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「あなたのため」という善意ほど厄介なものはない。価値観の押し付けとの「大人の付き合い方」

皆さまのセールスコンサルタント、ごりごりのおちびさんです。
いつもお読みいただきありがとうございます。

お盆休みですね。
すでに帰省先で一息ついている方もいれば、「あぁ、これから親族と顔を合わせるのか……」と、密かに憂鬱な気分を抱えている方も多いのではないでしょうか。

久しぶりの実家での団欒。
しかし、その食卓の席で、こんな言葉を投げかけられて消耗した経験はありませんか。

「そろそろ安定した仕事に就いたらどうだ?」
「子供の顔が見たいわ。あなたのためを思って言っているのよ」

悪気がないのはわかっている。

けれど、自分とは明らかに違う価値観を「善意」というオブラートに包んで押し付けられる息苦しさ。

一生懸命に自分の仕事やスタンスを説明して反論すれば角が立ち、かといって黙って微笑んでいれば、少しずつ自分の心がすり減っていく。

人はなぜ、帰省するたびにこれほど徒労感を抱えるのでしょうか。
それは現代のお盆という行事が、全く異なる「幸せのモノサシ」を持つ人間同士が、血縁という理由だけで同じ食卓につかされる場へと変質してしまったからです。

かつての日本では、「結婚し、家を持ち、安定した企業で勤め上げる」という単一の価値観を、社会全体が共有していました。

帰省とは、その共通のモノサシの上で、互いの進捗を確認し合うための合理的な儀式だったのです。

しかし今はどうでしょう。

生き方も、豊かさの定義も、無限に多様化しました。
過去のモノサシを疑わない親族と、全く別の尺度で人生を測っている私たち。

そこで交わされる会話は、もはや家族の団欒ではなく、前提を共有しない「異文化コミュニケーション」に等しいのです。

なぜ、人は自分の価値観を押し付けたくなるのか


そもそも、なぜ彼らはあなたに干渉してくるのでしょうか。
その言葉の裏には、彼ら自身も無自覚な、複雑に絡み合った心理が隠されています。

最大の理由は、自分の人生の「答え合わせ」です。

親世代の多くは、やりたいことを我慢し、社会的な正解とされる道を歩むことで安心を獲得してきました。

もし下の世代が全く違う生き方で幸せになってしまうと、彼らは無意識下で「自分の過去の我慢は無駄だったのではないか」という恐怖を覚えます。
だからこそ、あなたを「自分が通ってきた道」に引きずり込み、自分の過去を肯定したいのです。

さらに、人は理解できない未知の働き方やライフスタイルに対して不安を覚える生き物です。

「安定した仕事に就け」というアドバイスの正体は、相手の未来を案じているのではなく、「私が理解できる枠組みの中に収まって、私を安心させてくれ」という自己中心的な欲求に過ぎません。

そこに「身内なのだから踏み込んでも許される」という血縁特有の甘えが加わり、相手を独立した個人ではなく、自分の延長線上として捉えてしまうのです。

つまり、彼らが押し付けてくる価値観は、あなたのためではなく「彼ら自身を守るための防衛本能」です。

相手の防衛本能からくる価値観に対し、こちらのモノサシで理解させようとするのは、不毛な消耗戦でしかありません。

では、価値観の違う相手から自分の心を守るために、私たちはどう振る舞うべきなのでしょうか。

結論から言います。

相手の言葉に対して、「承認」と「同意」を完全に切り離すことです。

「承認」しても「同意」はしない


少し、私のフィールドの話になります。

本業は、形のない「空間」を「素材」と「ストーリー」で価値を適正価格で提案するセールスの最前線です。

絶対的な正解がないものを扱うため、現場ではお客様から的外れな価値観や、理不尽な要求をぶつけられることが多々あります
(これらも多くの場合、顧客側の不安や防衛本能から来るものです)。

その際、凡庸な営業マンは「それは違います」と反論して相手を怒らせるか、「おっしゃる通りです」と迎合して不当な要求を呑み、自らの首を絞めます。

しかし、私は反論も迎合もしません。
私が使うのが「承認と同意の分離」です。

「なるほど、お客様はそのようにお考えなのですね(=承認)」
「ご不安に思われるお気持ちは、よくわかります(=承認)」

このように、相手が「そう思っていること」自体は100%受け止め、存在を肯定します。

これが「承認」です。

しかし、決して「私もそう思います」「あなたの言う通りにします」という「同意」の言葉は口にしません。

相手のメンツを完全に保ちながら、自分の陣地には一歩も踏み込ませない。多くの人が人間関係で消耗するのは、この二つをごちゃ混ぜにしているからです。

相手の意見を「承認」したからといって、それに「同意」して自分の生き方を変える必要など、どこにもないのです。

「あなたのため」を無力化する魔法の言葉


この技術は、お盆の食卓でもそのまま使えます。
親族からの「あなたのためを思って」という善意の押し付けに対して、反論をする必要はありません。

「私のことを心配してくれているんだね。ありがとう」
「そういう生き方が一番安心だよね。教えてくれてありがとう」

これで十分です。

「心配してくれているという事実」と「相手の価値観」だけをふわりと承認し、そこで会話に区切りをつける。

心の中では「でも、私は私の生き方をするけれどね」と線を引いておくのです。

相手は「自分の意見を受け止めてもらえた」と満足し、それ以上攻撃してくることはありません。

戦わずして、相手の矛先をかわす。

これこそが、無駄な摩擦を避けながら自分の心を守る、知的な大人の振る舞いです。

哲学の名著が教える「境界線」の引き方


この「他者の価値観と自分の価値観を切り離す」という思考法は、歴史的な名著の中でも極めて重要な教えとして記されています。
古代ローマ皇帝であり、ストア派の哲学者でもあったマルクス・アウレリウスの『自省録』です。

彼は作中で、「他人の心の中に何があるかを気にする必要はない。ただ自分の内なる価値観だけを真っ直ぐに保て」という趣旨の言葉を何度も残しています。

身近な人間であるほど、私たちはつい「すべてをわかり合わなければならない」という幻想を抱きがちです。

しかし、どれほど血が繋がっていようと、違うモノサシを持った別の人間であることに変わりはありません。

他者があなたにどのような言葉を投げかけようと、それに「同意」して自分の心を明け渡さない限り、あなたの価値が傷つくことはありません。

わかり合えないことを嘆くのではなく、「わかり合えないこと」を前提に、境界線を引くこと。

他者の価値観を否定せず、かといって自分の価値観も絶対に明け渡さない。さらに、「承認」と「同意」を切り離し、心の中に誰にも侵されない城壁を築くこと。

これこそが、多様化する現代を生き抜くための、強力な生存戦略となるはずです。

ごりごりのおちびさん


【追伸】

前回の記事では、今回とは逆の視点である「自分が『正しい』側に立ってしまった時の振る舞い方」について書きました。

自分が100%正しいと確信している時ほど、完璧な正論で相手を追い詰めるのではなく、あえて相手に「逃げ道」を残しておく。

今回の「他者の正しさを躱す付き合い方」と対になる、不要な摩擦を避けて目的を達成するための「大人の兵法」です。

まだお読みでない方は、ぜひこちらも合わせてご覧ください。


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