余裕あってこその果物
子供の頃は夕食のあと、必ず果物を食べていた。
母親がリンゴを剥いて「食後のデザート」なんて言うのを聞いた3歳児の俺は、なぜか「デザート」より「ショクゴ」という単語だけを覚えて、意味も分かっていないのに「今日のショクゴはなに?」と聞いていた。
実家と言うのは、なぜ常に果物があるのだろう。
カゴにはオレンジなどの柑橘類を始めとして、バナナやキウイなんかがいつも盛られ、それはテーブルの上で花束みたいな役割もしていた。
茨城の実家は、知り合いの農家さんからの頂きものでメロンや梨などは買ったことがないし、年末になればお歳暮のミカンがダンボールごと玄関わきに置いてあった。
いつでも手の届く場所に果物はあって、食べ放題の状況だったのだ。
それが実家を出て一人暮らしをするようになると、毎日メシを食べることに必死で、果物にまで気が回らなくなる。
200円あるならば、リンゴ1つを買うよりサバ缶を買って白飯をかき込みたいし、ふりかけ1袋あれば米五合は賄える。
優先順位としてはビールやタバコ以下で、存在すら忘れかけるほどの「究極の趣向品」といった位置づけ、「丁寧な暮らしの象徴」みたいになってしまうのだ。
長期休暇で帰省すると「タバコも吸うし、ビタミンが不足してるんだからミカン食べなさいよ」とか「柿あるから剥こうか?」などと母親はショクゴに聞いて来るのだが、酒で満たされた俺は「んーいらないかな」と断ってしまう。
それでも母が粘り強く勧める、ほどよく冷やされた梨や桃を気まぐれに食べたりすると手が止まらなくなって、しみじみ「美味いなぁ」と感じるし、酒で火照った身体も和らいで心地よい。
そこで果物を再認識して、滞在中は真摯に向き合ったりもする。
でも、つかの間。
帰省から戻ると、また果物はストライクゾーンからリンゴ5個分(キティちゃん1体分)ほど外れた、悠然と見逃される存在になるのであった。
ウチの親父は定年退職して暇になると、農家さんが無料で畑の土地を貸し出しているのを知り、趣味で家庭菜園を始めた。
そこはテニスコートほどの広さを4分割してあり、そのうちの1区画で手始めにナスとオクラの種を撒いた。
夏に帰省した俺は、収穫されたそれらを素揚げにしてビールを飲む。
俺のビールにおける「つまみ」部門は「揚げたナスを生姜醤油で食う」というのがダントツの1位なので、その素人が初めて育てたちょっと皮が固いナスの素揚げを、アヒアヒ言いながらビールで流し込んでいたのである。
親父の家庭菜園が始まって3シーズン目。
隣の区画の方が畑をやめることになったので、親父はそこも借りた。
倍になった領土にナス・オクラに加えトウモロコシ・ピーマンと手を広げたが、そこに気まぐれで「種なしスイカ」の苗も植えたのだ。
誰しもそうだと思うが、自給自足ならまずは野菜をメインに考える。
そして空いたスペースで「果物でもやってみるか」と始めるのだ。
家庭菜園においても、果物はやっぱり「余裕があってこそ」なのである。
そしてこの「ついで」に始めたスイカが大当たりだった。
ハンドボールほどの小玉スイカは、皮の色はカボチャみたいに緑が濃く、割ってみると真っ赤な果肉がみずみずしく現れる。
種もないし食べやすくて、しかもメチャメチャ甘いのだ。
10個ほど収穫されたスイカを、ご近所や知り合いに配るとお世辞抜きで絶賛され、みんなから「来年も!」と期待を寄せられたのだった。
次の年。
前年あまり上手にできなかったトウモロコシを諦めた親父は、思い切って畑の70%を「種なしスイカ」に充てることを決め、車で2時間も離れた道の駅でスイカの苗を大量に買い込んで来たのである。
その夏に帰省した俺が玄関を開けると、スペースいっぱいにゴロゴロと収穫されたスイカが積み上がっていた。
まるで達人がプレイした「スイカゲームの末路」みたいな光景だった。
しかもすでに「配れるところには配り切った後」だと言うではないか。
ざっと見積もって20個ほど転がっているスイカを、俺は滞在中ノルマのように毎日3個ペースで消化した。
あれほど酒を飲むウチの家族ですらも「ビール飲むならスイカを減らせ」的なプレッシャーを掛けてくるのだ。
俺は毎晩、寝ていても数時間おきにトイレに行きたくなって、しまいには赤い小便が出るのではないかと心配したほどだ。
調子に乗ったスイカ農園化のせいで「ショクゴのひととき」どころか常にスイカの残数を気にしながら、余裕のない食生活を強いられたのである。
やはり「ついで」くらいの方が良かったのだ。
キャバクラだって、おネエちゃんを指名して、ボトルも入れて、それでも余裕があってこそ「フルーツの盛り合わせ」を頼むんじゃないのか。
酒よりフルーツを優先するなんて、南国の王様ですらしないだろから、金の使いどころの最終手段として、フルーツ盛り合わせを注文するんでしょ?
「酒の席で女の子に喜んで貰うために、フルーツ頼んじゃう俺」
その余裕っぷりを見せたいのだ。
親父は正気を取り戻し、次の年からまたスイカを減らして地道に野菜を作っていた。
俺は安心していたのだけれど、またあまり食べなくなってくると、何故か少し寂しい気持ちになった。
果物の存在が、前よりも生活に入り込んで来ている感じがあったのだ。
20代のころに比べ、経済的に余裕があるのもその一端だと思う。
そこでまずはスーパーへ行き、パイナップルの切り身とイチゴがパックになった500円くらいのものを買うようになった。
次は「バラエティーパック」的な、グレープフルーツ・キウイ・ブルーベリーなどが追加招集された1200円ほどのフルーツ盛り合わせを、自宅でひとり、ろくに行ったことも無いキャバクラを想像し食べたりした。
ビュッフェなどでしか見かけないライチに出会うと、取り皿に余裕を作って居場所を確保してやったりと地道なフルーツ活動を続けていた。
そしてついに俺は、いっそのこと「高級フルーツ」やらを食べてみようと思ったのである。
とはいえ千疋屋などに行くでも無く、スーパーでシャインマスカットを買ってきて映画を観ながらノールックでヒョイパクしたり、サクランボの佐藤錦をハムスターのように頬張る…というプチ贅沢をして溜まったストレスを発散していた。
ある意味で余裕のない食べ方ではあるが…
そして今年、新たな野望が一つあるのだ。
腹いっぱい、「びわ」を食べてみたいのである。
びわというのは、実家でもあまり貰うものではないし、かといって積極的に買うこともなかったと思う。
いつの間にかあって、そのつど2個ほどを「久しぶりだわ」なんて消化していた感覚だ。人生で5~6回しか食べたことないんじゃないか?
だからあの薄皮が剝きにくく種ばかりで実の部分が薄いびわを、手間が掛かる割りに、少ししか食べる部分が無いゆえ「消化不良」な気持ちになる…という矛盾めいたアイツを、飽きるまで食べてやろうと思っているのだ。
1kg・12個入りでだいたい7000円。
俺は「余裕、余裕…」と言いながら、震える手で通販サイトをポチるのであった。
(おわり)
