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346.全力の3分11秒〜早期退職夫と、再婚妻の日常〜



我が家ではいつも突然、
抜き打ち検査のように「それ」が始まる。

子どもの頃から耳に馴染んだ、あのメロディ。

チャンチャンチャチャチャチャチャ
チャンチャンチャチャチャチャチャ

リビングに録画のイントロが響き渡った瞬間、
私はニヤリと笑い、
パブロフの犬さながらに、
その場でスクッと立ち上がる。

少し広めのスペースを確保し、
すでに全力の構えでスタンバイしている
夫を横目に、
スタートまでの数秒で体勢を整える。

「ラジオ体操第一、よぉ〜い!」

掛け声とともに、
私たち夫婦の“儀式”が、粛々と幕を開ける。


最初は、
夫が早期退職した後の運動不足対策だった。

「とりあえず、毎日何かやろっか」

そんな軽いノリで始めたはずだった。

なのに、どうしてこうなった。

気づけば我が家では、
あのイントロが流れた瞬間、
問答無用で身体が動く、
完全な条件反射が出来上がっていた。


特に、夫が妙に真面目なのだ。

腕を伸ばす角度も、
膝の曲げ方も、
なぜか毎回ちょっと本気。

時々チラチラとこちらを盗み見しては、

「今の、結構キレてたやろ」

と言わんばかりのドヤ顔を決めてくる。

いや、人生で初めて見た。

ラジオ体操に「キレ」を求めている人。


でも、
そんなくだらない時間に、
私は案外、救われている。

特別なイベントがあるわけじゃない。

誰かに自慢できるような、
映える日常でもない。

それでも、
同じ音楽で跳ね、
同じ動きで四肢を伸ばし、

最後は二人で、

「イテテテ……」

と腰を押さえながら笑い合っている。

そんな時間が、
なんだか猛烈に平和で、
なんだか無性に愛おしい。


若い頃の私は、
幸せってもっとドラマチックで、
特別なものだと思っていた。

でも、
酸いも甘いも噛み分けて再婚した今ならわかる。

幸せって、
案外こういうところに転がっている。

ラジオ体操のイントロだけで、
おじさんとおばさんが揃って
条件反射を起こしている
このリビングの光景こそ、

人生のなかで、
かなり上等な幸せの部類なのだ。

今日もまた、
我が家に、あの音が響き渡る。

チャンチャンチャチャチャチャチャ。

さて。
今日の夫の“キレ”は、どうだろう。


本田健さんの
ハッピーライティングマラソン#52
「最近、思わず笑ってしまった出来事は?」
に参加させていただきます。

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