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恋する津軽

かつて、この地に生まれ
「わだばゴッホになる」と夢を追いかけて
板画(自らの版画作品をそう呼んだ)の世界に身を投じ
やがて「世界のムナカタ」とまで呼ばれるようになった人がいた。

そう
板画家 棟方志功(1903-1975・青森市出身)である。

圧倒的な生命観と独自の宗教観、そして郷土愛を
木版画の特性を生かした力強い作風で表現した。
国内外を舞台に精力的に活動し、数多くの賞を受賞。なかでも、
1955年サンパウロ・ヴィエンナーレ版画部門最高賞受賞。
1956年ヴェネツィア・ヴィエンナーレで国際版画大賞受賞。
これは戦後日本の美術が世界に認められたことを象徴する偉業となった。
彼が「世界のムナカタ」と称されるゆえんでもある。

棟方志功は子どもの頃から大のねぶた愛好家だったといわれている。
毎年ねぶた祭りの時期には帰省し自身も跳人(ハネト)として参加した、
などのエピソードは有名。

私が小さな美術館で学芸員として勤務していた時
『棟方志功展』を企画開催したことがあった。
(40年も前の話だ!月日の経つのはなんと早いこと)
小規模ながらも結構な代表作を展示しなかなかの盛況であった。

期間中、ホールの片隅で棟方志功の画業を紹介したビデオを流していた。
確かその中で棟方志功がハネトの衣装に身を包み踊っているシーンがあった
(古い記憶でビデオの名前や詳細は忘却の彼方、ご容赦を)

青森ねぶたハネトの衣装
この衣装に身を包めば誰でもハネトの踊りに参加できる
街なかでもレンタルできるお店があるらしい
こちらのお二人さんは会社からの借用品とのこと
会社の備品としてこんなものがあるところがさすがご当地!

私は今、旅行の練習中である。
病気の後遺症で足首から下に麻痺がある。
海外旅が早く再開できることを目標にリハビリを頑張る日々。
近頃は少しずつ様々な国内旅行を経験、
『海外旅の慣らし運転』のつもりもある。

今回思いついたのが「青森ねぶた祭」。
以前から一度は行ってみたいと思っていた。
たぶん、昔日のあの展覧会会場で流れていたビデオの中で
棟方志功がハネトとして楽しそうに踊っている残影が
私の心に根を下ろしていたのは間違いなく、
棟方志功が見たねぶたを私もこの目で体感したかった、それが
旅の一番の動機だった。

旅はツアーを利用することにした。
理由は祭り会場の観覧席が個人ではなかなか取りにくいと思ったから。

ツアー旅行らしく企画は盛りだくさん。
ねぶた祭以外にもいくつかの観光が用意されている。
自分企画ならばここは行かない、とか、こちらに寄りたい、とか、
不満を言えばばキリがないけれど、
旅の目的はねぶたをしっかり鑑賞すること、だ。
今回の旅を下敷きにして、次は思う存分わたしの津軽を旅しよう!

🌸 🌸 🌸

今年の青森ねぶた祭は8月2日(日)から7日(金)までが開催期間。
私たちは6日(木)の観覧。
予約席は青森県庁の道路を挟んで向かいの椅子席、前から2列目。
良い席だった。やはりツアーを利用したのは悪くない選択肢だと思った。

初めてのねぶた観覧。
そして実は、初めての青森県訪問でもある。
何にワクワクしたらよいのか分からない気分のままに祭りが始まる。

遠くから徐々に近づいてくる賑やかなお囃子。
夕闇の中にぼんやり浮かぶ光る山。

提灯、前ねぶた(小ぶりのねぶた)、ハネト、に続いて登場するのが
大きなねぶただ。

青森ねぶた
『吉野山桜下の別れ』ねぶた師:北村春一作

青森ねぶたは、座って見上げる角度で鑑賞する時ちょうど良い見え方になるように作られているそう。
確かにある一定の高さより上には作られず横から見ると平たくも見える。

そしてこちらのねぶたの台座部分に注目
⇓ ⇓ ⇓

何十人もの若い男の人がねぶたを担ぎ動かしている
時々ゆらりと傾けたりクルクル回ったり
それが、ねぶたをより一層迫力あるものとしている

一台当たり約4トン、幅×奥:約9メートル×7メートル、高さ約5メートル
こんなふうにして人が動かしているのか、重いだろうなー、よくこれだけの担ぎ手がいるなあ・・
これを目の当たりにできただけでも来た甲斐があったというもの

🌸

青森ねぶた
ねぶた大賞受賞作「北海の雄」ねぶた師:竹浪比呂央(第7代名人)作
正面(表)から


「ねぶた(ねぷた)が津軽そのものの姿である」
という棟方志功の言葉がある。
そして、
「ねぶた(ねぷた)が正面(表)を向いた時よりも、
むしろ、帰っていく後ろ姿(送り)の何とも言えない寂滅の世界。
ああいうことが私の仕事の根源になっているのではないか」
とも述べている。

ちなみにねぶたの正面(表)は神や武将などの勇猛で力強い姿が表現され、
裏面(送り)は心を落ち着かせる静かな場面が描かれる。

上掲「北海の雄」の裏面(送り)
確かに正面に比べ穏やかな表情だ

でも、棟方志功のいう「帰っていく後ろ姿の何とも言えない寂滅の世界」
は、こういうことではない気がした。
ねぶた祭の空気を吸って育った津軽人ならではの感情かもしれない。
しかし、祭り終わりの一抹のさみしさ、は私にもわかる。

ラッセラー、ラッセラーの掛け声で
太鼓・笛・手振り鉦で構成される囃子方に合わせて跳ねる
跳人(ハネト)
棟方志功の影を思わず探してしまう

🌸 🌸 🌸

翌日は五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)を観覧した。

ヤッテマレ、ヤッテマレの掛け声とともにやってくる
高さ23メートル(ビル7階建て相当)、重さ19トンの山車。
現在この大きな山車は3台運行されている

明治末期の巨大化した佞武多の様式を今に伝える五所川原立佞武多。
明治40年代(1907年以降)電線の普及により運行不能になるなどの要因から平成8年(1996年)まで途絶えていたのだそう。
現在のものは、明治40年代の資料を基に有志が平成8年に再現したのが始まり。経路の電線を地中化して祭りの復活に至った。


目の前に山車が迫ってきたときの迫力はすごい!
曼荼羅さながら。その世界観に見とれていると
気が付けば見上げすぎて首と肩が痛くなっていた。


立佞武多の館(向かって右のビル)から繰り出される巨大な立佞武多と
帰っていく立佞武多(向かって左)
何度見ても不思議ですごい絵面だ


祭りの規模は青森市のねぶた祭に比べると小さいものである。
五所川原という街のサイズにちょうどぴったりに思えた。
そして私は五所川原という街の空気が何とはなしに好きだ、と思った。
今度ゆっくり散歩してみたいと思った。


🌸 🌸 🌸

ツアーなので、目的地への移動はチャーターした専用バスである。

(車窓から)津軽平野と岩木山

道中、始終見ることができた岩木山が美しかった。

『鳩笛は日の暮れの音色・・・岩木山雨にけむる日・・・』という
長谷川きよしの楽曲(1974年頃みんなのうたで流れていた)を思い出す。

そこからの連想でまた古い記憶がよみがえる。
学生時代私には、お父さんが弘前出身だという友がいた。
「北の国って、思うだけでもソワソワする。血が騒ぐっていう感じ」
その友からある年の夏休み明け、帰省土産をもらった。

鳩笛。かれこれ45年は前のもの
一度壊れて修理した

この鳩笛を手にして以来45年の歳月が流れた。
そして私は今、初めて津軽の土を踏み、岩木山をこの目で見ている。
久しぶりにあの友に絵葉書を書こう!LINEではなく。
「遅まきながら私も今、北の国にてソワソワした気持ちでいます」って。


函館連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」甲板より陸奥湾を望む

穏やかな夏の風に吹かれながら
私は次の津軽旅を妄想している。

次は冬。金木あたりを中心に。そのころまでには足の麻痺状態はもう少し何とかなっていたい。雪道が歩けないと困るから。
その次は春か秋。亀ケ岡石器時代遺跡(遮光器土偶出土の地)や三内丸山遺跡を訪ね歩きたい。


(車窓より)岩木川(たぶん)と、風力発電のプロペラ群

私、津軽に恋してしまった。

🌸 🌸 🌸

長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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