見出し画像

下町音楽夜話 Reloaded 503「キッシズ・オン・ザ・ボトム」

■■■本稿は下町音楽夜話503「キッシズ・オン・ザ・ボトム」(2012年2月11日)に加筆修正したものです■■■

いやはや難しいアルバムをリリースしてくれたものだ。素直に楽しめばそれでよしとする向きもあろうが、ここでの登場回数もかなり多い方と思われるポール・マッカートニーの新作は、なんと「キッシズ・オン・ザ・ボトム」と題されたスタンダード曲のカヴァー集なのである。自分の場合は、ザ・ビートルズのポールがジャズということよりも、あの天下無双の大コンポーザーがカヴァー・アルバムということのほうが気になる。つまり、ジョン・レノンならまだしも、ポール・マッカートニーがヴォーカルで勝負してどうするという気持ちがあるからだ。

しかし、コンポーザーとして有名な人間が選んだ曲は、さすがに可愛らしいメロディに溢れている。このアルバムをしっかり理解するには相当の時間が必要だとも思われるが、とりあえずCDとアナログ・レコードを予約して待っていたのだから、発売になった週に第一印象だけでも書いておきたいものだ。

さて、一聴して思ったことは、「随分と上品なテイストでまとめてきたなあ」ということに尽きるだろう。バックアップはダイアナ・クラールと彼女のバンドである。またゲストはスティーヴィー・ワンダーとエリック・クラプトンという豪華な名前が挙がっている。ブラインド・テストをされてもはっきり答えがわかってしまう個性的な面々だが、せっかくこれだけのスタッフを集めたのであれば、もっとオリジナル曲を聴きたかったという気もしないではない。

14曲中たった2曲がオリジナル曲なのだが、8曲目の「マイ・ヴァレンタイン」にはエリック・クラプトンが、また14曲目「オンリー・アワ・ハーツ」にはスティーヴィー・ワンダーがフィーチャーされている。いずれも必然性を感じないオーケストラが被せてあるが、雰囲気は上々だ。エリック・クラプトンはシンプル極まりないアコースティック・ギターだが、いかにもといった音色で花を添えているし、スティーヴィー・ワンダーは、さすがに一音でレトロな世界に引っ張って行ってしまう個性的なハーモニカを聴かせており、まさにアルバムのトリに相応しいと言える。エリック・クラプトンは12曲目「ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール」でも「おっ!」と思わせるギターを披露している。

今年は御大の70歳の記念すべき年であり、もう一枚アルバムがリリースされる予定だという。「キッシズ・オン・ザ・ボトム」がその序章というわけではなかろうが、いろいろ考えさせられるアルバムであることに違いはない。何せハロルド・アーレンやフランク・レッサーなどのスタンダード曲といわれても、メジャーな曲ばかりというわけではない。ポール・マッカートニー本人が子どもの頃から愛着のある曲を集めてあるというのは、説明されなくとも分かるというものだ。いずれも落ち着いた曲想のものばかりで、夜に部屋を暗くしてお気に入りのアルコールなどを片手に疲れを癒すべく流すものだ。アルバムの統一感は素晴らしく、こういったテイストのものが聴きたいと思っていたリスナーにはかなり嬉しいアイテムとなったと思う。

しかし、しかし、だ。本作は、あの偉大なるポール・マッカートニーのアルバムなのである。そこがどうしても引っかかってしまうのだ。何故2012年の今、6月には70歳になるポールがこれを?ポールは昨年10月にもアルバムをリリースしている。しかしそれは5作目にあたるクラシック・アルバムであり、しかもお初のバレエ音楽の作品だった。彼の創作意欲は全く衰えていない。それどころか、発展傾向にあるのだ。ファイヤーマンのようなアンビエント系プロジェクトに手を染め、サウンド・コラージュのようなリミックス系のものまで範疇とする懐の深さを持っている人間なのだ。決してアイデアが枯渇したなどという次元の話ではないのである。

また、毎度のことながら、ファン泣かせの仕掛けを提示してくる。今回はヴァレンタイン・デー以降にダウンロードできるコードがついてくるデラックス・エディションのCDが同時に発売になる。アナログ・レコードにはフル・アルバムのダウンロード・コードがついているが、それだけでは済まされない。そしてこの内容だ。次作に期待せざるを得ない内容は、いろいろ振り返らせてくれる工夫が凝らしてあるようにも思える。ヴァレンタイン・デー直前にリリースしておいて、ファニーではない「マイ・ヴァレンタイン」を提示してくれるのも面白い。オーケストラを起用しても実にシンプルな味付けで、大仰にはならず、クラシック・アルバムとは違うということはしっかり主張していたりもする。

そしてアルバム・ジャケットの写真だ。カメラマンだった故リンダ・マッカートニーの影響か、彼のアルバムのインナー・スリーヴには毎度饒舌な写真が使われていた。今回はスタジオ内のリラックスした雰囲気の写真など、さほど饒舌とはいえないものばかりだ。しかし、アルバム・ジャケットの写真はいかがなものか?シンプルかつ上品に仕上げてあるデザインだが、カントリー・スタイルの大きなブーケを抱えたポールのモノクロ写真は一体何を物語っているのだろうか?決して豪華にはなり過ぎないようにという配慮が隅々まで行き届いているようだ。

果たして、御大、原点回帰を目論んでいるのか?本来の自分のスタイルではないジャズまでやって、やることは全てやり尽くしたぞ、と。そこで、次は自分の原点に戻ってみるかということなら辻褄が合う。しかし、それって、最後の最後にやるべきことではなかろうか?そう考えると、なんだか急に寂しくなってしまうのだが…。まあ、2005年の「ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード」以降、その傾向はずっと見てとれるのだが…。


■2026年の独り言■
やはりこのアルバムではマイ・ヴァレンタイン」が断然よろしいわけです。ブラッド・メルドーも早くからカヴァーしておりましたね。この盤、オーディオ的にも相当のレベルよ思われます。


いいなと思ったら応援しよう!