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#046 花まつり 子ども会・自治体行事の価値を考えた日

5月2日、GW真っ只中。
自治会主催の花まつりが開催されるということで、事前に子ども会三役に召集がかかりました。

私は今年の春から子ども会の会長です。

2月からアナログの引き継ぎノートを見ながら、正直よく分からないまま、慣習と、やることを、なんとか頭の中で整理しながら進めてきました。

言い伝えのような引き継ぎに戸惑いながら、どうにかこうにか回している状態。

だからこそ、何度もこう思っていました。
子ども会とか自治体の行事って、本当に必要なのかな?」って。

準備は大変だし、参加する人も限られている。
役員は抽選で回ってきて、「なんで私が…」と思うこともある。

私も、そう思っていた側の一人でした。でも今回、花まつりに関わって、その見方が少し変わりました。


花祭りという文化

花祭りは、お釈迦様の誕生をお祝いする行事で、甘茶をかけて無病息災を願う、日本の仏教文化のひとつです。

小さなお堂の中には、花で飾られた誕生仏が置かれていて、地域の方が大切に守り続けてきたことが伝わってきました。

花飾りの様子(自治会の役員の庭から積んできた花。田舎の家スゲー)

また、この場所には薬師如来も祀られていて、昔から人々の健康や生活を見守る存在として、地域に根付いてきたのだと思います。


お堂

自然に生まれる「世代のつながり」

当日、子どもたちは地域の子たちと一緒に集まり、花飾りの準備から片付けまで手伝っていました。

誰かに言われたわけではなく、自然と役割が生まれて、動いていました。

甘茶を配る場面では、子どもたちが配膳をし、大人や高齢の方との会話も生まれていました。

普段関わることの少ない世代同士が、自然に交わっていました。


甘茶の“失敗”が教えてくれたこと

正直に言うと、私は甘茶の淹れ方すら知りませんでした。

もう一人の役員と二人で、袋の裏に書いてある通りにやりました。

・①急須にティーパック
・②熱湯を注いで数分蒸らす

それで完成、のはずでした。

でも、出した瞬間に言われました。

味が薄い!
ちゃんとコトコト煮出すと甘くなるのよ

おじいちゃんからは
「甘みがない!わしはしっかり甘いのが好きなんや!」と笑いながらクレーム(笑)

完全に失敗でした。
後から来たママ友に飲んでもらうと、

甘っ!!

その時やっと気づきました。(笑) 茶葉が少ない。蒸らしが足りない。

私にとっては、正直あまり馴染みのない味。だから適当にやってしまっていた。でも、ご年配の方にとっては違う。(私にとっては、番茶の出がらしとキシリトールのガムの味)

「 春を感じる味」「地域のつながりを思い出す味」だったんだと思います。

甘茶

「参加者」ではなく「当事者」になる瞬間

印象的だったのは、子どもたちの表情。

ただ遊びに来ている顔ではなく、
自分もこの場を作っている」という顔に変わっていました。

役割を持つことで、人は少しだけ大人になる。これは学校ではなかなか学べない、大切な経験だと思います。


オフラインの豊かさ

外では鬼ごっこをして、体を動かしていました。ただそれだけのことなのに、今の時代にはとても新鮮に見えました。

オンラインでいくらでもつながれる時代に、リアルで同じ空間を共有する時間。季節を感じて、誰かと笑って、同じことを一緒にやる。

それだけで、こんなにも満たされるんだと感じました。


でも現実はシビア

参加していたのは、地域の中でもほんの一部。
体感では8%ほどだったと思います。

「めんどくさい」
「意味あるの?」

そう思う人がいるのも、すごく分かる。私自身も、役員にならなければ関わらなかったと思います。


それでも、簡単に無くしていいのか

今回感じたのは、これです。
この行事は「形」を残すことが大事なのではなく、

・世代を超えたつながり
・役割を持つ経験
・地域の中での居場所
・季節と文化を感じる時間

 この「体験」こそが価値なんだということ。


私の立場として

正直に言うと、私はこの行事と同じ価値観の中で生きてきたわけではありません。

でも今回参加してみて感じたのは、 これは“文化”なんだということ。人が集まり、誰かを思い、健康や幸せを願う。その積み重ねが、地域のつながりを作っている。

だからこそ、立場ではなく、一人の人として「残したい」と思えました。何か手伝えることはしてあげたいなって思いました。


私ができること

無理に守ろうとは思いません。でも、無くしていいとも思えません。

だから私は、「この行事にはこういう価値があるよね」と気づいたことを言葉にしていきたいと思います。


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