伊藤詩織氏の覚悟
年明け、ブラックボックスダイアリーズを観に行きましたよ。
自分の想像をはるかに超えた、よくできた映画だと思います。
(前回観た「ネタニヤフ調書」よりも個人的によかったけど、あえて素晴らしい、といった表現は使いません)
ワタクシの主張したいこと、またそれ以上のことをくまなく言語化していらっしゃる方々がすでにたくさんいらっしゃるので。
烏賀陽弘道門下生(笑)のワタクシとしましては、氏のジャーナリズム論に照らし合わせるなら、伊藤詩織氏は到底ジャーナリストとは認められない、とのド正論に同感しています。
そのうえで、この作品がどのようなテイストで、さらに今後、どのような影響を世間に問うことになりそうか、ということに興味を持ったので観ることにしました。
僕が想像していた以上のものを、この映画から感じ取ることができました。
まず、裁判や本を出版するに至るこの8年間、彼女はどのようにして生計をたてていたのか。
烏賀陽氏のいうように、カルバンクライン等の広告に出ること自体がジャーナリズム規範から大いに逸脱するとの〝ド正論〟を宣われても、彼女にとっては毒も食らわば皿まで、という心境だったのかもしれません。
そもそものジャーナリズム規範も、伊藤氏がこのような事件に巻き込まれる形で失ったものの一つなのかもしれません。
ところで渦中の山口敬之氏、動画チャンネルをお持ちなので、最近のものを観ましたが。
このお方もいわゆるジャーナリズム規範から見るならば、どうなんでしょうか。
まあ、この映画が日本で公開されることは、彼にとって、より一層ダメージがデカいと言わざる負えません。
ついでにいうなら、あの映画における、警察の捜査官Aも彼女の妹さんも、無断でその音声を使用されてしまうだけの意義は感じてしまいました。
(僕がもし伊藤氏の立場だったら「ラーメン一緒に食べるわけねーだろ」って思うわな)
20代でいきなり注目を浴びて、自分の意に沿わない行為を受けたってことを告発する、ただそれだけの気持ちで始めただけなのに(中略)なんの訓練も受けないまま、いきなり外に出てしまった、彼女の境遇をみなさん、考えてあげないといけない【三浦瑠麗氏】
繰り返しますが、ブラックボックスダイアリーズ。
エンターテインメント作品としても、とてもよくできています。
同時にそれは、ジャーナリストとしての彼女の未来を犠牲にすることでしか表すことができないとしたら。
彼女の覚悟とは、いったいどんなものなのでしょう。
