見出し画像

【映画感想文】『四月の余白』「人の痛みに向き合えない者は真に更生できるのか」

 吉田監督は、少年時代から非行を繰り返した、元受刑者の西が更生施設を運営し、非行少年少女たちに「過去は変えられないが、未来は変えられる」という理念のもとの向き合っていく姿を描いている。しかし私は、人の痛みがわからない者が、心から更生できるのか、という疑問を持ったのである。
 
 更生施設に入居した海斗は、他人にどんな残虐な行為をしても「人の痛みはわからない。自分はまったく痛くないから」と言い放つシーンには一種の驚きと衝撃を受けた。
 
 本来、非行をおこなう子に対して向き合うのは、親や教師であろう。しかし、加害を繰り返す海斗にどのように向き合えばいいのか、その術がないように感じるのだ。親は諦め、教師は長い間苦悩し、向き合い方を模索している。海斗と向き合うことができるのは、唯一同じ非行を繰り返してきた西だけが可能なのではないか。
 
 更生施設に入居している少女が、「先生が同じ目線に立ってくれて理解してくれたから立ち直れた」と感謝するシーンは、西の人間性を伝えているように感じる。しかし少女は「先生はやられた側の人の痛みはわかっていない」という言葉も西の実態を暴き出しているのではないかと思うのである。
 
 「人の痛みがわからない」海斗は西と向き合ったことで、未来を変えられる予感めいたものを感じる。西は、過去の自分を猛反省し今に至っている。しかし二人がおこなった残虐行為に障害を持ち苦しむ人がいるのも事実だ。過去の罪は一生つきまとうのではないか。
 
 「人の痛みがわからない」ということは、更生してもなお、人間の心の根底には変わらないものが残るのではないか。吉田監督は、二人の根底を描きつつ、真に二人は更生できるのかという問いに、明確な答えは持ち合わせていないようだ。
 
 ただ吉田監督は、人には想像力が備わっていることに希望を持っているのではなかろうか。西はその想像力を使い、更生の道を歩んできたのではないか。海斗にも同様のことができる可能性を希求しているように感じる。想像力。それが「余白」ではなかろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集