見出し画像

2021年の新盆

今年は2020年に58歳で亡くなった弟の新盆。親父の三回忌もあるので、84歳の大阪にいるおふくろを迎えに行くことになった。おふくろは「あんたたちには迷惑をかけなくない」が口癖で、階段しかない5階建てのマンションの4階に一人で住んでいる。親父が膵臓癌になり、2019年まで3年間は闘病の為に茅ケ崎に一緒に住むことになったが、「やっぱり大阪がいい」と葬儀が終わると帰ると言い出した。その時も「もう歳なんだから老いては子に従うもんだ」とやはり若くもない61歳の息子の私は、つい、強い口調で言ってしまった。しかし頑固なおふくろは「位牌をもって一緒に来てくれ」ということで私を大阪に同伴させ、結局大阪に帰ることになった。

2021年7月。緊急事態の中、大阪のコロナ感染者数も神奈川の感染者数も毎日のように更新し、新幹線の移動は「極力避ける」ことがニュースで流れる中で私は大阪に帰ることになった。新横浜から新幹線に乗り込む。それは息をのむような光景だった。1車両に僅か数人しか乗っていない。スーと動き出す新幹線。まるで護送車に乗せられた犯人のように下を向いてマスクを二重にして目をつぶった。

おふくろを迎えに行き、何かあったらどうしよう。不安が胸をよぎる。ワクチン2回接種済みではある。重症化はしないだろう。そうはいっても、何が起きるか予測不能な時間の中なのだ。

おふくろには駅に迎えに来なくていいと厳命した。まだ独身の頃から本当のたまにしか帰省しない息子を親父とおふくろは必ず駅に迎えに来た。それが一種の習慣になっていた。

しかしコロナなのだ。人との接触を極力避ける。そうしてもらうしかない。

久々に会うおふくろは、圧迫骨折で曲がった腰がさらに曲がったようで、しかも以前より痩せていた。

「元気だったか」「ああ元気元気」

いやあ元気じゃないだろう、そう思ったが、おふくろは「疲れただろう」と言って「ビール飲むね?」と聞いてきた。

この歳になっても、おふくろから見ると私は子供でしかない。なにやら食事の支度も「すき焼き」をごっそり作って待っていたようだ。

「こんなにたくさん、どうやって食べるの?2人で」
思わず口に出していってしまった。

翌日はおふくろが独りではできなかった大型ごみのゴミ出しと家具の移動、お風呂掃除の手伝いなどをして、夕方になった。おふくろがボソッという。トンボが2匹、昨日からやってきて窓にツンツンと止まってこっちを見てるんだよ。あれはきっと親父と弟に違いない。
確かに、もうすぐお盆ではあるし、2人とも寂しくてやってきているかもしれないね。そんな話をおふくろとした。

さて、2人で新幹線で無事、茅ケ崎について何日かして、そろそろ準備しようと弟の新盆の準備を始める。コロナもあるので、今年は坊さんを呼ばず自分たちだけで、スーパーで買ってきた「新盆セット」で済ませることになった。おなすやきゅうりは出番がなくなり 代用品のセットが活躍する。特にやることもないような気持ちで少し気が抜けたのかもしれない。白提灯を頼み忘れたと母が言い出したのが十一日。あわてて仏具屋に電話するが、マンションなどの床に置くタイプは残り一つで七千七百円ですと言われ、おふくろは「ほう!」と口を丸くし、僕は取り敢えず、わかりましたと訳のわからない理由で電話を切る。

ニュースではコロナで急変も入院出来ないとか入院待機とか「軽症でも呼吸苦しい」とか。ツイッターみる。看護士のツイート。

「あなたの最期の時  その手を手袋越しでしか握れなくて、ごめんなさい。最期まで家族思いのあなたのその手を握れずに ほんとうにごめんなさい。」

とりあえず白提灯はアマゾンで探すことにする。と言ってももう日がない。色々の事情があるらしく、この時期の配達は遅れるらしいよと女房が横から言う。iPadで検索しはじめると、おふくろがどうせ一回きりなんだから千円くらいの使い捨ての安いのがいいと言う。果してそんなに安い白提灯は、ない。ないと十三日の新盆のお迎えが出来ない。横ではiPadを覗きこんだ女房がこれはダメあれは高いと言ってくる。

さっきのツイートの先。

「日本中でエクモやハイフロー・酸素をつけて死ぬかもしれない恐怖と戦っている.
患者さんと傍で手を握ることもできず、病院の電話に怯え 心配しながら待つしかない家族がたくさんいるんだなぁと思うとこんな状況は怒りを通り越して泣けてくる」

心中、穏やかではない。
スクロールする。なにもかも逃げられない。そういうものだ。
生きるということは。 死はいつも側にあるのだが。
ところで白提灯はまだ未解決だ。安くて十三日に届く白提灯。
スクロールする。なかなか要望に沿うものはない.
いろいろ探しまくり、ぎりぎりで2500円の在庫1を見つけ、急いで発注する。


さて十三日は新盆である
日本中でおそらくはいろいろなお盆行事が行われたり、行こなわれなかったりしただろう。
こんな時に生きていることをこんな風に記憶すること。それもまた必要だ。何事も無事であれと思うのだが。

ツイートは続く
「何人も納棺してきた 何度も思い出す 毎回平気ではいられない
緩和ケア病棟で続けて看取った時よりも、コロナで亡くなった方を病室で納袋にいれて納棺するっていうことが何より辛いです。ご家族にそばにいさせてあげることができないことに申し訳ない気持ち、悔しい気持ちでいっぱいになります。」

何百もの何千もの御霊よ
どうか さまよわず
安らかに。
そして弟よ。
うどん屋の店長でせっかく売り上げを伸ばしていたのにコロナの休業要請で大変だった。死因はコロナではなかったけれど、しんどかったんだよなあ。

今日はおふくろとしっかり会いに行くからな。 待ってろよ。





いいなと思ったら応援しよう!

高細玄一(げん) 2022年に詩集を発行いたしました。サポートいただいた方には贈呈します