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なんでもない日の写真に、ふと手が止まる

わが家のキッチンには、壁掛けのエコーショー(Echo Show)がある。スクリーン付きのアレクサだ。

天気やスケジュールが表示されるだけでなく、子どもたちのスクールバスの情報にアクセスしたり、家のあちこちの電気もここでまとめて操作できる。

でも、わたしにとっての価値はそこではない。

使っていないとき、スクリーンに家族の写真が映る。この機能が、一番気に入っている。

連携したアカウントに保存された写真を、ランダムに引っ張り出してくる。「これは?」「こんなのもあるよ」と、軽い調子で差し出されるそれらは、どれもこちらが選んだわけではない。

この家に引っ越して初めての秋に、家族そろって撮った写真。子どもたちがまだあんなに小さかった頃。

3年前の、まだ柔術を始める前の自分。今より少し頼りない体つきをしている。

息子がサングラスをかけている写真が、2枚並んで出てきたこともある。1歳のときと5歳のとき。たった4年で、こんなに変わったのか、とつい見入ってしまった。

どの写真にも、ちゃんとその日の空気がある。目に入った瞬間に、忘れていたはずの感覚がふっと戻ってくる。

そして今日、ふと映った一枚がある。

娘を抱っこ紐で抱えたまま、食卓でご飯を食べている写真だ。娘は生後6か月くらいで、わたしの胸のあたりに小さく収まっている。

その頭の上には、紙ナプキンがふわりと乗せられている。わたしは特に気にする様子もなく、そのまま彼女の頭上をまたぐようにしてパスタを口に運んでいる。

それを見て、思わず吹き出してしまった。

一人にしておくにはまだ心配で、かといって下ろすとすぐに泣く。結局、抱っこ紐で固定したまま食べるのがいちばん落ち着いた。けれど、何度か食べこぼしてしまったあと、いつの間にか「頭に紙ナプキン」が標準装備になった。

そのときは、それが一番合理的だったのだと思う。ちゃんと生活を回すための、ささやかな工夫だった。

いま見ると、思わず笑ってしまう。でも、娘は何も気にせず、その状況を当然のことのように受け入れている。

そんな日があったことを、すっかり忘れていた。

ここに映るのは、自分で選んだ写真ではない。整えられていないままの、生活の断片だ。

だからこそ、ときどき意外なものが紛れ込む。もう忘れていた一枚や、意味づけされていない日常の場面。

けれど、そういうものに限って、ふと引っかかる。

ただ一瞬、「ああ、こんな日もあったな」と思う。それだけなのに、今いるこの時間が、ほんの少しだけ奥行きを持つ。

(おわり)


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