【人生最期の食事を求めて】食いだおれの街で飛来する若き日の追憶と粉モンの余韻。
2025年5月28日(水)
串かつ だるま道頓堀店(大阪府大阪市中央区道頓堀)
車窓に映る風景は、鋼鉄の屹立する巨大なビル群が視野を迫り、無機の都市が生き物のように脈動していた。
東京の整然とした高層建築とは異なる、どこか野太く、重心の低いこの景観には、大阪という土地が育んだ風土と矜持が明瞭に刻まれているように思えた。
京都河原町駅より阪急京都線に乗車し、大阪梅田に降り立ったのは、昼過ぎの陽光がやや傾き始めた頃であった。
空は一面の薄曇りに覆われ、熱気と湿気とが入り混じった重苦しい空気が街を包み、鼻孔には雑多な臭気が絶え間なく忍び寄ってくる。
都市特有の濁った熱が肌にまとわりつき、旅人の身を容赦なく包囲して離さなかった。

梅田より難波へと足を運び、道頓堀へ歩みを進めた。
道頓堀界隈は、いつにも増して猥雑にして強靭なエネルギーを発散しているように感じた。
ここに来る度毎に感じるのは、どれほど肉体が移動の疲労に蝕まれていようとも、この街にはそれを跳ね除けるだけの昂揚と混沌があるということだ。
インバウンドの波に洗われ、幾多の言語が交錯し、街の騒擾と過剰な装飾とが交差する風景は、私を日常の彼岸へと誘い、非現実の迷宮へと歩を進めさせる。
その非日常こそが、旅という行為における最大の魅力であり、ある種の背徳である。


昼に口にした親子丼の余韻がなお残る舌の上に、私はあえてたこ焼きとビールという、日常生活では決して重ねぬ取り合わせを重ねた。
旅は人の理性や食欲の均衡を破壊する。
熱々のたこ焼き八個を難なく胃に収め、生ぬるいビールを喉に流し込む。
向かいにある串かつの店に、その足で引き込まれるのは、もはや自然の摂理としか言いようがなかった。

16時を過ぎていた。
まだ宵に至らぬ半端な時間帯であったためか、店内は閑散としていた。
ふと記憶の底から、かつてこの店に入った15年ほど前の一場面が甦る。
人間にとって15年の歳月は、肌の質感を変え、嗜好を変え、思考そのものを変容させるに足る十分な時間である。
ましてや飲食業界は、コロナ禍による外圧によって急速にデジタル化の波に飲み込まれていた。
メニューはスマートフォンで読み取るQRコード形式へと変わっており、紙の温もりも店員との語らいも失われていた。
あまりの品数の多さに一瞬心が揺れるも、飢餓感はさほどでもなく、私は単品を選び注文した。
生ビールとともに選んだのは、牛すじ肉を味噌ダレで甘辛く煮込んだ「どて焼き」、そして「元祖串かつ」と「半熟たまご」である。


どて焼きは、口に入れた途端、肉がとろけ、濃厚な味噌の風味が舌を満たした。
すじ肉の繊維が歯に心地よく抵抗し、それが快楽へと変貌する。
その瞬間、私は明確に思い出した。
大阪において“串かつ”とは単なる料理ではなく、食の哲学であり、儀式であり、文化であったということを。
しかし、卓上にあったのは、かつての銀色のソース缶ではなく、無機質なチューブ型ソースであった。
“二度漬け禁止”という大阪串かつ文化の象徴的ルールは、静かに姿を消していたのである。
おそらく外国人観光客の急増によって、この繊細にして厳格な規範が文化として継承されるには無理があったのだろう。
合理化の名の下に滅びゆく風習。
その事実に、私は寂寥を覚えた。
けれど、その寂しさと同居するように、私の胃袋は今、かつてないほどの満足を湛えていた。
若き日の私は、どこまでも貪欲に食を求めた。
たこ焼き、お好み焼き、串かつ、さらに酒と夜の街へ。
まさに「食いだおれ」の名に相応しき活力を持ち得ていた。
しかし、年月は知らぬ間に人の欲望を薄め、肉体の器を小さくする。


17時を過ぎた頃だった。
大阪の夜をこのまま通り過ぎることへの焦燥が、私の背を押した。
立ち上がり、精算を済ませ、私はふたたび道頓堀の雑踏へと身を戻した。
夕暮れの兆しが街に差し始め、ネオンの灯りがその存在を微かに主張し始めている。
私は酔いを醒ますべく、戎橋を通り、心斎橋から船場へと続く長い商店街を歩き続けた。
混濁の都市の中で、あたかも人生という旅路の最終章に、己が最後の晩餐を求める巡礼者であるかのように。……

