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「好き」を仕事にするということ…

皆様、こんにちは。
鉄道員Kです。

今回はいつもの解説記事とは、少々テイストを変えた投稿です。

といいますのも、現在参加させていただいているSaka.先生のメンバーシップ『Saka.の教室』。こちらの素敵な企画、「春のバトンをつなげよう!」に参加させていただいているからです。

メンバーさんの前の記事の内容を踏まえて、次の記事を書くバトンリレー。書きたい内容を考えて書く従来の形とは違い、前のメンバーの方の記事の内容から紐づきつつ、自分の記事を書くという、ちょっとしたチャレンジ企画です。いつ回ってくるかなとドキドキしながら待っていましたが、ついに自分の番が回ってきた、という訳です。

第31走者である、「ど田舎ママが世界を飛び回るまで」さんの記事のテーマは「好きを超えた導き」でした。

ど田舎ママさんは、島根県でオリジナルのお香づくりをされてきた方ということで、書かれている文章からもとても温かみのある方だなという印象を受けました。
個人的には、こちらの記事も読んでいて「素敵だな」と感じたので、ご紹介させていただきます。

ど田舎ママ様がずっと好きで続けていらっしゃることが「神社参拝」ということで、そのきっかけが出雲地方に移住された際とのこと。私も以前、出雲地方を旅した際に出雲大社を訪れたことがありますが、その荘厳な空気の中で不思議なパワーをもらったような気がしたのを思い出しました。

そんなど田舎ママ様には、こちらの写真を進呈したいなと思います。
以前、出雲地方を旅した際に撮影した個人的にお気に入りの一枚です(^^♪


さて、バトンを引き継ぎましたので早速進めていきたいなと思ったのですが、ここのところ続いている「好き」という言葉をキーワードに私も書いてみたいと思います。

私は、現在現役の鉄道乗務員をしています。大学卒業後、新卒で西日本の鉄道会社に就職、そこで駅係員、車掌、運転士、乗務監督職(いわゆる助役などと呼ばれるポスト)を務めた後、2年前に縁あって今の会社に転職することになり、現在は車掌として日々乗務しています。

私自身、幼い頃から鉄道が好きで、周囲の人間からはまさに「導かれるまま」に今の仕事に就いたと思われがちですが、実はここまで様々な葛藤がありました。

元々、物心ついた時から電車が好きだった私。将来の夢が「電車の運転士」になるのはある意味自然なことでした。両親も含め、周囲の大人も「ある時」までは微笑ましく見守っていました。

「ある時」。それは2005年に発生した福知山線脱線事故です。100名以上の方が亡くなり、500名以上の重軽傷者を出した、JR史上最悪の事故です。
あの事故をきっかけに、当時の日勤教育の実態が知られるようになり、両親もそんな世界に自分の息子をいかせたくないと思ったのか、ことある毎に「運転士になりたいなどと思わないように」と言われるようになりました。
今の私なら、多少なりとも自分の意見を返していたかもしれませんが、なにせ大人しい少年だった私には難しく、自然と運転士になりたいという気持ちに蓋をして過ごすようになりました。

その後、進学するに従って書くことが好きだったりしたため、新聞記者を志す時期も挟みながら就活の時期を迎えました。
最初は新聞記者になろうと思っていましたが、どうにもしっくりこないと感じている自分がいました。そこで、ある時改めて考えてみました。

「自分が本当にしたいことって何なのか?」

そうして、ふと頭に浮かんだのが子供の頃に夢見ていた運転士の姿でした。この先何十年とやっていくことになる職業を選択するにあたって、最も自分がワクワクする姿、「なりたい!」と思う姿が、鉄道運転士だったということにその時改めて気づかされたのでした。

それからは、鉄道会社の現業職を軸に(もちろん、他の業種も受けはしましたが…)就職活動を進め、縁あって前職の会社に入社することになりました。

……が、ここでも「葛藤」がありました。前職の会社での採用枠は「総合職」。いわゆる「幹部候補生」として会社の経営に将来的に携わる役割を期待されての入社であり、私が思い描いていたような、ずっと現場の第一線で運転士をするポジションではありませんでした。

運転士にはなれるけど、近い将来に運転士を「卒業」しなければならない…その現実に私は悩みました。
悩んだ末、私が出した結論は「一瞬でも運転士が出来るのなら、とりあえず入社してみよう」というものでした。世の中、運転士になりたくてもなれない人がいる中で、一瞬でもチャンスがあるなら飛び込んでみようと思ったわけです。

ところが、これが大きな「誤算」でした。
国家試験を受けて、晴れて運転士として独り立ちすると、それがあまりにも「性に合っている」ことに気づいてしまったのです。 
運転士として勤務する中で、運転の奥深さを感じたり、沿線で手を振る子供たちの姿を見たりしているうちに、「この仕事がずっと出来たらいいのに…」と何度も思うようになりました。

当時、会社の上層部からは「1年運転できればいい方」と言われていたので、そうなるとタイムリミットはわずかな期間となってしまいます。私も1年でハンドルを置く覚悟をしましたが、幸か不幸か人手不足もあり、その後は監督職を務めながら約3年間ハンドルを握ることができました。これは当時としては異例の措置でした。

しかし、いつまでも運転士が出来るわけでないことに変わりはなく、加えてコロナ禍で会社の経営が思わしくない状態となる中で「ここであと何十年という会社員人生を過ごすべきなのか」と悩む日が続きました。

そしてついに辞令が下りて、ハンドルを置く日が決まりました。
……ものすごく辛い瞬間でした。そして辛いと思ったその時点で「転職しよう」と決めたのでした。

……が、これがまた一波乱。はじめは家族の猛反対を受けます。両親からは「大学まで出したのに運転士!? 信じられない」と吐き捨てるように言われ、妻からも当時、小田急線や京王線での殺傷事件があったことから「危険な目に遭うかもしれない職なんて…」と言われました。

しかし、やはり自分の気持ちには嘘がつけなかったので、話し合いを重ね、最終的に妻からは理解を得ることができました。
今もこうしてついてきてくれた妻には感謝しかありませんし、一生頭が上がらないです。

両親のほうは…正直今も揉めています。半ば諦められている感じですね(笑)


さて、そんなこんなで転職して、今晴れてまた乗務員として仕事をしている訳なのですが、ここでお話したいのが

「好きを仕事にするということ」

です。

よく、「鉄道会社には鉄道オタクは受からない」という話を聞きます。
これ、私は「半分正解で、半分間違い」だと思っています。
確かに、所謂鉄道オタクのように「鉄道しか見えていない」ような方は、視野が狭かったりしがちですからそういう意味では受かりにくいのかもしれません。

しかし、この業界は「鉄道が好き」という気持ちがないとやっていけない世界でもあると思います。
運転士においても、車両の特性や線路条件、時間帯の混み具合等を色々考えながら運転することが求められますし、車掌もいかにお客様に分かりやすい放送をするか、車内の空調をいかに快適に調整するか等、様々な事を考えて乗務する必要があります。
これが、鉄道に全く興味がないと考えるのも面倒くさいとなりますが、鉄道が好きだと考えることが苦にならないので、よりお客様の立場に立った仕事が出来るという訳です。
そういう意味で、この業界は鉄道好きな方が活躍出来るといえます。

実際、2社の鉄道会社で働きましたが、どちらの会社にも所謂「鉄道好き」な方はいっぱいいらっしゃいましたし、そうした方は皆、様々な知識・経験を豊富に持ってらしゃったりしました。

それ故に私は思うのです。
「好きを仕事にするの、全然ありじゃん!」

これから就職活動をする若い方にも、自分の好きなこと、興味のあることを職業選択の軸にしてほしいと思っています。

世間では「こういう業態が稼げる」「○○の業界はオワコンだ」等と、いわば損得で物事を測る見方がありますが、自分が全力で頑張れる、頑張りたいと思えるものなのであれば、それに勝るものはないと思います。

いまも乗務していると、リクルートスーツ姿の方をよく見かけます。皆さん、一人一人に素敵な将来が来ますようにと祈りながら日々乗務しています。


さて、かなり長々と書いてしまいましたが、私の記事はこの辺までとしたいと思います。

今回、私が鉄道業界を目指すきっかけを振り返ってみましたが…本当は書きたいこと、世間に伝えたいことがまだありました…。

ただ、こちらを書いてしまうとさらに長くなりそうでしたので、また近日中に別の記事で公開したいと思います。


私は鉄道関連のニュースや、日頃仕事をしている中で感じた事を記事にしています。
もし、ご興味がある方がいましたら、是非ほかの記事もご覧ください!


さて、次の方にバトンを回したいと思います。
次の方は、りらの花さんです。
精力的に様々な活躍をされている方です。
私のとりとめもない記事から、どんな記事を生み出していただけるのか…楽しみです!
よろしくお願いします!




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