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【JR】川崎駅 120%満喫する ラゾーナ・ミューザ・アゼリアますます繁盛 全国6位の川崎の中心駅

JR川崎駅は、神奈川県川崎市にあります。
 
神奈川第2の都市であり、都道府県庁所在地でない都市としては全国1の人口を持つ川崎市の、中心駅です。
 
人口155万人は、全国第6位。
2019年に悔しいことに神戸市が抜かれました。
神戸市は7位です。
 
ここは駅の東口。
ものすごく大きなロータリーが2つあり、バス乗り場やタクシー乗り場、一般乗降用スペースなどが効率よく整備されています。
 
街路樹も多いので、殺風景な感じは全くありません。とてもバランスが取れています。
 
アンダーグラウンドにも巨大な地下街が広がり、大勢の人がひっきりなしに行き交います。
 
地下へ通じる出入口はとても大きいですが透明な素材が多く用いられ、開放感があっておしゃれです。
 
地下街アゼリアには世界一短い、わずか5秒で終了するエスカレーター、プチカレーターがあります。
そうなんですね。
地下は人がいっぱいで撮影が難しいので、行ってなかったですが、そんなものがあるのなら行っておけばよかったですね。
そもそも、エスカレーターにカメラを向けるのはタブーなんですが、プチカレーターなら撮影してもいいでしょうね。
そういえばこの前行った米原駅にも、ものすごい短いエスカレーターありましたけどね。
 
アゼリアを通って、京急川崎駅にアクセスすることもできます。
京急川崎駅は、北東に200m離れています。
 
この庭の白い文字は、BE KOBEを連想しますね。
少し小さいですが。
 
川崎市は、「上を向いて歩こう」などで有名な、坂本九さんの出身地でもあります。
坂本家の9番目の子供で、名前のネタに尽きたので、9番目の9と命名されたと言います。
安易ですね。
現代の、ものすごく考えて名前を付けるキラキラネーム世代の人からすると、信じられない話ですね。
エルヴィス・プレスリーにあこがれ、その物まねで人気者だったそうです。
 
当駅1・2番線の発車メロディとして、また京急川崎駅の接近メロディとして、上を向いて歩こうが採用されています。
 
地名の由来のコーナー
 
川崎市のホームページによれば、川崎は多摩川の河口に近く、三角州つまりデルタ地帯の上にできた町です。
川は多摩川、崎はデルタ地帯を表します。
多摩川のデルタ地帯、という意味なんですね。
 
駅のすぐ北側を多摩川が流れており、そこから向こうは東京都です。
もうほとんど東京ですね。
兵庫県で言えば、もうほとんど大阪の、尼崎に相当しますね。
 
東口周辺は、古くからの大繁華街が広がります。
 
駅前を京急の高架線が通っています。
防音壁などありませんので、車両がよく見えます。
川崎駅の風景の一部となっていますね。
 
市街地の中を赤い車両が高架で走り抜けていくのは、なかなかかっこいいです。
いい風景ですよね。
 
駅の東側には、最近立派な庁舎のできた川崎市役所、川崎競馬場、富士通スタジアムなどがあります。
 
川崎球場と言えば客入りの悪かったことで有名で、その客も試合中にスタンドで麻雀をしたり、流しそうめんをしたり、川崎競輪場の競輪を観戦したりしていたそうです。
 
それでは次に、駅の西口へ移動しましょう。
 
北側にある東西を連絡する自由通路と北改札は、2018年に整備されました。
 
西側にはかつて東芝や明治製菓の工場が建ち並んでいました。
1980年頃まで、これらの工場に通じる専用線が延びていました。
 
明治の工場跡地にはソリッドスクエア、東芝の事業所の跡地にはラゾーナ川崎など、工場撤退後に大規模な再開発が行われています。
ますます尼崎に似ていますね。
尼崎駅も昔は工場がたくさんあり、専用線が延びていました。
今は商業施設とかマンションとかが建ち並んでいます。
 
ラゾーナ川崎プラザはとても大きく、単一のショッピングセンターとしては全国1位の売上高を誇ります。
 
いやー、これは神戸完敗ですね。
「かんぱい」て飲み始める時のあれじゃないですよ、完全なる敗北という意味です。
神戸にはこんな大きいショッピングモールありませんからね。
負けを認めます。
 
続いて、川崎の歴史のコーナー
 
川崎は中世においては平間寺(へいけんじ)、通称川崎大師の門前町として栄えました。
 
江戸時代には東海道五十三次の二番目の宿場、川崎宿が置かれました。
品川宿の次、神奈川宿の手前でした。
 
駅から2つ東の通りが旧東海道で、そのあたりが宿場の中心でした。
現在東海道川崎宿交流館が建っているあたりです。
 
多摩川を渡る六郷(ろくごう)の渡しに隣接し、また川崎大師への分岐点でもあったので大いに栄えました。
 
ロータリーの中央、赤レンガ倉庫があおむけに倒れています。
西口には、旧国鉄の変電所である赤レンガ倉庫が建っていましたが、1999年に解体されました。
正面の外壁部分があおむけになることで保存され、他にレンガ倉庫をモチーフにしたアート作品が置かれています
 
音楽ホールやオフィスビルの入るミューザ川崎は、赤レンガをモチーフにしたシックなデザインで統一されています。
 
川崎宿では1729年、ベトナムから8代将軍徳川吉宗へ献上されたゾウがこの地を通った記録があります。
多摩川は船橋で渡りました。
大丈夫ですか? 沈まなかったんですかね。
 
明治時代に入ると、鉄道が開通し様相が一変します。
 
当駅が開業したのは、1872年(明治5年)7月10日。
ええ? 鉄道の日より前じゃないですか。
 
そうなんです。
官設鉄道東海道線は、1872年6月12日に、横浜と品川の間で仮開業していましたが、約1か月後にその途中駅として神奈川駅と共に当駅が開設されました。
 
つまり当駅は、神奈川駅と共に、日本で3番目に古い駅ということになります。
 
新橋・横浜間が正式に開業したのが同じ年の10月14日で、この日が鉄道の日となっています。
 
鉄道が開通し、また多摩川に六郷橋が架かると、東海道川崎宿は一気にさびれました。
まあ、そうなるでしょうね。
 
しかし川崎自体が寂れたわけではありません。
 
人々は鉄道を使って旅することを覚え、当駅で降りて川崎大師へ参拝に向かう人も大勢いました。
正月三が日の休みの習慣が広まると、正月にお参りする人が急増し、明治の官設鉄道もそれに合わせ急行列車を臨時停車させたり臨時列車を運行したりしました。
 
明治31年、川崎駅と川崎大師とを結ぶ大師電鉄が開業します。
これは川崎大師への参拝客を見込んだもので、いわゆる参詣鉄道の走りと言われています。
 
日本人が正月に初もうでをするようになったのは比較的最近のことで、鉄道によって広まった習慣なんですね。
 
大師電鉄はその後、品川や横浜方面へ路線を延長していきます。
それが今の京浜急行電鉄です。
 
川崎は鉄道によってますます発展していきます。
 
1927年には、南部鉄道が登戸(のぼりと)まで開通します。
現在、当駅と立川(たちかわ)とを結ぶ南武線です。
 
鉄道網はさらに充実していき、京王相模原線、東急東横線、東急田園都市線、小田急線なども市内を走るようになりました。
 
川崎は臨海の工業地帯、川崎駅周辺などの繁華街以外は、ほとんどすべて住宅地と言っても良い状況で、ベッドタウンが延々と広がります。
特に武蔵小杉周辺はタワーマンションが林立していて、壮観です。
 
川崎市民の、東京都へ通勤通学する割合は40%を超えており、いわゆる神奈川都民がここにも大勢います。
川崎都民とも言うそうです。
 
JR東日本では、駅構内のyoutube活動はできませんので、自由通路であるこの辺りが限界です。
ご視聴ありがとうございました。


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