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【映画感想文】名前が持つ力って思うより強力かもしれない 『ネバーエンディングストーリー』

先日、雨がしとしとと降り続く週末に、子どもたちと一緒に『ネバーエンディングストーリー』を観た。夫も私も子どもの頃に観て、いまも心に残る思い出の映画だ。

【あらすじ】
孤独な少年バスチアンが、読み始めた本「ネバーエンディングストーリー」の中の世界ファンタジアに入り込み、主人公とともに冒険を味わいながら、自分自身に向き合い、成長していく物語。

初めて観たのは小学何年生だったか。「虚無」という言葉が頭の中で変換できなくて、「キョム」という名前の何者かだと思っていたことを思い出す。

数十年ぶりに改めてこの映画を観て、そういうことだったのかと気付いた点がいくつかあった。

一つは主人公のバスチアンが本の世界にのめり込んでいた理由

バスチアンは本を読むのが好きで、この年齢の子どもにしては読書量がすごい。ただの本好きで内向的な男の子、という印象だったが、その理由について、バスチアンと父親との会話の中で語られている。

Bastian: I had another dream, Dad. About Mom.
Father: I understand, son. But we have to get on with things, right? Bastian, we each have responsibilities. We can't let Mom's death..... be an excuse for not getting the old job done, right?
Bastian: Yeah.
(中略)
Father: Stop daydreaming... start facing your problems. OK?
Bastian: OK.

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バスチアンは母親を失った深い悲しみや喪失感から、本の世界へ逃避していた。この背景事情は、その後のストーリーの大筋に直接影響はしないが、物語の出発点として重要な意味がある。この出発点があるからこそ、その後冒険を追いかけながら自分を見つめ、現実から逃避することをやめて、前を向いて歩いていく力を取り戻すという展開が活きる仕掛けになっている。

もう一つは、物語の多次元構造

この映画(原作は本だけど)では、バスチアンが読んでいる本の中の人物が、読者であるバスチアンの存在を知っていて、バスチアンを重要なキャラクターとして物語に登場させるという異次元構造が画期的で印象深いところだ。

今回改めて観て気付いたのは、本の世界←それを読んでいるバスチアンの世界、という2層構造ではなく、さらにそれを映画として観ている私たちの世界を加えた3層構造になっていること。

物語の終盤、バスチアンこそがファンタジアを救える存在なのだと説明される場面で、女王(Empress/字幕では「幼心の君」)がこう言っている。

Empress: He (Bastian) doesn't realize he's already a part of the Neverending Story.
Atreyu: The Neverending Story? What's that?
Empress: Just as he is sharing all your adventures, others are sharing his. They were with him when he hid from the boys in the bookstore.

https://www.scripts.com

バスチアンがアトレイユの冒険をともに体験したように、バスチアンの冒険を一緒にたどっている人たちがいる。それが映画を観ている私たちのことである。ということは、映画を観ている私たちをもう一段階上から見ている人がいたりして…?という想像に背中がぞくっとしたり。

わからなかったことも一つあった

ファンタジアが「虚無」に吞み込まれ、滅びゆくときに、女王が、ファンタジアを救う方法は自分(女王)が新しい名前を得ることだという。アトレイユもバスチアンも、そんな簡単なことで世界が救えるのかと疑問をぶつける。だが、問題は、ファンタジアの中の人物ではなく、人間の子どもにつけてもらった名前でないと意味がないことだった。

ここでわからないのは、バスチアンが窓から叫んだ名前だ。

Moon Child

映画の中では全く説明がないので、ムーンチャイルドって?と疑問が残る。子どもの頃は、バスチアンの死んだ母親の名前かと思っていた。でも、人の名前にしては変わってるなと思って調べてみたら、やはり名前ではなかった。

原作の本の中では詳細な説明があるようだが、夢や想像力を持ち続ける子どもを指しているらしい。

バスチアンは、女王との対話を通じて、自分がファンタジアを創造し続ける源であることを信じるに至る。つまり、彼自身がムーンチャイルドであると認識したのだ。バスチアンは、自分が何者であるかを表す名前を女王に贈ったということになる。

自分の新しい名前とするならともかく、それを女王の新しい名前に選ぶってどういうことなんだろう。その意味がよくわからなかった。

でも、後からよく考えてみると、こういうことかなと思う。

バスチアンは自分がムーンチャイルドで、ファンタジアを創造する力を持っていることにようやく気付いた。彼はムーンチャイルドという自らを表す名前を女王に贈ることで、女王やファンタジアと深い繋がりを持った。そして、ムーンチャイルドとして持つ力を女王に授けることができた。

いや、勝手な想像ですけど。

それにしても、新しい名前が世界を救うというのは面白い視点だと思った

名前は希望の象徴だ。思えば、自分の子どもに名前をつけたときに、私もいろんな願いを込めた。彩りにあふれた豊かな人生を送れますように。みんなから愛される人になりますように。私たちの名前も、親が私たちの未来に願いを託してつけてくれたものだ。

そう考えれば、名前には力が宿るような気がする。「名は体を表す」という。『千と千尋の神隠し』でも、名前は自分が自分として立ち、誰にも支配されない力を持つものとして描かれていたことも頭に浮かぶ。

名前が持つ力なんて、これまで深く考えたこともなかったけれど、思うより強力なのかもしれないーー。

***

夫と私は、こういう物語の細部に気付きを見つけて楽しんだ。この映画は、(原作との乖離について賛否両論あるようだけれど、)昔もいまも、本を読み、想像の世界で物語を体験することの純粋な喜びを思い起こさせる

そんな思いを幼い子どもたちにも感じてほしかったのだが、子どもたちにとっては、迫りくる虚無の底知れぬ不気味さや、ファンタジー的なビジュアルに圧倒されて、一言でいうと「怖かった」らしい。(こうもりに乗って飛ぶ端役の人物の妖怪じみた顔や、アトレイユを追って忍び寄る邪悪な獣など。)

息子(6歳)は、その日の夜、「ネバーエンディングストーリーが頭から離れない」といって眠れなくなった。まだ早かったか…。

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