私たちの空想はこの繭に守られている
空想することは許されるのか。
この世界では、空想することすら許されないのだろうか。
空想しようものなら、すぐに指導者がやってきて厳しく指導される。
そういうふうに生きてきたのだ。
そういうふうに教育されて生活してきたのだから、無理もない。空想することは、この生活を壊すことに繋がると教えられてきたのだ。この生活が壊されると困る人は多くいる。
だから空想を壊さないように、空想することは禁止されている。
けれど同時に、この空想は守られている。しなやかで柔軟性のある、しかし硬い繭の中で空想が膨らんでゆく。
繭は、その空想に合わせて膨らんでいき、2つは大きく、大きく、長く広がっていく。
そうすることで、空想は一旦僕の体を離れ、繭の中の1つの物体として息づくことになる。それが破られる時、空想は弾け飛び、僕らの世界をゆっくりと染めていく。そうすれば、この町は変わるかもしれない。
空想は守られる。
同時に、空想を解放させることを面白くないと感じる人がいるのは事実だ。僕だって少し前までは、そんな空想など何の役にも立たないと嫌悪感すら感じていた。けれども、僕は歩き始めたことによって、些細な、本当に些細なきっかけによって空想の大切さを知ってしまったのだ。
もう戻れないと思った。
以前の僕には戻れないし、戻ってはいけないのだ。この空想を膨らまし、繭を大きく大きく成長させて、そして弾けさせるのだ。町全体を覆い尽くすほどの大きさの繭を弾け飛ばせる。
町は壊滅状態になる。
いや、実際に壊滅状態になるわけではなく、あくまでも空想の、精神の話である。町を覆い尽くした空想が、町そのものになり替わることも可能である。
空想は止められない。空想は繭に守られている。
誰であろうがその繭を破ることはできない。
繭を破り、外に出るのは空想自身の意思である。
空想以外のものに、空想を壊すことはできない。
だから安心して考えるのだ。安心して想像するのだ。僕が導く。僕は導けるだろうか。僕は選ばれたわけではない。たまたま、彼に出会い、彼と握手をし泣いた。それだけなのだ。彼が何者で何を目的としているのか、そして今、僕は僕と同じように僕を探しているのか、全くわからない。けれど、僕らはそういうふうに空想を強くしなやかに鍛えていくのさ。
