見出し画像

【借金3000万男の記録】37

第37話 母との別れ

放射線治療を受け、母は、退院することになりました。

医師からは、残された時間を、住み慣れた自宅で過ごすという選択肢を提案されました。迷いはありませんでした。病院のベッドの上ではなく、家で、母らしい時間を過ごしてほしい。それだけが、僕たち家族の願いでした。

退院した日の母は、少しだけ、穏やかな表情をしていたように思います。言葉は、まだ戻っていませんでした。それでも、住み慣れた部屋の空気を感じているのか、病院にいた時とは違う、どこか安心したような雰囲気がありました。

自宅での時間は、正直、あっという間でした。

退院してから、ちょうど1週間。

その時が、来てしまいました。

母は、いつも、僕の味方でした。

これまで書いてきたように、僕の人生は、決して褒められたものではありませんでした。まっとうとは言えない仕事に手を出した時期、離婚、借金、数え切れないほどの失敗。それでも、母は、僕を見放すことはありませんでした。

厳しい人でした。甘やかされた記憶は、あまりありません。悪いことをすれば、きちんと叱られました。それでも、その厳しさの奥には、いつも、僕への愛情があったんだと思います。

そして、明るい人でした。

自分自身が病気と闘っているはずなのに、僕たちの前では、弱音を吐くことは、ほとんどありませんでした。「大丈夫だから」。その言葉を、母は、何度、僕たちに向けて言ってくれたか分かりません。今思えば、その言葉の裏で、母自身は、どれほどの不安と痛みを抱えていたんだろうと思います。

そんな母が、いなくなる。

頭では、医師から告げられた余命を、理解していたはずでした。心の準備をする時間も、少しはあったはずでした。

それでも、実際にその時が来た時、僕は、まったく受け入れることができませんでした。

いつも味方でいてくれた母。
厳しい中にも、優しさを絶やさなかった母。
自分が一番苦しいはずなのに、弱音ひとつ吐かず、明るくいてくれた母。

そんな母が、目の前からいなくなる。この現実を、僕は、どうしても飲み込めませんでした。

絶望という言葉では、正直、足りない気がします。600万円の借金を前にした絶望とも、2000万円という数字を前にした絶望とも、まったく種類の違うものでした。お金は、頑張れば、いつか状況を変えられます。でも、母がいなくなるという事実だけは、僕がどれだけ頑張っても、どうすることもできませんでした。

何もできない自分の無力さを、これほど痛感したことは、それまでの人生でありませんでした。

彼女は、この時も、ずっとそばにいてくれました。多くを語らず、ただ、隣にいてくれる。その存在が、あの時期の僕にとって、どれほど支えになっていたか分かりません。

母を見送った後、しばらくの間、僕は、何も考えられない状態が続きました。借金のことも、事業のことも、正直、頭に入ってきませんでした。

ただ、母がいない現実だけが、そこにありました。

いいなと思ったら応援しよう!