古代稲作と、授けた神を巡る神秘の旅 登呂&伊勢神宮&斎宮
稲作(いなさく)とは、稲(主にイネ科の植物であるコメ)を栽培する農業のことで、日本を含むアジアの多くの地域で重要な食料生産の基盤となってきました。昨今は、米不足騒動になり、やっとその基盤の重要性に気付いたかもしれません。その歴史は非常に古く、以下のような流れで展開されてきました。
稲作の歴史
【1】起源(約1万年前〜)
中国南部の長江流域(現在の中国雲南省や湖南省)が稲作の発祥地とされています。イネは人類にとって、一年草で、実った実が落下することのない都合の良い草です。米は長期保存が可能で、さらに都合の良い植物です。古来には、アルファ米のようにして、最長19年持ったとされると、神宮会館の方にお聞きしました。古古古米もビックリですね。
紀元前8000年頃には、野生のイネが栽培化され始めたと考えられています。最初は陸稲(おかぼ)が主で、のちに水稲(すいとう)に発展しました。
【2】日本への伝来(紀元前1000年頃〜紀元前300年頃)
縄文時代後期(紀元前1000年頃)、中国や朝鮮半島から稲作が伝わったと考えられています。
弥生時代(紀元前300年頃〜)には、稲作が急速に普及し、日本列島の農耕文化が始まる転機になります。弥生人たちは水田を作り、集落を形成していきました。

登呂遺跡
静岡県静岡市駿河区にある日本の弥生時代の代表的な稲作集落遺跡であり、日本で初めて本格的な水田跡が発見された重要な史跡です。稲作の歴史を考える上で非常に重要な存在です。

時代:弥生時代後期(およそ1世紀ごろ)
発見:1943年(昭和18年)に軍需工場建設の際に偶然発見
史跡指定:1952年に国の史跡に指定
日本初の本格的水田跡の発見
登呂遺跡は、水田・農具・住居・高床倉庫などが同時に見つかった極めて貴重な遺跡です。特に灌漑用の溝、水田区画、稲の根の痕跡まで発見されたことで、弥生時代に組織的な稲作が行われていたことが、証明されました。
2.弥生人の暮らしが可視化
竪穴式住居、高床倉庫、木製農具(鋤・鍬など)、石包丁が発掘。食生活(米を中心とした)・農業技術・織器による衣服、社会構造が明らかになりました。
3.戦後日本の考古学に大きな影響
戦中から戦後の困難な時期に行われた発掘で、「稲作は日本文化の基礎」という国民的な理解が深まる契機になったと言われます。

道中、橋を渡り

トンネルを抜け

お米を食べるべく宿場に到着


稲作は神話へ
稲作は単なる農業だけでなく、古来より日本文化(年中行事・神事・食文化)と深く関わってきました。
「瑞穂の国」という表現に象徴される社会構造の中核でした。

天照大神
天照大神(あまてらすおおみかみ)と稲作の関係は、日本神話と稲作文化が深く結びついている象徴的な事例です。稲作は、日本神話において単なる農業ではなく、「神から授かった神聖な営み」として位置づけられています。
天照大神が稲作を授けた神話
『古事記』『日本書紀』には、天照大神が孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に稲を授け、地上に天孫降臨させたという神話があります。
天照大神は「高天原(たかまがはら)」という神々の世界の主神であり、天孫である邇邇芸命にこう言います
「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」へ天降り、この国を治めよ。
この国には稲(みずほ)を育てる土地がある。
わたしはこの稲を授けよう。
つまり、稲作は中国から来たのではなく、天照大神から人間世界にもたらされた神聖な農業であるとされているのです。
2.稲=瑞穂(みずほ)という神聖な象徴
「瑞穂の国」は、稲穂の実る豊かな日本という意味。神から賜った神聖な作物=稲は、国家や天皇の権威と直結します。稲作の成功は、「神意が保たれている」証として受け止められてきました。
3.天照大神の神宮と神嘗祭(かんなめさい)
伊勢神宮の内宮は、天照大神を祀る神社です。

神嘗祭(かんなめさい)は、毎年10月17日に伊勢神宮で行われる、収穫に感謝する祭典です。天照大御神に新穀を奉り、収穫の恵みに感謝する祭祀で、神宮の年間1500回に及ぶ祭祀の中でも最も古い重要なものです.

稲(米)は、神に捧げる「神饌(しんせん)」の中心であり、神と人間を結ぶ食物とされているのです。
4.天皇と稲作の神聖な関係
天皇は、神話上で天照大神の子孫とされ、「稲作を継承する者」=「国を治める者」とされてきました。伊勢神宮に天照大神を祀り、南北朝時代まで斎宮に住む斎王(未婚女性皇族)が、都にいる天皇に代わり天照大神に仕えました。
現代でも、天皇は皇居内の水田で自ら稲を育て、収穫し、毎年11月の新嘗祭で新穀を奉納しています。


登呂遺跡と伊勢神宮の建築の類似性
日本の神道建築が、古代の稲作文化・生活様式と深くつながっています。
登呂の高床式倉庫は弥生時代、湿気・害虫・ネズミを避けるため、床を地面から高く持ち上げて建てられた穀物倉庫です。柱の上に「ネズミ返し」が付いているのも特徴です。
伊勢神宮との関係
伊勢神宮の建築様式「神明造」は、柱作りで、石の基礎を持たないシンプルな高床式倉庫と大変よく似ています。

穀物を保管 する大事な場所が、 神に捧げる「神宝」や「神米」を収める大事な場所に。
つまり、穀物倉庫=神聖なものを納める場所という思想が、やがて高床式神社建築へ、と発展したと考えられます。
伊勢神宮の起源=弥生的稲作文化の延長線
伊勢神宮で祀られている天照大神は、「稲作を授けた神」です。伊勢神宮の神体(ごしんたい)は鏡とされるが、神饌(米)も極めて重要です。そのため、伊勢神宮の構造・儀礼は、稲作文化に由来するものが非常に多い。代表的な日別朝夕大御饌祭は、外宮にて毎日朝夕2回行われます。

外宮の御鎮座に由緒を持つ日別朝夕大御饌祭は、内宮と外宮、別宮それぞれのご祭神にお食事を奉る神事で、外宮鎮座より約1500年間、毎日朝夕の二度行われ、そのお祭りは禰宜1名、権禰宜1名、宮掌1名、出仕2名によって奉仕されます。神饌(しんせん)は御飯三盛、鰹節、魚、海草、野菜、果物、御塩、御水、御酒三献と品目が定められ、それに御箸が添えられます。


伊勢神宮の式年遷宮と建築思想の継承
「伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)」は、世界でも類を見ない宗教的・建築的な伝統継承の仕組みで、日本人の自然観・神観・技術観が凝縮されています。
式年遷宮とは?
近年は「20年に一度」、伊勢神宮の正殿や神宝などすべてをまったく同じ設計・材料・技術で建て替える行事。
対象:内宮(ないくう:天照大神)・外宮(げくう:豊受大神)
最初の遷宮は690年(持統天皇の時代)に内宮。以後1300年以上続く。途中途切れたり、遅れたりもした。
最新の遷宮は2013年(第62回)、次回は2033年予定。今年五月から始まった。

何のために?
1.神の清浄性の維持(常若:とこわか)
神道では「永遠の若さ=常に新しいこと」が神聖。
神殿を老朽化させず、神にふさわしい新しい住まいを提供するのが式年遷宮の神意。
2. 建築技術・精神文化の継承
巨大な木材調達、建築技法(釘を使わない木組み)、装飾・神宝制作などを正確に伝承。
「ものづくりは神事」という日本的思想。
現代では、職人(宮大工、神宝師など)の養成と伝統技術の継承にもつながる。

建築思想の特徴
様式 神明造(高床・切妻・素木造)
材料 国産の檜(ヒノキ)。柱・板・屋根すべて
工法 釘を使わず、木組みのみで建築
配置 2つの敷地(古殿地・新殿地)を交互に使う「交互式」
屋根 檜皮葺き(ひわだぶき)、鰹木・千木あり
装飾 極力なし。簡素・清浄・直線美の追求


式年制による“継続的な再現”保存
普通の文化財は「保存」だが、伊勢神宮は「再建による継承」。珍しい文化財保存方法。
遷宮のたびに、現代では、失われそうな古来の技術や知識を“実地で再学習”する機会。莫大な予算が必要。
何故、20年ごとか? 実は、19年やしばらく無かった時などあり。厳密に20年ごとでは無かった。技術伝承など諸説がある。私は、基礎石を用いない土中に木柱を埋める朽ちる基礎工法と、お米の最長期保存年数19年によると推理する。
自然との共生思想
遷宮では毎回大量の檜材が必要(神宮林を中心に木曽の国有林から奉納)。御神木。
そのために、伊勢神宮は木曽に「神宮林」を持ち、計画的な植林・伐採、輸送を行っています。
単なる建築技術だけでなく、「自然と調和しながら永続的に神の住まいを再生する」という思想が根底にあります。廃材も神社などへ再利用されます。



世界遺産では無い
最後に意外な事実を。
普通の文化財は「保存」だが、伊勢神宮は「再建による継承」。珍しい文化財保存方法。ここが、ポイント。世界遺産は、歴史的な建物が現在も保存されているが基準。合致しない。
また、皇室と強く結びついているので、文化庁、宮内庁が望んでいない。神聖なままで。

ほぼすべての写真に人影が見えませんが、早朝撮影や団体学生さんたちが帰った後に撮影しています。特に、伊勢神宮は、物凄い人混みの
おかげ横丁に出会えますよ。

お読み頂きありがとうございます。
令和の米騒動は、JAの農業以外の部門の大赤字が原因と農家の方に、旅の途中で聞きました。真偽はわかりませんが、天照大神と豊受大神に五穀豊穣、米の大豊作を祈るしかない。参拝して参りました。
