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【建築と政治】なぜ建築家はダサいのか?

現代の建築家は政治的なるものから徹底的に回避している。

一方、かつての「国家」を背負ったり「イデオロギーに燃える」建築家の建築には凄味があった。

例えば、「国家を背負った」丹下健三の「代々木オリンピック・プール」と、「強力な政治理念(その内容の是非は別の問題として)」から生まれたジュゼッペ・テラーニの「カサ・デル・ファッショ(ファシストの家)」は「20世紀最高の建築」の王座を二分する。

代々木オリンピックプール・丹下健三


そんな「近代建築」の歴史はもちろん「政治性」から生まれている。

1917年、大方の予測を大きく裏切って、ロシアで社会主義革命が成功した。

この時代、近代デザイン、近代建築、すべからく社会主義思想に基づいたデザイン・メソッドが急速に発展を遂げていた。

つまり、特権的芸術家様の手から「誰にでもできるメソッド」へと、
市民社会の到来とともにデザインも変わっていったのである。

その結果、「構成主義」という現在のグラフィック・デザインの原型が生まれ、また「単純幾何学」という近代建築のヴォキャブラリーが生まれたのであった。

そんな時代の中、ロシアでの革命の成立という現実世界の追い風を得た「近代建築」は我が世の春を迎え、社会主義国ソビエトがその聖地となったのである。

ロシア・アヴァンギャルドの鬼才、エル・リシツキー

そんな革命の時代の申し子として登場した「近代建築」は、王権制度、ブルジョワジーを否定し、民衆のための「新たな建築」をゼロからつくりなおすのだ!という設定になっていた。

旧体制の古典建築における「装飾」はマルクシズムにおける「剰余価値」の具現化であり、それは「建築が労働者から搾取する」ことを意味していた。

その旧体制的装飾、すなわち特権階級による煌びやかな贅沢を尽くした建築装飾を排除して単純な幾何学とすることは、すなわち市民による「建築における革命」を意味していた。

かくして、時の政治性と同期した「近代建築」は華々しく世界に登場し、その「単純な幾何学」の造形は、建築からブルジョワ的な装飾をはぎ取り、貧しい大衆のために「安価で大量生産した建築を提供する」ために極めてシンプルな構成を洗濯するというメソッドであった。
すなわちソシアリスムの思想を建築デザインによって具現化したものであった。

そんな近代建築運動がこの世の春を謳歌していた正にピーク、
「革命の国」であり、当時の近代芸術運動の最先端にしてヨーロッパ各国の近代建築家に多大な影響を与えていた当時のソビエトにおいて、党大会会場として計画された1932年の「ソビエト・パレス」の建築コンペティションが開催され、当時のヨーロッパ中の近代建築家たちがこぞって参加した。

「ソビエト・パレス」ル・コルビュジェ案

しかし、そこで当選したのは、まさかのコテコテの似非古典主義にして、
なんと最終的にはレーニン像がテッペンにそびえたっているという禍々しい偶像崇拝がマックスに極まった代物で、
その裏にあるスタリ―ニズムの台頭とともに「近代芸術運動の聖地」であるソビエトの幻想はこれを持って粉々に崩れ落ちたのである。

「ソビエト・パレス」イオファン案

この案を見た世界中の近代建築家たちもついでに一斉に膝から崩れ落ちた。

かくして、「革命」「社会主義」の理想を具現化した「近代建築」はソビエトにおいて興隆してきたスターリニズムと相いれないモノとなり、
そのスターリニズムが台頭する「革命の聖地」ソビエトでは懐古主義としての「革命的ロマン主義」、すなわち「過去の装飾(権威)を再び纏った」形式が復古していった。

これによって「近代建築」という、政治とデザインが一体化となった結晶体運動は分裂し、その「形式」のみが後に大量消費社会の「一つの商品アイテム」として市場に流通し、以降「革命」「政治」というワードは建築家たちの間で禁忌となったのである。

そしてまた一方で、
20世紀前半にヨーロッパの近代建築家たちが取り組んだ「最小限度住宅」という課題は、困窮者の救済の目的といいう社会主義的な思想をベースにした「最小限度の空間と設備とコスト」で建築をつくり、市民に平等に供給するという理念が具現化されたものであった。

その理念を元に、ローコストによる大量生産と清潔な環境づくりのために「白い、簡素な、キューブ」という近代建築のデザイン・ヴォキャブラリーが生み出されたのであった。

建築家による近代「住宅展示会」、ドイツのヴァイセンホーフ・ジードルンク、1927年


しかし、その社会的弱者救済の理念に基づいたデザイン・ヴォキャブラリーが、いつの間にか建築家の自我丸出しの「デザイン・フェティシズム」へと変わり、それによってモダニズム建築は「資本主義の高級商品の一つ」へと寝返った(今どきの「モダン」なんていう形容詞が「シンプルおしゃれ」という意味になったルーツのお話である)。

その変節のオリジネイターがル・コルビュジェ大先生である。

「ラ・ロッシュ邸」ル・コルビュジェ

困窮者のための「白い幾何学」が、いつのまにか上記の「ラ・ロッシュ邸」に見られるような「巨大な吹き抜け」「アートのための無駄な空間」というブルジョワ相手の「デザイン・フェティシズム」へとすり変節したル・コルビュジエの態度は、チェコの鬼才建築批評家カレル・タイゲ先生によってコテンパンに批判された(『アンチ・コルビュジェ』カレル・タイゲ著』)。

要するに、近代建築家様も「自分の作品」が大好き~!、という本性が暴かれたのである(余談だが、現代でも建築家先生様たちは「ボクの建築は~」なんてほざきなされるが、そもそも近代建築は「自我を無くした普遍的なるもの」を目指して生まれたのである。まったく破廉恥な)。

そして「モダニズム」が政治的にロンダリングされて、ブルジョワのためのデザイン・フェティッシュとして世界へと広まったきっかけは、ヨーロッパ・モダニズムがアメリカに輸入された時の「インターナショナル・スタイル展」という「ブランディング」であった。

近代建築は「生活困窮者への住宅供給」から「ブルジョワジーのヴィラ」へ(by カレル・タイゲ)と180°変節したのである。

インターナショナル・スタイル展


このようにして建築は「政治的なるものに突き動かされるエネルギー」を喪っていったのであった。

「歴史を白紙化」して登場したはずの「近代建築」という結晶体が分断され、その「形式」のみが大量消費社会の「一つの商品アイテム」となる、、、
まるで「デストロ~イ!」と華々しく登場したパンクバンド、セックス・ピストルズが今聴くと良質でポップなガレージR&Rバンドで、今さらそこに群がる現代の安手のファッション・パンクスどものようなお話だ。

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さて現在、建築家様たちは高度消費社会のパッケージ・デコレーションを担当している。

「最大容積率と最低の建設単価」で作られた安手の鉄とガラスの「消費促進装置」に、大衆ホイホイの装飾を施すのが現代の建築家様の役割りだ。

あらあら、アドルフ・ロース先生がコテンパンに批判したウィーン分離派の現代への回帰である。

そのロース先生の有名なエッセイ『装飾と犯罪』であるが、
これは単純な装飾物への批判ではなく、産業革命以降に発生した「本質的ではない、大量生産型の表層的なお飾り」を批判したもので、ロース自身は職人の熟練の技を評価する側に立っており、「建築の真実性」を擁護する立場にいた。

これを意訳すると、現代の表層的な「素材風味」の建材をペタペタ張り巡らしたハウスメーカーの「デザイン」住宅や、駅前の安普請の鉄骨高層コンプレックス・タワー・ビルの表層を飾り立てるだけの役割を担う現代の建築家様へと、ロース先生の批判は生き続けている。

はたまたあるいは、
現代の建築家様とは、「みんなの~」とか「地域コミュニティに開く」とか「そっと置いてみる」とか「負ける」とか、時代の空気を物欲しげにキョロキョロと見まわしたキャッチ・フレーズで煙に巻いて、結局のところ「自己満足の建築盆栽」を作っては仲間内で「ほっほ~、見事な枝ぶりで!」と日曜日の神社の境内で寄り集まる趣味人たちのことを指す。

なんか、カッコ悪い人たちだな~、、、

私が心から敬愛する諸先生方、
チェ・ゲバラ、マルコムX、モハメド・アリ、三島由紀夫、、、、、

彼らの「異様なまでのカッコよさ」は、「政治的」であることによって
黒光りしているのだ。

そして現代の「政治からバックレた」建築家のみなさんは、
今やディベロッパー様の下請け業者さんである。

いや、建築家先生のみなさん!

逆に、今、「政治にコミット」したら一人勝ちですよ?

カーサなんとかに載るよりも、こっちに張ってみたらいかがでしょうか?

ポテンツを喪ってしまった建築を、勃てようではありませんか?

建築を勃てよう!

では最後に、
ドイツの「ポスト・ヒューマニズム」の極左建築家、1930年代のバウハウスに招聘され「ナチスのゲシュタポから危険人物と目された男」、
ルードヴィッヒ・ヒルベルザイマーの建築を一緒に見ながらお別れいたしましょう。

あたかもジャーマン・ミニマル・ハード・テクノの硬質な四つ打ちが聴こえて来るようですね。


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