読書感想文:『火花』又吉直樹著
芸能人が書いた本は避けてきた私だが、それがただの偏見だったことがわかった。いや、この本は例外というべきか。
今更ながら、又吉の『火花』を読んだ。これが期待を遥かに越えるものだったので、意外な驚きを感じながら、面白くてどんどん読んだ。
どうしてこの本を読んだかというと。私はアメリカに住んでいるのだが、子どもの日本語教育のために、我が家から車で30分ほどの場所にある日本語図書館に定期的に通っている。普段は子ども用の絵本を借りるだけなのだが、一角にある古本セールのコーナーを覗いてみたら、『火花』を見つけた。芥川賞を獲り、映画化もされた話題作だし、読んでみようかという気にふとなったのである。
あらすじ
お笑いを軸に突き抜けて生きようとする神谷と、漫才師としての能力の限界や世間と折り合いに悩みながら葛藤する徳永。二人は師弟関係を結び、互いの能力を認め合い、また限界をも見つめながら、漫才師として成功することを夢見て疾走する青春物語。
感想
読み始めて、まず惹きつけられたのは、日本語としての深い味わいだ。物語を形作る情景描写や、心の中の微妙な変化やわだかまりといった心理描写が秀逸である。書き出しから、いきなりこうだ。
大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。
場所は熱海、夏の花火大会である。鳴り響く太鼓と笛、日が暮れてもむっとした熱気、人々の賑わい。こうした情景を、挿絵のような平面としてではなく、まるでその場にいるかのような臨場感をもって想像させる。
この先にどうなるんだろう、という物語の展開への興味もさることながら、随所に光る文章の巧みを味わうように読んだ。
それから、どんな作品にも、作者が書きたいと思った主題があるはずで、私は本を読んだ後には、その主題がなんだったのかをいつも考える。メッセージ性が強い作品だと、読んでいる途中からそれが透けて見えてくるのだが、『火花』の場合は、読み終わってから少し考えてみる必要があった。
作品を読んでいくと、神谷と徳永が対照的な存在として描かれる。人生そのものをお笑いに捧げ、面白さを追求して生きる神谷と、世間の感覚とのバランスを無視できない常識的な徳永。物語の終盤、徳永は漫才コンビ、スパークスとして多少テレビに出るようになり、お笑い好きのファンには知られた存在になるが、コンビ解散によってお笑いをやめる決断をする。一方、神谷は、お笑いで売れることはなく、借金が膨らみ、行方をくらましてしまう。
お笑いを極めるためだからといって、なにをしても良いわけではない。笑いを求めてとった神谷のある行動を、徳永がこう言って糺す場面がある。
「僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです。」
これは又吉の笑いにおいて、重要な鉄則なんだろうと思う。
それを軸に置きながらも、この本を通して言いたかったことは、お笑いとはこうあるべき、という教訓めいたことではなくて、お笑いの道をひた走ることに人生の大部分を捧げた(あるいは捧げている)自分や多くの同胞たちの生き様そのものなのではないか。一世を風靡する芸人がいる影には、陽の目を浴びずにこの世界を去っていく人が数多存在している。
この本は、そういう過酷な競争の世界を悲嘆するでも、否定するでもない。その中で奮闘する一人一人の人生が、たとえ成功しなかったとしても決して無駄ではない、ちゃんと意味があったんだと肯定しようとしているのではないか。
「同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら、絶対そんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。」
この本は、全ての同胞へ向けた愛とエールに満ちた物語だと思うのだ。
生きている限り、バッドエンドはない。
長い時間をかけた努力が報われずに終わる。夢が破れる。そういう場面は、誰にとってもきつい経験である。だが、そこで人生が終わるわけではない。その後も続いていく。私たちの人生は、努力すれば必ず報われるほど単純ではないし、運としか言いようのない力が命運を分けることもある。でも、人生とはそういう全てを含んだことなのだろう。
この本を読み終えた上で、タイトルの「火花」が意味するものを考えると、私には、線香花火のパチパチ弾ける火花が頭に浮かぶ。芯にある大きな玉がほんの一握りの成功した漫才師で、その周りで刹那に煌めいては消えていく火花が淘汰された数多の漫才師たち。線香花火は、芯の部分がメインのようではあるが、周りを絶え間なく彩る火花があってこその線香花火だ。
読了後、小さな花火の情景が、静かに胸に残った。
