ハンチバックを読んで
私は、話題作を「今?」というタイミングで読むことに定評がある女である。
『ハンチバック』もその一冊。
ストーリーとして、あっと驚くようなどんでん返しがあるわけではない。
でも、不思議なくらい惹き込まれて、気づけばあっという間に読み終えていた。
それはたぶん、主人公・釈華があまりにもリアルだったからだと思う。
彼女は「小説の登場人物」というより、どこかに本当に生きている一人の人間だった。
私は、今まで知らなかった社会の片隅を、そっと覗き見させてもらったような気持ちになった。
一方で、色んなことを考えるきっかけにもなった。
私はこれまで、学校の教科書を電子化することには反対寄りだった。
紙の方が頭に入るとか、成績が下がるという話を聞いたことがあったし、自分の実感としてもそう思っていたからだ。
でも、その考え方自体が暴力的になり得ることを、この本で初めて知った。紙の本は紙の本を扱えるだけ健康な体がなければならないということを、初めて知った。
また、小説の後、市川さんと荒井さんの往復書簡にあった、強者と弱者の相対性の話も、私ははっとした。
「ある一面では弱者であっても、別の一面では強者である」
私は平成初期に女として生まれ、田舎で育った。
女であるがゆえに苦しい思いもしてきたと思っている。
時にはそれで、全部投げ出したくなったり、怒り出したくなったりもする。
社会に訴えることも、ささやかながらすることもある。
でも、例えば私はもう立派な大人で。
一応働けて、自分で生活費の面倒を見れていて。
行きたいところに行けて、自分でやりたいと思ったことは、だいたいできる。
一方で、おそらく私の当たり前が、当たり前じゃない人もいる。
いい意味でも悪い意味でも。
そんなことを我慢しなくていいって、私の当たり前に驚く人もいるだろうし。
そんなことが自由にできるなんてって、思う人もいるだろう。
私はどこに立っているのか。
私は、そのことを忘れてはならないのだろうし、よく考えて、自分のできる精一杯をしなくてはとも思う。
それは、もちろん、遠い誰かのためにもなると思うけど。
それだけじゃなくて、少しでも私と、私の大切な人と、私に似た人を楽にしてくれることを祈って。
