梨木香歩著『家守奇譚』『冬虫夏草』を読む
パルです。
最近、梨木香歩の本を読んでいます。今回は図書館で借りました。
この二冊はシリーズもの。
本の装丁の美しさもさることながら、冴え冴えとしてしっとりとした心地よい湿度を含み、芳醇な匂いさえ立ち上るような文章を堪能でき、梨木香歩という人は現代における清少納言のようだと思うのです。

『家守奇譚』 梨木香歩著 新潮社 2004年
物語の主人公、綿貫征四郎は大学を卒業後、文筆を生業とすべく志すも、なかなかよい作品が書けず、そうかといって仕事をしながら文章に向かうという器用さもなく困っていたところに亡くなった学生時代の親友、高堂の父親から住んでいた家の管理を頼まれます。月々の謝礼も支払われるということで、渡りに船とばかりに一人、広い庭のある高堂家で暮らし始めます。
高堂は湖でボートを漕いでいたが行方不明となり、遺体はいまだにみつかっていません。しかしその高堂が床の間の掛け軸の中から現れるようになり、にわかに綿貫の身辺は不思議な、そしてどことなくユーモラスな生き物たちで賑わうことになります。
綿貫に懸想するサルスベリの木、河童、人を化かすタヌキやキツネ、白木蓮に宿るタツノオトシゴ、力持ちの小鬼、などなど。そして高堂にすすめられて飼い始めた犬のゴロー。分別があり、世の中の道理をよくこころえた不思議な犬で、河童とも猿とも意志を通じあわせることができ、主人である綿貫にも福を呼び込むことになります。
目次は「サルスベリ」、「都わすれ」、「ヒツジグサ」と植物の名前が並び、文章に湿度があるのもむべなるかな、ずらりと並んだ古風な植物の名前を見るだけでよい空気を吸ったような気持ちになります。
時代は明治の後半頃か。場所は近畿地方、おそらく京都帝国大学を出て、滋賀県にほど近い場所に住まうのか、語られない物語の背景を想像するのも楽しみのひとつです。
綿貫は自分の境遇などさして語らない人間であり、正義漢があり、善良な人間であるものの現実に生きていくには足元がおぼつかなく、当時の急激な西洋化にもついていけずにいる人です。そういう人だからこそ、古からの生き物たちが彼の前に姿を表したのではないでしょうか。ひとり、あの世とこの世を行き来する高堂もまた、変わらぬ綿貫のことを心配しながらも愛着をもっていたのではないでしょうか。
最後の章で、高堂がいってしまった場所を知り、読んでいてなんだか切なくなりました。

『冬虫夏草』 梨木香歩著 新潮社 2013年
幼虫のうちに糸状菌の一種に感染し、菌糸が内部で増殖、ちょうどサナギになったときに体表を突き破って子実体が外へ現れるんだ。根っこの部分はサナギに繋がっている。
「冬虫夏草」とは、冬に虫として活動していたものが、実は植物の菌を持っており、菌は虫の体を栄養素にして成長し、暖かくなると虫の身体を突き破って出てくるというもので、その植物は漢方薬として珍重されているそうです。
綿貫はそれを「異類婚」だといい、糸状菌の悲劇的な恋愛にいたく感銘をうけます。
彼は外に出て、知らない世界をみてみたいという気持ちはあるものの預かった家を出ていく気にはなりません。ある日、自分が菌糸体の子実体となる夢をみます。
綿貫は何を突き破るのか。
ある時、様々な異類の生き物からの信望の厚いゴローが帰ってこなくなります。また、友人兼編集者の山内から鈴鹿山脈の峠でイワナの夫婦が宿屋をやっているらしいと聞き、イワナが好物の綿貫は俄然訪ねてみたくなります。
そして龍一族の物語を書いていたものの行き詰った原稿をそのままに、綿貫はゴローとイワナの夫婦の宿屋を目指して旅にでます。
道中ではあいかわらず河童や妊婦の霊、人間のふりをしたイワナやカワウソと出会い、そして山間の村に暮らす人々の生活を知り、また、宿屋に立ちあらわれた高堂から、ゴロー探索のヒントを得ます。
その誠実さから山を下りられずにいたゴローは主人である綿貫が迎えに来てくれたことでようやく家に帰ることができ、綿貫にとってもゴローにとっても帰るべきその家はもはや高堂の家ではなく、自分の家として自覚されたのではないでしょうか。借り物のではない、今生きている自分がいるべき場所、これから生きていく場所へ戻っていくのでした。
泣いたり笑ったりしながら読後感は滋味深く、やはり水の気配がするのでした。
ちなみにこの本は漫画にもなっており、私は漫画のほうを先に読んでいたのですが、どちらも面白いです!

ここまでお読みくださり
ありがとうございました🍓
