細は以下のページに。
またビジネスコピーライターとして、商品文章や製品説明などの制作に携わっていますが、ここでご紹介している事例紹介・解説は、ツイ鳥独自の視点―最新テクノロジーやAIに関する知見をもとに、論文検索や研究レポートの調査、草稿作成、そしてアイデア出しを経て構成されたものであり、記事内はAI生成されたコンテンツで作られた箇所も多いため、従来のライター業務ではなく、別の著作者としての活動です。
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※【当記事のコンテンツ生成について】
当記事も著作者紹介でも書かれている通り、ChatGPT(OpenAI)、Claude(Anthropic)、および Gemini(Google)などの先進的な AI ツールを活用、論文検索・研究レポートの調査、草稿製作やアイデア出しを行っています。各サービスの利用規約に基づき、生成テキストを初稿として利用しているものです。
また掲載している内容も規約に合わせて準じたものです。なお、最終的な文章は必ず筆者が検証・編集・リライトを行い、オリジナリティを確保しているものとなります。
この記事の生成に多大なる貢献をしてくれた各AIツールに、心からの感謝を。またお読みいただいた読者の方々にも心から感謝を。
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4,本記事は筆者の経験や国内・海外の事例などを元に、文章をChatGPT、Claude、Geminiで整えたものになります。
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