エッセイ「現代の危機」
今から2年前、私は翌年が明るい希望の年となることを祈りながら、表題のエッセイを書いていました。
しかし、残念ながらその後もパンデミックは収まらず、気候変動による異常気象は激しさを増すばかりであり、さらにロシアのウクライナ侵攻が始まるなど、世界はますます混迷の度を深めています。
このままでは、人類は本当に絶滅しかねない、危機的状況にあると言わざるを得ません。
あらためて、来年こそは、少しでも明るい兆候が表れて欲しいと願いつつ、以下に2年前のエッセイを記します。
「現代の危機」
視点が変わると見える世界も変わってくる、ということがあります。今日のようにデジタル化が進み、SNSが普及すれば、私は、人々が以前より自由に自分の意見や考えを表明し、他人の意見や考え方にも耳を傾け、これまでとは比較にならないほど、自由闊達な意見交換が進み、もっと幅広い視野からものを見ることができる人間が増えるだろうと期待していました。
ところが残念なことに、現実は、自分と同じ意見にだけ耳を傾け、異なる意見の持ち主を敵とみなし、批判をエスカレートさせ、お互いに誹謗・中傷し合う、猜疑心と憎しみと怒りにとらわれた人間が増えてしまったように思います。
こうした傾向を、今のメディアも助長してはいないでしょうか。それぞれのメディアがきちんと自分たちの立場を表明し、世論に訴えることは、メディア本来の役割であり、特に、権力に対して批判的であることは、民主主義を守るために重要な視点であると私は思います。
かつての専制国家や軍国主義、今日の全体主義的な社会を見るとき、だれもが自由にものが言えることがいかに大切であり、ありがたいことかは、あらためて言うまでもありません。
そのメディアが、もし、一部の権力者や富裕層、あるいは特定の集団や国家の意向に影響され、社会の分断に加担し、本来の役割を果たせなくなっているのだとしたら、それはまさに民主主義の重大な危機と言えるでしょう。
さらに、民主主義の危機は、メディアに限らず、人と人との触れ合いや交流から、地域コミュニティや国家間の関係など、現代のあらゆるコミュニケーションの場にまで及んでいるのかもしれません。
私はメディアに限らず、政治家やオピニオンリーダー、SNSでの議論など、大きな影響力を持つ意見について判断するときは、背景になにか意図が隠されていないか、特定のバイアスがかかっていないか、特定の集団や国に影響されていないかなど、反対意見を含めてできるかぎり広い視野から判断しようと心がけてはいますが、それ以上に、その意見がこの先どんな結果をもたらしそうなのか、ということに注目するようにしています。
それは、その意見が、
分断と対立をもたらすのか、それとも融和をもたらすのか、
差別や格差の拡大に繋がるのか、それとも縮小させるのか、
紛争や戦争への道なのか、それとも平和への道なのか、
自然をこれまで以上に破壊するのか、それとも保護するのか、
人間の欲望をもっと拡大させるのか、それとも抑制するのか、
持続不可能な社会になるのか、それとも持続可能な社会へと導くのか、
人権や人間の尊厳を軽視するのか、それとも尊重するのか、
といった価値観による判断です。
こうした観点からみたとき、現代は非常に憂慮すべき状況にあると私は思います。というのも、こうした価値観からは、世界はあまりにもかけ離れていると思うからです。
先日、NHKがあるドキュメンタリー番組で、レバノンに避難しているシリア難民の悲惨な現状を報道していました。難民になるだけでも耐え難い苦しみなうえに、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックで国際的な支援が減ったため、多くの難民たちが餓えや病気に苦しみ、生きていくために売春や臓器売買で、自分の体だけでなく、他人の子どもたちの命を奪ってまでも金を稼ごうとしているというのです。
「世界は私たちを見捨てた」
と訴える難民の悲痛な叫びに、私は自分の無力感をどうすることもできませんでした。
東西冷戦後の世界は、期待に反して、不安定さを増すばかりのようです。自国の利害を第一に考える国同士が、大きな戦争へと繋がりかねない危険なせめぎ合いを演じています。
イデオロギーや民族、人種や宗教の違いから起こる悲惨な地域紛争もあとを絶ちません。まことに憂慮すべき事態と言わざるを得ないでしょう。
それと同時に、私にはさらに深刻だと思う大きな懸念があります。それは、核兵器拡散の危険性であり、地球温暖化による気候変動の切迫性であり、さらには野放図な科学技術開発の危険性の問題です。
このどれもが、人類を破滅に追いやる危険性があり、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックと同様に、地球規模での解決が必要な、深刻な問題だと思っています。
これらの差し迫った危機を考えれば、人類はもはや、国家間や民族間で争っている余裕などないのではないでしょうか。
もちろん、こうした問題自体を否定する意見があることは、私も承知しています。そうした意見にも真摯に耳を傾けることは大切ですが、議論に費やせる時間は、余り残されてはいないのではないかと危惧しています。
『サピエンス全史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、今後100年か200年の間に、ホモサピエンスという種が消滅する可能性のある二つのシナリオをあげています。
第1のシナリオは、人類が自らを絶滅させてしまうという道です。生態系の危機が引き起こされた結果、政治危機が加速し、核兵器や生物工学、人工知能を使った破壊的な兵器により、人類が自らを絶滅させてしまうかもしれないというのです。
第2のシナリオは、人類が新たな科学技術を使って、自らをアップグレードさせ、なにか別なものへと変化させるという道です。
第1の最悪なシナリオに比べたら、第2のシナリオは魅力的に見えるかもしれません。どちらもSF世界の話のようですが、十分にありうることだと思います。
折りしも、2018年11月、中国の研究者が、ゲノム編集でエイズウイルスにかかりにくくした双子の赤ちゃんを誕生させたと発表し、世界中の科学者を騒然とさせました。いわゆる、デザイナー・ベビーを誕生させたというのです。
今、新型コロナウイルスのパンデミックに苦しむ人類は、近い将来、ゲノム編集により、ウイルスにかかりにくい人間を作り出し、さらにその先には、どんな病気にもかかりにくく、優秀な頭脳と肉体を持ち、健康で長生きできるようにデザインされた、全く新しい人類を誕生させてしまうのではないでしょうか。
そのとき、人類は自らを自由に作り変えることができる、神のごとき存在となるのと同時に、人類にとって、また人類以外の生物にとっても、悪魔のごとき存在となるのだ、とは言えないでしょうか。
私は、人類がこの先、どちらのシナリオでもない第3の道を選んでほしいと願っています。
それは、人類が過大な欲望を抑制し、自然の一員として生態系を維持し、これまでより経済規模は小さくても、持続可能で、格差のない自由な社会への道です。
私は、これまで何世紀にもわたって戦争と殺戮を繰り返してきた人類の愚かさと残忍さを過小評価するつもりはありませんが、同時に、人類の賢明さと、他者を思いやる慈悲の心を信じたいとも思っています。
今回のコロナ危機は、これまでの価値観を見直し、人類が第3の道へと大きくハンドルを切るきっかけとなるかもしれません。
災い転じて福となす。
人類の英知に期待したいと思います。
私は、世界が破滅への道に迷い込まないことを願いながら、将来への希望を持ち続け、娘や後の世代の子どもたちのために、たとえどんな小さなことでも、今の自分にできることをやっていきたいと思っています。
来年が、明るい希望の年となることを心から祈ります。
(2021年 アジア文化社「第16回文芸思潮エッセイ賞 社会批評奨励賞」受賞)
