暗闇のなかで春巻きを作る
料理への情熱が持てずに今日まで生きてきてしまった。きょうも安定にやる気がなく「手作り春巻きを作ろう」と思った。私がめんどくさくてたまらないときに作り始めるのが春巻きである。なぜなら春巻きの皮を包むあの単純作業が好きだからだ。
無心になって具を包んでいくと妙に落ち着く。手作り餃子も同じ理由で作るのが好きな方だけど、生の肉に触れたくないのと、皮が小さすぎて途中で飽きるのでやはり春巻きがいい。
ちなみに「得意料理」を聞かれたときは「春巻き」と答えている。すると、すっごい料理する人みたいになる。皮を包むのが好きなだけなんだけど、悪い誤解ではないので黙っている。
家族がいないとき、私はキッチンの電気を消して料理をしている。ちなみにトイレもお風呂も昼間は電気を消して入る。窓があるので真っ暗ではない。でも夜もたまに消したまま入る。
今日は夜から仕事だったので、夜ご飯のために薄暗いキッチンでもくもくと春巻きを包んだ。春巻きのいいところは達成感があるところ。ぜんぶの具を皮に収め切ると「やった感」がある。すばらしい。
こんなに素晴らしいことをしているのに電気を消しているだけで猟奇的な風景になる不思議。サスペンスやホラー映画のシーンにありそう。
なんだかめちゃくちゃ元気がない!(元気よく言ってみる)
気持ちが落ちるとき、手のひらに乗せた心臓を、ぎゅーっと握って圧迫するような分かりやすい身体感覚がある。実際にいてててて、って感じるから妙な感じ。
最近気づいてしまったことがあるんだけど、お子さんの不登校について綴られる方の記事がものすごく自分の慰めになる。正確にいうと、たぶん私の中にいる小学生の私が激しく救われている。
子どものそのままの姿を肯定しようとする眼差しや、子どもの様子に一喜一憂する親としての関心と愛情が読んでいて本当に心に刺さる。
書いておられる方はまさか同じ母親の立場の42歳が子ども側に立って慰められてるなんて思いもしないだろう。私に向けた記事ではないのは重々承知しているんだけど、刺さるものは刺さってしまう。
この記事に書いたパワフルな友だち。
心の不調で入院すると連絡がきた。
そうか、あのはみ出すほどの元気さは、そういうことだったのか。
なんか急に世界の見え方というか角度が変わってしまったように思えるときがある。何を確かなものとして信じていたんだっけ、と分からなくなったり、何気ない日常の送り方について考え込んでしまったりする。
あ、一歩踏み違えたらあっちなんだったってハッとする。なんて、こんなことを書いたらますます暗闇の中で春巻きを作る行為がサスペンスみを帯びてくるな!
やばそうすぎるけど、大丈夫です。
