理想と現実のあいだ①あのお兄ちゃん、今の息子と同い年
「よく遊んでくれたあのお兄ちゃん、今の息子と同い年なんだよな」
そんなことをふと思い出した。
息子がまだ保育園児だった頃。
保育園に隣接している公園で、帰りによく遊んでから帰っていた。
クラスで仲良しだったお友達は4人兄弟。その子のお家が近かったこともあり、その友達やお姉ちゃん、お兄ちゃんたちによく遊んでもらっていた。
その中でも特によく遊んでくれたのが、2番目のお兄ちゃん。
当時小学5年生だった。
サッカーをやっていて、本当に面倒見が良くて優しくて礼儀正しい。ママたちからも人気者だった。
まだ小さかった息子たちと全力で鬼ごっこをしたり、一緒にボール遊びをしてくれたり。
私はその姿を見るたびに、
「素敵なお兄ちゃんだなぁ」
と思っていた。

子どもが小さい頃って、少し年上の子を見ると、つい我が子の未来を重ねてしまうことがある。
「息子も数年後にはどんな子になっているんだろう」
そんなことを考えながら、そのお兄ちゃんを見ていた。
そういえば今でも同じだ。
制服を着た中学生や高校生くらいの男の子たちを見かけると、つい見てしまう。
「あぁ、あと数年したら息子もこんなふうに制服を着て学校へ行くのかな」
そんなことを勝手に想像している。

たぶん私、少しニヤニヤしていると思う。
もしその子たちに気づかれたら、
「なんか見てるキモいおばさんいるんだけど」
と思われているかもしれない。笑
でも親になると、よその子を見ながら我が子の未来を重ねてしまうことってないですか?
私だけかな🤔
時が流れて、息子も今ではあの頃のお兄ちゃんと同じ小学5年生になった。
実際に成長した息子は、私があの頃なんとなく思い描いていた姿とはまた違っていた。
娘の保育園のお友達と会っても知らんぷり。
妹と遊んでくれることはあるけれど、一瞬で飽きる。
自分の好きなことに夢中になる時間をとにかく大切にしている。
でも、それは決して悪いことではなかった。
息子には息子なりの優しさがあることに気づかされる場面が増えた。
夕方、保育園帰りで疲れて不機嫌になっていた妹に、「おやつ食べる?」と、自分が食べていたおやつを半分こしてあげたり…

私が肩を揉んでほしいとお願いすると、「しょうがないなぁ」と言いながらも揉んでくれる。

そして先日、お小遣いを渡した時にふいにこんなことを言ってくれた。
「来年のカカの誕生日、欲しいもの買ってあげるからこのお小遣いは貯めておくよ」
何気ない一言だったけれど、その言葉を聞いた時、なんだか胸が温かくなった。
優しさの形は一つじゃない。
あのお兄ちゃんは、小さい子と遊ぶのが上手な優しさを持っていた。
そして息子は、また違う形の優しさを持っている。
そして、もう一つ思うことがある。
当時の私は、公園で見かけるあのお兄ちゃんの姿を見て、
「なんて素敵な子なんだろう」と思っていた。
もちろん、本当に素敵な子だったと思う。
でも今なら分かる。
子どもには外で見せる顔と、家で見せる顔がある。
学校や公園ではしっかり者に見える子でも、家では弟や妹とケンカをしていたかもしれない。
親に反抗していたかもしれない。
親があれこれ世話を焼いていたかもしれない。
実際にお兄ちゃんのママから、家での黒歴史も聞いていました。笑
反対に、外ではぶっきらぼうに見える子が、家では家族に優しいことだってある。
私たちはその人のほんの一部分しか見ていない。
それなのに、その一部分を見て、
「きっとこういう子なんだろうな」
と想像してしまう。
「いいなぁ」と思うこともあるし、
「どうしてだろう」と悩む日もある。
それは、親だからなんだと思う。
今回、あのお兄ちゃんの思い出が気づかせてくれた。
私が見ていたのは、その子のほんの一部分だったということ。
そして息子のこともまた、ほんの一部分しか見えていないのだ。
話は聞くけど、学校や外での様子はわかりませんしね。
まだ私が気づいていない良さも、きっとたくさんあるんだろう。
今月、小学校の参観に行ってきます。
知らない息子の姿を見てきます。

小学校に上がるタイミングで今の土地へ引っ越してきたので、あのお兄ちゃん一家とはすっかり会わなくなってしまった。
今頃どうしているだろう。
きっと素敵な青年になっているんだろうな。
元気にしているかな。
そして息子もまた、私の知らないところで少しずつ成長している。
あの頃思い描いた誰かになるためではなく、息子自身の優しさを育てながら。

