「内省」と「内観」は何が違うのか|思考と心の関係を探る
「内省」と「内観」。
両者は似ているようで、実は全く逆の行為を表している。
内省は一般的な言葉として認知されているが、内観という言葉は元々仏教用語なので、あまり馴染みがないかもしれない。
しかし、現実創造において、まず重要なのは「内観」だ。
むしろ、過度な内省は新たな抵抗を生むため、望む現実からは遠ざかる原因にもなりうる。
そこで今回は、「内省と内観の違い」について語りたいと思う。
内省とは
内省とは、自分の行動や経験を客観的な視点から振り返り、思考を使って整理や分析をする行為。
例えば、
なぜ、あの時あんなことを言ってしまったのか
あの失敗の原因はなんだったのか
次はどうすればうまくいくのか
というように、結果から原因を特定し、次に活かそうとするプロセス。
ビジネスや学習など、自己成長の分野では欠かせない、非常に有効な考え方だ。
内観とは
一方で内観は、自分の心を客観的に観察する、あるいは自分の心と対話する行為。
例えば、
今感じているモヤモヤはどこからきているのか
自分が本当にやりたいことは何か
あの人のことを本当はどう思っているか
など、分析や整理というよりも観察や受容、ありのままを受け入れるプロセス。
内省と内観の違い
内省と内観、どちらとも自分との対話であることは変わらない。
ただ、対話する相手が違う。
内省で対話する相手は、あなたの思考。
そのため、どうしてもエゴの声の介入が大きい。
この場合のエゴとは「わがまま」という意味のエゴではありません。
私たちが社会生活を送るために機能する、思考の防衛システムのことです。
一方、内観で対話する相手は、あなたの心の声。
主にあなたの感情や機嫌に寄与する部分。
内省と内観の違いを一言で表すと、
内省は「考えて理解する」
内観は「感じて気づく」
内省は思考をフル回転させる行為だが、内観は思考を鎮める行為。
内省は常に条件から答えが導き出される。
例えば、
「お金がないから苦しいんだな」
「じゃあ、幸せになるためには就職して出世しないといけない」
「出世すれば世間に認められるかな」
というように、物事の判断が全て、現実世界での条件から来ている。
そして、原因と結果がセットになっている。
一方で、内観は物事そのものに対して、どう感じているか、どのように見ているか、といった感情の部分をそのまま観察する。
例えば、今の例で言うと、
「お金に対してどのようなイメージを持っているか」
「どんな時に幸せを感じるのか」
「なぜ世間に認められたいと思っているのか」
というように、現実世界での条件をすべて取っ払って、純粋に「あなたはどう感じているのか」の一点にフォーカスし、「そして、本当は何がしたいのか、したくないのか」を思い出す。
内省は意識が外側に向いているのに対し、内観は意識を内側に向ける。
過度な内省に注意
適切に内省をすることは、現実世界において有効であることは間違いない。
ただ、過度に内省をしてしまうと、逆効果になる場合がある。
内省はやり出すとキリがなくなる。
特に内向型の完璧主義の傾向がある人は、内省をしているつもりで、気付かぬうちに「反芻(はんすう)」に変わってしまうことがある。
最初は反省をしているつもりでも、だんだんと内容が感情論になっていき、しまいにはただエゴを増幅させる行為になってしまう。
例えば、最初は失敗について冷静に分析しているが、何回もそのことについて考えるうちに、「なんであんなことをしてしまったんだろう、悔しい、恥ずかしい」というように、生産性のない議論を頭の中で延々と繰り返してしまう。
なので、下手に内省で自分の首を絞めるのであれば、「全く反省しない」という姿勢も有効だ。
ちなみに、「反省はしない」と公言してる人で有名なのはタモリさんだろう。
あのように飄々と生きた方が、本来は自然なのかもしれない。
最終的には内観と内省を統合することが大事
では、内省は全くやる意味がないのか?
そうではない。
ただ、重要なのはその順序だ。
まずは、内観で本当の自分を思い出す。
いわゆる「自分軸」や「アラインメント」と呼ばれるもの。
ここで自己認識を明らかにし、アイデンティティのベースを築くと、光の道筋が見えるようになる。
そうすると、ワクワクに従って行動するようになる。
ただ、このワクワクの役割は、その行動に移すまでの原動力に過ぎないと思っている。
実際に行動に移してからは、現実世界のルールに則って、失敗と改善を繰り返す必要がある。
自己規律や習慣化の力を借りる必要もある。
そこで初めて内省の効果が発揮される。
その光の道筋から外れないように、日々内省を繰り返す。
これが正しい内省の使い方ではないだろうか。
内観で到達する内宇宙
ここからは、話が急にディープになるが、もう少しお付き合いいただきたい。
さらに内観を進めていくと、心のさらに奥にある魂の領域、いわゆる内宇宙に到達する。
内宇宙は下腹部(丹田)の奥に広がっているとされている。
あなたの現実は、一度内宇宙で発生したものが、三次元の世界で具現化したもの。つまり、内宇宙が実体で現実世界がホログラムであるという考え方。
この領域に到達すると、あなたの今世での使命や、この時期・この場所に生まれてきた理由などを思い出すことがある。
おそらく、アカシックレコードとも密接な関係があるのではないだろうか。
ただ、この領域に達するにはまず、心と行動が伴っている状態、いわゆる「自己統合」がある程度進んでいる状態でないと難しいかもしれない。
おわりに
スピリチュアルというと、どうしても引き寄せや願望実現という方にフォーカスが当たるが、スピリチュアルとは本来、内的世界を探求することである。
外側の宇宙も無限に広がっているが、それよりも無限性があるのが自分の内側の世界だ。
「無限性がある」という表現もおかしいが、より制約のない世界とでも言おうか、とにかく無限の可能性が広がっている。
しかし、その間には、心・感情・思考・体という制約があるので、外宇宙は無限でありながら、ある種の有限性を併せ持っている。
つまり何が言いたいかと言うと、現実創造には内観が一番の近道ということ。
では、今日はこの辺で。
Stay curious, stay aware.
