Diageology 元ディアジオ・ジャパン株式会社社員の回顧録83

回顧録83
 
皆様こんにちは、元ディアジオ・ジャパン社社員による回顧録の第83回目です。
 ディアジオ社がらみの蒸留所の10回目になります。前章でスポーツ・リーグとのパートナーシップに触れましたが、大谷翔平選手がまだロサンゼルス・エンジェルスに所属していました頃、確か本拠地のエンジェルス戦だったと思うのですが、エンジェルスの攻撃シーンの何回だったか、バックネット側フェンスの看板に、よくブレット・バーボンとケテル・ワン・ウォッカのボトルとロゴが映し出されていたものです。当時の酒類関係の宣伝では、この様に野球の試合やその他のスポーツでの露出の仕方が一番効果的だったのでしょうね、TVや雑誌でのアルコール広告はすでに禁止されていますし、タバコもそうですが空港から都心に向かう道路沿いの広告看板が命みたいなところがありますね。エンジェルスとパートナーシップ契約をし、攻撃回数が8回か9回ありますので、そのうちの数回で露出される契約になっていたのでしょう、TVで宣伝しているのと一緒ですね。そういえばヤクルト社ですとか、ユニクロ社、ダイソー社等の広告看板もよく見ましたし、森永製菓社のハイチュウもどなたかの野球選手が食べていて火がつき、大々的に宣伝をかけていますよね、いなばペットフード社のチャオチュールの宣伝もよく目にします。
 大谷選手の活躍のおかげでそのブレット・バーボンやケテル・ワン・ウォッカの露出が大変多くなってきましたので、その大谷選手が所属しますエンジェルスの試合に映りましたブレット・バーボンの画像を使いまして、会社の誰だったかがブレット・バーボン拡売用の資料を作ってくれまして、私もコピーして持ち歩いていました。ブレット・バーボンが北米での販売進捗率が1番です、との情報と共にです。確か、球場内ではポップアップ・バーも立ち上げていたのではなかったでしょうか。しかし、ロサンゼルス・エンジェルスとはスポンサー契約を結んでいるとは言いましても、大谷選手とブレット・バーボンやケテル・ワン・ウォッカをつなげてしまいますのは、いくら何でもやり過ぎだったかもしれませんね。ですけど言いたくてしょうがなかったのです、バーのオーナーや従業員の方々は夜が遅いので、早朝放映されますMLBの試合を見るのは難しいのは承知で、でもあの大谷選手の試合の時の後ろにブレット・バーボンやケテル・ワン・ウォッカが映し出されているのですよ、インバウンドの方たちにも効果があります、と自慢げに触れて回っていましたね、当時はです。
 今回のワールドカップ2026では日本では販売されていないブキャナンズ・スコッチウイスキーとカーサミーゴス・テキーラも打ち出していましたので、この商品はどうしようもないですが、ドン・フリオ・テキーラも前面に出していましたので、どなたかウルトラ・プレミアム・テキーラの市場の占有率を上げるべく、ワールドカップにおんぶにだっこでスポーツ・バーでのドリンクとして推奨しまくったことでしょう。色々POPも急遽作ってですね。ですけどスポーツ観戦で集まる方々は、試合を見るのと皆で盛り上がるのがメインで、あまりがぶがぶとは飲まれないのは知っています。では何卒今後とも宜しくお願い申し上げます。

ディアジオ社がらみの蒸留所⑩
45、Rosebank distillery Lowland Single Malt Scotch Whisky
 ローズバンクの歴史、そしてその運命の多くは、蒸留所が位置する運河によって左右されてきました。スコットランドの東西海岸、ひいては二大都市であるグラスゴーとエディンバラを結ぶ水路、フォース・アンド・クライド運河のほとりに蒸留所を建設するのは理にかなっていました。しかし、運河が閉鎖され、瓦礫で埋もれていた時期には、そこに蒸留所を構える意味は薄れていました。運河が再開され、ユニオン運河とフォース・アンド・クライド運河の間を船を昇降させる「ザ・ホイール」を見に観光客がファルカークを訪れるようになった今、蒸留所を再び稼働させるのは理にかなっています。しかし、もう手遅れなのでしょうか?
 1798年には既に、スターク家(Stark distilling)がこの広大な敷地で蒸留を行っていた記録が残っています。1817年にはローズバンクという名の蒸留所が2年間操業し、1827年にはスターク家が再び姿を現し、運河の対岸に位置するキャメロン蒸留所(Camelon distillery)を経営しました。1840年、キャメロンの麦芽製造所だった建物は、ジェームズ・ランキン(James Rankine)によってローズバンクへと改築されました。ランキン家の経営の下、ローズバンクは繁栄を遂げました。1861年、キャメロン蒸留所の建物は取り壊され、ローズバンクに麦芽を供給する新しい麦芽製造所が建設されました。麦芽は橋を渡って運河を越え、手押し車で蒸留所まで運ばれていました。1914年、ローズバンク蒸留所は、ローランド地方の複合企業であるスコティッシュ・モルト・ディスティラーズ社(SMD)の創設メンバーの一つとなり、同社は1925年にDCL社に統合されました。
 モルトウイスキー蒸溜所において、その心臓部とも言えるのが銅製のポット・スチル(単式蒸留器)です。エディンバラとグラスゴーの中間に位置するフォルカークのローズバンク蒸溜所には、ローランド・スタイルの3回蒸留を行うためのスチルが3基設置されていました。ウイスキーの供給過剰に悩まされていた1980年代を通じて、同蒸溜所は順調に稼働を続けていましたが、1993年、約70年にわたり所有していました、後にディアジオ社となりますユナイテッド・ディスティラーズ社(UD:United Distillers)によって閉鎖に追い込まれました。厳密には「操業停止(モスボール:mothballed)」という扱いでしたが、閉鎖の理由は品質の問題ではなく(モルトは高く評価されていました)、当時の所有者が、排水処理施設の改修にかかる推定200万ポンドの費用を負担することを拒否したためです。道路アクセスの問題も、閉鎖の要因の一つでした。故マイケル・ジャクソン(著名なウイスキー評論家)は、同蒸留所を最高峰の一つと確信しており、その閉鎖を「痛恨の損失」と評していました。再開の可能性は年を追うごとに薄れ、2008年のクリスマス頃に盗賊が侵入してスチルを盗み出したことで、その望みはほぼ完全に絶たれました。当時、警察は「鋭い目を持つ通行人が侵入者を目撃しているかもしれない」と期待を寄せていました。というのも、ポット・スチルを通りに運び出す様子を見逃すはずがないと考えられたからです。しかし、結局何も見つからず、ローズバンクは過去の遺物として歴史の彼方へと消えていく運命にあると思われました。
 また、ローズバンク蒸留所は、1988年にUD社が立ち上げた「クラシック・モルト・セレクション(Classic Malts Selection)」のローランド地方代表に選ばれていれば、存続できた可能性もありました。実際、その6年前、DCL社がやや消極的な姿勢でモルトウイスキー市場への参入を試みた際、8年熟成のローズバンクがクラシック・モルト・セレクションの前身である「アスコット・モルト・セラー(Ascot Malt Cellar)」にリンクウッド、タリスカー、ラガヴーリンと並んで含まれていたのです。より本格的な試みは1988年に行われ、各ウイスキー産地を代表するクラシック・モルト・シリーズが選定されましたが、ローランド地方の代表として選ばれたのはローズバンクではなく、グレンキンチーでした。その決定が、両蒸留所の運命を決定づけることになったのです。グレンキンチーが選ばれたのは、ローズバンクが当時閉鎖され、水が滞留していた運河のすぐそばにあり、観光地としての魅力に欠けていたためだという説もあります。対照的に、エディンバラ東部のなだらかな農地に位置するグレンキンチー蒸留所は、美しく整備された敷地を誇り、専属の庭師2名を擁し、従業員用のボウリング・グリーン(ローンボウルを行う芝生広場)まで備えていました。蒸留所跡地は2002年にブリティッシュ・ウォーターウェイズ社(British Waterways)に売却されました。
 しかし、2017年10月、ウイスキー・ブレンダー兼ボトラーのIan Macleod Distillers社がブリティッシュ・ウォーターウェイズ社から跡地を購入し、蒸留所を再開する計画を発表しました。同社はまた、ディアジオ社からローズバンクの商標も別途取得しました。ローズバンク蒸留所は、早ければ2019年までに操業を再開する見込みでした。そしてその後ついに、同蒸留所でのウイスキー生産は2023年7月に開始されました。
 このローランド・モルトは、まろやかでフルーティーな味わいが特徴で、熱烈なファンに支持されています。ローズバンクは、ローランド地方で最も優れたモルトの一つ、いや、おそらく最高級のモルトとして正当に評価されているにもかかわらず、ポート・エレンやブローラといったカルト的な人気を誇る蒸留所ほどの熱狂的な人気には至っていません。おそらく、ローズバンクの3回蒸留によって生み出される、野の花のような香り、優しい果実味、そしてフレッシュな柑橘系の風味は、力強く大胆な味わいを求める人々の好みに合わないのでしょう。もっとも、ローズバンクのワーム・タブ(発酵槽)は、ウイスキーに濃厚な口当たりを与えているのですが。

46、Roseisle distillery Speyside Single Malt Scotch Whisky
 どの蒸留所も複数のスタイルのウイスキーを製造できるし、実際に多くの蒸留所がそうしています。しかし、ディアジオ社のローズアイル蒸留所は、アイルサベイ蒸留所(Aisla Bay:2007年、ウィリアム・グラント&サンズ社がグレーンウイスキーを製造するガーヴァン蒸溜所の敷地内に新たにブレンデッド用のモルトウイスキーを製造するアイルサベイ蒸溜所を設立)とともに、多様な個性を持つウイスキーを生産するために特別に設計された、新たな潮流の一翼を担っていました。ローズアイル蒸留所は、建設開始の起工式前から論争に巻き込まれていました。世界最大の蒸留会社が大規模な蒸留所を建設するということは、一部の悲観論者を刺激し、親会社ディアジオ社がローズアイルの開設を口実に、小規模な蒸留所を閉鎖するだろうと予測させました。ローズアイルは、まるでウイスキー界のデス・スターのような存在になってしまっていました。
 しかし実際には、年間生産量1,000万リットルという規模はグレンフィディックよりも小さく、建設はディアジオ社が所有する蒸留所全体の生産能力増強のために投じる10億ポンドの投資の第一段階に過ぎませんでした。ローズアイルは、既存の蒸留所を閉鎖するどころか、蒸留所建設の新たな時代を切り開いたのです。バイオマス発電所のおかげで、この蒸留所はエネルギーの大部分を自給自足できます。また、熱回収システムによって、蒸留所から出る廃熱を近隣のバーグヘッドや道路を挟んだローズアイルにある麦芽製造所の稼働に役立てることができます。2013年、環境に配慮したローズアイル蒸留所は、ディアジオ社の二酸化炭素排出量を26%削減するのに貢献しました。
 7組ある蒸留器のうち6組は、ステンレス製または標準的な(銅製)シェル・アンド・チューブ式凝縮器を切り替えることができます。軽やかで草のような香りのスピリッツが必要な場合は、90時間以上の長時間発酵と、空気休止を伴うゆっくりとした蒸留、そして銅製凝縮器での凝縮が行われます。逆に、重厚なスタイルが必要な場合は、ステンレス製凝縮器が使用されます。銅製凝縮器での長時間の凝縮を省くことで、スピリッツに必要な重厚感が得られます。糖化と発酵の工程を短縮することで、ナッツのような(麦芽のような)風味のビールも製造可能です。現在製造されている草のような風味のビールは、グレン・オードやロイヤル・ロッホナガーといったディアジオ社の他の醸造所のビールとは明らかに異なります。
 ローズアイルの原酒としましては、2017年のスペシャル・リリース・シリーズのコレクティヴムXXVIII(Collectivum XXVIII)に初めて28モルトの一員としましてブレンドされましたが、その後のスペシャル・リリース・シリーズの2023年、2024年、2025年と続けて12年熟成が販売されています。

47、Royal Lochnagar distillery Highland Single Malt Scotch Whisky
 18世紀後半から19世紀初頭にかけて、アッパー・ディーサイドでは密造酒造りが盛んでした。そのため、1823年以降に合法的な蒸留が試みられると、密輸業者たちの反発は凄まじかったのです。クラシー教区で初めて合法的なウイスキー製造を試みたジェームズ・ロバートソンは、3つの蒸留所を焼き払われました。しかし、ジョン・ベッグ(John Begg)は、1845年にクラシーの対岸で蒸留を始めた際、時間的余裕(1820年代末には合法的な蒸留に対する反対運動は弱まっていた)と強力な後援者という、大きな強みを持っていました。ヴィクトリア女王とアルバート公(Queen Victoria and Prince Albert)は、隣接するバルモラル領地(城を含む)を購入したばかりでした。この買収は、スコットランドがイギリスの中流階級にとって流行の旅行先であることを確固たるものにしただけでなく、ウイスキーがイギリス国民の意識に深く根付くきっかけとなりました。
 ベッグは開業後すぐに、新しい隣人であるアルバート公夫妻を蒸留所に招待し、1848年には史上初とされる蒸留所見学が行われました。女王夫妻と3人の長男・次男・三女はベッグのウイスキーを一口ずつ味わい(女王は後にクラレット(Claret:ボルドーの赤ワインを指す呼び名)と混ぜて飲むことを好んだ)、数週間後にはアルバート公が蒸留所に王室御用達の称号を与えました。もはや誰も、この蒸留所を焼き払おうとはしなかったでしょう。
 ベッグ自身のブレンドは確固たる評判を築き、彼の会社は1916年にジョン・デュワー社に吸収合併されました。1925年にはDCL社(現在のディアジオ社)の一部となりました。小規模な蒸留所でしたが、そこで造られたウイスキーは数々のブレンドに使用され、近年では韓国で最も人気のあるウイスキーのウインザー(2023年売却)の原酒として、またジョニーウォーカー・ブルーラベルの原酒リストにも名を連ねています。シングルモルトにおいても、小規模ながら重要な役割を果たしてきました。かつては、熟成年数表示のない100%シェリー樽熟成のセレクテッド・リザーブ(確か日本では2016年か17年、終売となりました)が、ディアジオ社のポートフォリオの中で最も高価なウイスキーでした。現在、ディアジオ社のラインナップには、このセレクテッド・リザーブ、モスカテル樽熟成のボトル、そして12年熟成のボトルが揃っています。
 ディアジオ社が所有する29の蒸留所の中で、群を抜いて最小規模なロイヤル・ロッホナガーは、まさに謎めいた存在です。この蒸留所のあらゆる特徴、特に2基の小型蒸留器とワーム・タブは、19世紀の典型的な重厚な蒸留所を彷彿とさせます。しかし、蒸留チームは軽やかなウイスキー造りを目指して努力しています。レーキ・アンド・プラウ式マッシュ・タン(rake and plough mash tun:櫛状の歯が付いた湾曲した鋼鉄製のアームで、マッシュ・タン内を回転しながら穀物と水を混ぜ合わせ、穀物層を攪拌)で得られた麦汁は、驚くほど澄んでいます(これは容易なことではありません)。発酵期間は長いですが、蒸留器とワームの使い方が大きな違いを生み出しています。還流を最大限に高めるため、蒸留はゆっくりと行われ、蒸留後には蒸留器の扉を開けて空気を取り込み、銅を活性化させます。一方、ワーム槽は温められます。これらすべてが銅の熱交換を最大化し、乾燥した草の香りと、果実味を背景に、口の中央に深みのある味わいを持つ新しい酒を生み出します。この重厚感こそが、酒の大部分をシェリー樽で熟成させる理由です。

48、St Magdalene distillery Lowland Single Malt Scotch Whisky
 かつてリンリスゴー王立自治都市には5つの蒸留所がありましたが、その中でもセント・マグダレン蒸留所(回顧録⑨の43ではセント・マグダラ表記を使いました)だけが長く存続したものの、ウイスキー製造の時代は終わりを告げました。セント・マグダレン蒸留所は、数年前に建設されたブルジオン蒸留所に対抗するため、18世紀半ばにセバスチャン・ヘンダーソン(Sebastian Henderson)によって建てられました。ヘンダーソンは、蒸留所建設のためにダルハウジー伯爵夫人からセント・マグダレン・クロス修道院の土地を借り受けました。
 1798年、隣接するボニータウン蒸留所を既に経営していた蒸留業者兼修道院長のアダム・ドーソン(Adam Dawson)がセント・マグダレン蒸留所を購入し、事業を移転しました。ドーソンの事業はすぐに拡大し、セント・マグダレン蒸留所は元のボニータウン蒸留所の敷地を吸収し、10エーカーの広大な土地に広がりました。セント・マグダレン蒸留所は、1895年に有限会社として設立されたA&Jドーソン社によって20世紀初頭まで家族経営されていました。1912年、激しい競争と市場の低迷に直面したA&Jドーソン社は清算手続きに入りました。事業は清算人からディスティラーズ・カンパニー・リミテッド社(DCL社)に買収され、ウィリアム・グリア&カンパニー社(William Greer & Co)にライセンス供与されました。
 2年後、セント・マグダレン蒸留所は、ローズバンク、グレンキンチー、クライズデール、グランジ蒸留所とともに、スコティッシュ・モルト・ディスティラーズ社を構成する5つの蒸留所のうちの1つとなりました。DCL社は20世紀を通じてセント・マグダレン蒸留所の操業を継続しましたが、1983年に同社によって閉鎖された9つの蒸留所のうちの1つとなりました。蒸留所は1990年代初頭に住宅アパートに改築されましたが、C級指定建造物に登録されている麦芽製造小屋と乾燥窯は現在も残っています。セント・マグダレン教会のパゴダ型の屋根は、この町の蒸留酒製造の歴史を今に伝える最後の名残です。
 セント・マグダレン、あるいはリンリスゴー(Linlithgow)とも呼ばれたこの蒸留所は、ユニオン運河と鉄道線路に挟まれた好立地に位置する、規模の大きな蒸留所でした。専用の鉄道側線だけでなく、専用の埠頭も備えており、そこで石炭やコークスが陸揚げされ、蒸留器の燃料として利用されていました。冷却にはユニオン運河の水が使われていましたが、製造用水は敷地内の自噴井戸から汲み上げられていました。DCL社に買収された当時、セント・マグダレン蒸留所は比較的規模の大きな蒸留所で、14基のウォッシュ・バック、5基の蒸留器(ウォッシュ用2基、ロー・ワイン用3基)、3基のワーム・タブ、19棟の貯蔵庫を備え、年間100万リットル以上のアルコールを生産する能力を有していました。19世紀後半にウイスキー評論家のアルフレッド・バーナードが訪れた際、彼は倉庫に保管されていた1875年と1877年に蒸留された非常に古いウイスキー、そしてそれよりもさらに古いウイスキーについて言及しています。現在、数量は限られているものの、入手可能なウイスキーの中には、バーナードが想像もしなかったほど古いものもあります。
 蒸留所のウイスキーのほとんどはブレンド用でしたが、セント・マグダレンとリンリスゴーの両ブランドで独立系ボトラーによって瓶詰めもされています。ディアジオ社は1990年代にレア・モルト・シリーズの一環として、2種類の公式ボトリングをリリースしました。1つは23年熟成の1970年ヴィンテージ、もう1つは19年熟成の1979年ヴィンテージです。さらに2004年には、ディアジオ社のその年のスペシャル・リリースの一環として、30年熟成のリンリスゴーもリリースされました。

49、Strathmill distillery Speyside Single Malt Scotch Whisky
 スぺイ川に合流するように流れるアイラ川のおかげで、キースの町は製粉業と織物業の長い歴史を誇ります(町には今もキルト博物館があります)。かつての製粉所跡地のうち2か所が、グレン・キースとストラスミルという蒸留所に生まれ変わりました。1892年に設立されたストラスミルは、当初はグレンアイラ(Glenisla:後にグレンリベットの接尾辞が付く)と呼ばれていました。1895年、最初の所有者は、当時スコッチウイスキーの所有を拡大していたW&Aギルビー社にストラスミルを売却しました。ギルビー社が様々な変遷を経ていく中で、ストラスミルはJ&Bファミリーの一員となりました。1968年、ストラスミル蒸留所の蒸留器は4基に増設され、精製装置が設置されました。
 軽やかな味わいのストラスミルは、フルーティーさを引き出すために長時間の発酵工程を採用しています。この蒸留所の最大の特徴は、ライン・アームからスピリット・スチル本体へと伸びる精製パイプです。グレンロッシーやグレン・スペイと同様に、このウイスキーはニュー・メイクにほんのりとしたオイリーな特徴を与えています。ここでは、まるでオリーブオイルのような風味が感じられ、ほのかにフルーティーで草っぽい香りとよく調和しています。ストラスミルの公式リリースは、フローラ&ファウナ・シリーズの12年熟成と、2014年にはスペシャル・リリースで25年物が発売されました。(続く)


 さて第83回目の回想録でしたが、いかがでしたでしょうか。ディアジオ社がらみの蒸留所の10回目でした。ここでディアジオ社がらみの蒸留所としてディアジオ社とエドリントン社グループの共同所有のNorth British distilleryについて触れておきましょう。事実上クラウド・ファンディングによって設立され、代替グレーン供給源を確保したノース・ブリティッシュ蒸留所は、現在スコットランド最大手の蒸留業者2社が共同所有しています。ノース・ブリティッシュ蒸留所は、1885年にエディンバラに設立されました。それまで、スコットランドのブレンダーや酒類販売業者は、グレーンをDCL社からしか購入できませんでした。この独占状態を打破しようと、アンドリュー・アッシャー、ウィリアム・サンダーソン、ジョン・クラビー、ジェームズ・ワトソン(Andrew Usher, William Sanderson, John Crabbie and James Watson)は手を組み、ユニオン運河、鉄道、そして前年にDCL社に吸収されたカレドニアン蒸留所に近いゴーギーに、新たな、そして大規模なグレーン蒸留所を建設しました。まさに我慢の限界だったのでしょうか?1887年、コフィー式蒸留器1基で生産を開始。3年後には生産能力が倍増し、年間300万ガロンに達しました。第一次世界大戦中はウイスキー製造が中断されましたが、1920年に生産が再開されました。1930年代の困難な時期は慎重に運営されましたが、第二次世界大戦後には再び隆盛を迎えました。1960年代には年間600万ガロンを生産し(翌1960年代初頭にはその生産量は倍増しました)、一時期、ノース・ブリティッシュはスコットランド最大のグレーン蒸留所でした。
 1960年代当時、ノース・ブリティッシュはロバートソン&バクスター、インターナショナル・ディスティラーズ&ヴィントナーズ社:IDV社、ウィリアム・ローソン、マクドナルド・マーティン、シーグラム社、ウィリアム・ティーチャー(Robertson & Baxter, International Distillers & Vintners:IDV, William Lawson, Macdonald Martin, Seagram and William Teacher)といった株主を擁する協同組合のような形態で運営されていました。1993年、経営権はロージアン・ディスティラーズ社(Lothian Distillers)に引き継がれました。ロージアン・ディスティラーズ社は、ロバートソン&バクスター社(現エドリントン社グループ)とIDV社の対等なパートナーシップによって設立された会社です。1972年、IDV社はワトニー・マン社に買収され、そのわずか6か月後、ワトニー・マン社はグランド・メトロポリタン社に買収され、その後のディアジオ社の一部となります。1997年にIDV社とUD社が合併した結果、ノース・ブリティッシュは、かつてノース・ブリティッシュが設立時に対立していた企業によって共同経営されることになりました。ああ、皮肉なものです。現在、ノース・ブリティッシュ・グレーンウイスキーは、多くの有名なブレンデッド・ブランドにかなりの量が含まれています(回顧録⑧の31参照)。
 さて、このようによしなしごとを書き綴っていますが、これからもまだまだディアジオ社につきましての回顧録は続けていく所存でございますので、ご指摘等ございましたらどんどんお寄せいただきたいと思います。何卒今後とも宜しくお願い申し上げます。


 

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