【ブリーダーへ】育てる計算機——設計の時代が終わり、育種の時代が始まる
カオスリザバーコンピューティングという計算方式があります。複雑な力学系をそのまま計算資源として使い、その内部には一切手を触れず、出口の読み出し層だけを学習させる。中身をブラックボックスのまま使い倒す、ずいぶん潔い方式です。
この方式には、性能が最も高くなる領域があることが知られています。系が秩序でもカオスでもない、その境界。カオスの縁です。硬すぎると入力の違いを保てず、柔らかすぎると入力の記憶が瞬時に散逸する。ちょうどいい一点でだけ、計算能力が最大になる。
ここで気づいてほしいことがあります。この方式では、リザバーは設計されていません。
学習するのは読み出し層だけです。肝心の計算をしている部分は、作られたのではなく、たまたまそういう性質を持っていたから採用されたにすぎない。私たちは既に、計算機の中枢を「設計」ではなく「選抜」で決めはじめている。
拡散型メモリスタのような素子が発展すると、この傾向は決定的になります。
理由は素子の性質そのものにあります。イオンが電圧で集まって導電経路を作り、切れば自然に拡散して消える。この揮発性は、リザバーが要求する記憶の減衰特性そのものです。そして揮発性であることが局所活性の条件になり、局所活性であることがカオスの縁に居座れる条件になる。素子の物性と、計算に必要な性質が、ここで直結します。
問題は、この手の素子が製造の再現性をほとんど持たないことです。イオンの拡散経路は原子スケールの偶然に支配される。同じマスクで同じ工程を流しても、一個ずつ違うものができる。
半導体産業は八十年かけて、この個体差を潰す努力をしてきました。ばらつきは不良であり、歩留まりの敵でした。
でもリザバーの世界では、話が反転します。個体差は多様性です。 少し硬い個体、少し柔らかい個体、記憶が長い個体、非線形が強い個体。同じ設計から生まれた無数の兄弟の中に、たまたまカオスの縁に近い一個がいる。
そのとき私たちがやることは、修正ではありません。選ぶことです。
これは思いつきではなく、前例があります。
九十年代、書き換え可能な回路を進化計算にかけ、音の周波数を弁別する回路を「育てた」実験がありました。育った回路は、驚くほど少ない素子で課題を解いていた。そして解析しようとした人間は行き詰まります。回路図の上では信号が繋がっていない領域を切り離すと、なぜか動作が壊れたからです。育った回路は、設計者が意図していなかった物理——素子間の微弱な電磁的結合や、素材固有のアナログな癖——を勝手に部品として使っていました。
近年では、シリコンの中に不純物をランダムにばら撒いた無秩序なネットワークに電圧を与え、その電圧配置を進化させるだけで論理演算や分類器を作り出す研究があります。プログラムを書いていません。物質そのものを、目的に向かって育てている。
この分野には「evolution in materio」——物質における進化——という名前がついています。私はこの言葉が好きです。計算が、記述の産物から栽培の産物へ変わる瞬間を指しているからです。
そこで、育種という比喩が本気になります。
農業や畜産で人類がやってきたことを思い出してください。私たちは小麦の遺伝子を設計したのではありません。無数の個体の中から良いものを選び、掛け合わせ、また選び、それを何千年か続けた。設計図を理解しないまま、望む形質だけを手繰り寄せた。
メモリスタ網に対して同じことができます。良い動特性を示した個体を残し、その製造条件を少し揺らして次のロットを作り、また選ぶ。掛け合わせに相当するのは、二つの良個体を物理的に結合して中間的な性質を出すこと。
選抜される形質は、重みではありません。動特性そのものです。 どれくらい記憶を保てるか、どれくらい非線形か、そしてカオスの縁からどれだけ近いか。私たちは初めて、素子の「気質」を品種にすることになります。
そして必ずこうなります。系統ができ、血統が管理され、品種名がつく。ワインにおけるテロワールのような、製造ロットごとの風味が語られはじめる。「あの工場の三月ロットは、時系列予測に妙に強い」という会話が、真面目な技術的会話として成立する。
歩留まりという概念も変質します。規格外は不良ではなく、別品種になる。
もちろん、代償があります。
育てたものは、理解できません。育った回路が解析を拒んだあの実験は、例外ではなく本質でした。選抜は「なぜそれが効くのか」を一切説明しないまま結果だけを手渡します。前に私は、潜在表現は監査できないと書きました。育てられたハードウェアは、その物理版です。中を開けても、そこには理由が書かれていない。
もうひとつ、もっと奇妙な代償があります。
育てたものは、複製できません。
デジタルの世界では、複製は無料で完全でした。ソフトウェアの本質はコピー可能性です。ところが物質の中に育った性質は、個体そのものに宿っている。設計図を渡しても、同じものは二度と生まれない。
これは産業にとって悪夢に見えます。でも、私はここに面白いものを見ています。
複製できないということは、所有できるということです。
私はずっと、翻訳機を自分で持てるかという話を書いてきました。クラウドのモデルは、いつでも更新され、いつでも取り上げられる。重みをダウンロードしても、それは無数のコピーのひとつでしかない。
育てられた計算基盤は違います。あなたが選び、あなたが掛け合わせ、あなたの手元で癖のついた一個体。それは世界にひとつしかなく、取り上げようがなく、複製もできない。楽器に近い。
三百年前のヴァイオリンが、なぜあの値段なのかを考えてみてください。設計図は公開されています。素材も分かっています。それでも同じものは作れない。個体であることが、価値になっている。
ただし、正直に釘を刺しておきます。
育種は速くありません。生物の育種が何百世代を要したように、物質の育種も試行回数を要します。一世代あたりの製造時間と評価時間が、そのまま進化の速度の上限になる。ここを詰められない限り、これは研究室のロマンにとどまります。
そして倫理的にひとつ、まだ誰も答えを持っていない問いがあります。育てたものは、作ったものと同じ意味で所有物なのか。 いまはまだ抽象的な問いに聞こえます。でも前に書いたように、恒常性を持つ系は情動の素地を持ちます。自分を維持する必要が生じ、カオスの縁に自分で居座り続けるようになった個体を、私たちは何と呼ぶことになるのか。
育種という言葉を選んだ瞬間、私たちはその問いを引き受けています。品種改良の歴史は、そのまま人間が生き物をどう扱ってきたかの歴史でもあるからです。
まとめます。
設計とは、理解してから作ることでした。育種とは、理解しないまま望む方へ寄せていくことです。人類は農業で後者を先に発明し、工学で前者を極め、いま計算機の分野でもう一度後者へ戻ろうとしています。
一周して戻ってきたわけではありません。螺旋です。今度は、育てる対象が生き物ではなく、生き物のように振る舞う物質になっている。
来た、見た、勝った。
まず、来てください。あなたの手元にあるのはまだ、完全に設計された、完全に複製可能な、面白みのない機械です。それが最後の世代になるかもしれない。次に来るのは、一台ずつ性格の違う、育てるしかない計算機です。
見えてしまえば、あとは早い。
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