『電信柱の定理』 この先、必要十分を許容できますか?
アメリカの中西部に住んでいた頃は、
こんなところを車で疾走してました。
渡米してしばらくして生活に慣れたころ、
道端の電信柱が右に左に傾いてる
ことが気に掛かりました。
というか、田舎道では日本だと当然と思ってるような電柱がピシーッと一直線にズレなくきれいに並んでるってことがない。
最初は違和感アリアリでした。
なんでこんなテキトウに立てるかね?
まっすぐ、キレイにしとかな いかんやろ〜。

写真撮ってたなかではこれはマシな方。
電柱も電線も傾きとか特に気にならない。

こちらは右手前から左奥へ続く電信柱、左奥から右へ行く電信柱 どちらも見てください。
けっこうナナメってる。
ちなみにここはトウモロコシ畑のなかの田舎道。
そして、
気になってしばらくは、
なんでナナメってるの?
直さないかんやろ~ と思ってましたが、
そのうち、
日本ほどキチキチしていないアメリカの日常。
ナナメってるけど、それはそれで安定した景色に見えてきて、そして各家庭まで電気が通ってる。
と思って頭のなか整理すると、
電柱がナナメってたり、
電線もちょっとダレーンとしてたりするけど、
用は足りてるんだから、
これはこれでいいんじゃねえ。
と思うようになりました。
十分条件
肯定的に考えると、
電気を各家庭へ届けるのが目的で、
ナナメってても電気はちゃんと届いてる。
だったら、これでもいいんじゃない。
そして、実は、
この用途は足りてることの先で、ビシーっと真っすぐ電柱並べてピーンと電線を張るって用途が足りた先の過剰な投資で、その投資ってナナメってても電気を通すまでの費用と比べると、過剰で大きな投資になってない? それって、数割増し だったりとか? と思えてきた。
そう思うと、「ナナメってる電柱」が、
日本人がやりがちな
形而的なとか、役所仕事的で、
過剰なとか、必要のない投資を戒める
景色に見えてきたのでした。
ワタクシ、コレを勝手に、
「電信柱の定理」
と名付けてました。
・必要な機能は足りている
・合理的でリーズナブル
・見た目や装飾の過剰の費用は不要
そのレベルを許容できるか
21世紀に入って、日本はシュリンクしていくはずで、必要は見極めてムダは削減って方向のなか
個人も社会も
・しなくてよいことはしない
・ブラウンフィールドもできるだけ利用する
といった広い許容度が要るんだろうなあ
と思う今日この頃。

こんな道と風景
けっこう好き!!

