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だから美術展巡りはやめられない!|『どこ見る?どう見る?西洋絵画!ルネサンスから印象派まで』

一つの絵を目の前にした瞬間、今までに感じたことがない、思わず息をのむような不思議な感覚と恐怖に包まれるという体験をしました。

なんか不思議。なぜ、不思議?

こちらは、バロックに描かれたスペイン画家「ファン・サンチェス・コターン」の作品「マルメロ・キャベツ、メロンときゅうりのある生静物」

題名の通り、野菜がどこまでも丁寧に、細部まで書かれているだけなのに、何だか怖い。黒の余白がブラックホールのように無限に感じるから?そういえばキャベツの影が見当たらない?気がつけばずっと見ていたい衝動にかられ、絵に吸い込まれそうな感覚に。


京セラ美術館へ

そんな体験をするとも知らずに訪れたのは、京都にある京セラ美術館。京都で一番好きと言っても過言ではない、わたしのお気に入りの場所です。

京セラ美術館はいつ見ても美しい。

そして、早速お目当ての美術展へ向かいます。
なんと嬉しい限り、全ての作品の撮影が可能でした。

「どこ見る?どう見る?西洋絵画!」
題名から好奇心がくすぐられます。

この美術展では、ネサンスから印象派まで、作品を比較できるように年代やカテゴリーごとに展示されています。また、どのように注目して鑑賞すればよいかの説明書きもあり、最後まで飽きることはありません。


ルネサンス期の作品を自由に見てみる

ルネサンス期は宗教画の作品が多く、作品の解説を読むのに必死に。それでも、なるべくじっくり絵を味わうように、見てまわりました。

まず印象に残ったのは、両手を広げてもまだ足りないほど大きな作品。まるでイタリアの教会にいるような神聖な気分になります。

ルカ・シニョレッリ
聖母載冠
1508年

次に目を引くのは、16世紀最も成功した女流画家、「ソフォニスバ・アングィッソーラ」の作品。

ソフォニスバ・アングィッソーラ
スペイン王子の肖像
1573年頃

この時代で成功した女流画家はめずらしかったのだとか。もし西洋で「朝ドラ」があったら、主人公の題材にぴったりなんだろうな、と勝手に空想を広げてみます。

比較しながら鑑賞してみる

ここから当美術展のコンセプト通りに、比較しながら見て印象に残った何点かを紹介したいと思います。

キリストの捕縛を描いた二つの絵

まずはこちらの作品。

ヒエロニムス・ボス
キリストの捕縛
1515年頃

それぞれの顔の表情がアニメのように誇張されて描かれているのがとても印象的です。キリストは先ほどの「聖母載冠」のような、神聖なイメージしかなかったので、この描かれ方はかなり衝撃的でした。

続いて比較対象となる絵。

パルトロメオ・マンフレーディ
キリストの捕縛
1613-15年頃

等身大のキリストがまさにそこにいるように、ドラマの一場面を見ている気持ちに。そして、どんどん悲しく辛い気分になっていきます。

当時はカトリックvsプロテスタント(偶像崇拝禁止)の時代にあって、カトリックはより、人々に信仰してもらえるように、感情を揺さぶるような作品が多くなっていったのだとか。激動する時代の流れの中で、新たな表現が生まれ、人々が影響されていく。絵を前に、大河の流れに飲み込まれそうで、自分の小ささにただ立ち尽くします。


悔悛するマグダラのマリアの衝撃


じっと見つめてくる視線を感じ、思わず立ち止まります。

ジュリオ・チェーザレ・ブロカッチーニ
悔悛するマグダラのマリア
1620年頃

そこには、感情むき出しのマグダラのマリアの姿が。骸骨を手に抱えながら今にも泣きそうな、思い詰めた目。

うう、言葉が出ない。何だか胸が苦しい。「何かあったの?」と聞きたいけれど聞けない雰囲気。最近感じたことのない感情が溢れ出てきます。

続いての比較対象はこちら。

パルトロメ・エステバン・ムリーリョ
悔悛するマグダラのマリア
1660-65年頃

感情は先ほどよりは読み取れないせいか、いつまでも見ていられそう。描かれた時代はおおよそ同じですが、画家が違うとこんなにも表現が違うとは。比較しなければ見過ごしていたかもしれません。

心惹かれた静止画


そして、冒頭の作品に戻ります。

ファン・サンチェス・コターン
マルメロ・キャベツ、メロンときゅうりのある生静物
1602年頃
(再掲)

描かれた時代はバロック。先程のキリストの捕縛の絵の「黒」の背景や「スポットライト」で照らされた対象物に共通点を見出します。ただ、何回見ても、遠くで見ても、近くで見ても、やっぱり何だか怖い。 

そして、比較されていた絵がこちら。

ファン・バン・デル・アメン
果物籠と猟鳥のある静物
1621年頃

先程の絵と違って安心して見られる絵だと感じます不自然な余白がないからでしょうか。猟鳥が吊るされているので、怖く見えてもおかしくないのに、先程の絵が強烈すぎて、感覚が鈍っているからでしょうか。

比べてみなければ気づけなかった感覚に、美術鑑賞の面白さを感じます。そして自分の新たな感情や心の揺さぶられ方の幅に、西洋絵画の奥深さを感じずにはいられません。

ほっと一息、風景画

絵に感情を持っていかれすぎて疲れた頃に、美しい風景画が目に入ります。

イギリスなどからイタリアを訪れヨーロッパ文明の源を体験するために周遊する「グランド・ツアー(大旅行)」の流行により、旅行者が帰国時に都市景観画や肖像画を持ち帰ったことは、美術制作に大きな影響を与えました。

18世紀 美術展の展示パネルより

まずは、この一枚を。

ベルナルド・ベロット
ヴェネツィア・サン・マルコ湾
1740年頃

本物か写真かで見間違うようなほど緻密に描かれたヴェネツィアの風景。近くで見るとより、その精密さがわかります。当時の人は、この風景を目に焼き付けると同時に、思い出と共に持ち帰って部屋に飾ったのでしょうか。

比較となる絵はこちら。

フランチェスコ・グアルディ
南側から望むカナル・グランデとリアルと橋
1775年頃

先ほどと同じヴェネツィアの風景です。先程の絵の方が精密さは上回りますが、人々の活気や街の雰囲気はこちらの方がよく伝わってくるように感じます。

描く人、切り取る場所によって、風景も全く違う一面を見せる。絵はまさに画家を照らし出す鏡だと感じます。


まるでフェルメールのような一枚の絵

そして、今回の展覧会で特に異彩を放っていると感じた一枚はこちら。

ヤーコブス・フレル
座る女性のいる室内
1660年頃

フェルメールを彷彿させる絵は、同じオランダ画家の作品です。実際には最近までフェルメールと間違われていた作品もあるようです。

表情は窺い知ることはできませんが、頬杖をつくその雰囲気から、どこか物憂げな心の動きが伝わってくるよう。この何気ない日常を描いた絵に、普段の自分が重なるようで親近感が湧き、いつまでも眺めていたい気分になります。

一番奥の黒い長方形は、かつてはベットに横たわる人が描かれていたそうですが、黒で塗りつぶされてしまったようです。なぜ、塗り潰したのか?絵に納得がいかなかったのか?自由に想像ができるのも、この絵のいいところだと思います。


だから美術展巡りは、やめられない!

今回の美術展で、こんなに感情を大きく揺れ動かすこになろうとは。絵を前にすることで、普段蓋をしている感情が一気に溢れ出し、新たな自分の一面と出会ったようでした。

そして、同時に学んだことは、”比較”という視点で西洋美術を見る面白さ。

今までは一枚一枚解説を読んで、絵を見て、また解説を読んで、と頭で理解しようと必死でした。そんな私が、比較という新たな視点を手に入れ、絵をじっくり『見比べる』ことをしたことで、頭ではなく心だけで絵を味わおうとしていることに気づきました。

新たな視点を取り入れて自分の目で見て、感じて、心が動かされる。だから美術鑑賞はやめられない!

そんな魅力を再発見した、とても充実した1日となりました。

平日の雨模様の日。
鑑賞している人もほどよい多さだったので
こころゆくまで「ゆっくり」見ることができました。


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