一つのわがままが江戸の町を大火から救ったかもしれないお話
お世話になっております。
本日は、歴史エピソードを記事にしていきたいと
思います。
エピソードの中心人物は、江戸幕府の8代将軍である徳川吉宗(とくがわよしむね)です。
1.徳川吉宗の経歴
徳川吉宗(とくがわよしむね)の経歴を以下に
纏めました。
①生い立ちと紀州藩主時代
1684年(貞享元年)10月21日、紀州藩
(現在の和歌山県)の藩主・徳川光貞(家康の孫)の四男として生まれました。
母は身分の低い女性でした。幼名は源六、のちに
新之助、頼方と改名しました。
兄二人が相次いで亡くなったため、
1705年(宝永2年)に22歳で紀州藩主となり名を
吉宗と改めました。
紀州藩主として藩の財政再建に尽力し倹約の励行や不正の取締りなどの藩政改革を行いました。
この藩主時代の経験が後の幕政改革「享保の改革」の基礎となりました。
②将軍就任
1716年(享保元年)7代将軍・徳川家継が8歳で亡くなり、徳川宗家に後継者がいなくなったため
吉宗が8代将軍に就任しました。
これは、それまで将軍家から後継者を出すのが原則であった江戸幕府において御三家(徳川家康の息子たちを祖とする尾張、紀伊、水戸の三家)から初めて将軍が出た事例です。
■将軍としての業績 - 享保の改革
将軍就任後、幕府の財政再建と政治の立て直しを
目指し「享保の改革」と呼ばれる一連の改革を行いました。主な内容は以下の通りです。
・質素倹約の奨励
武士や庶民に質素な生活を推奨し幕府の支出を削減しました。
・上米の制
大名に米を納めさせる代わりに参勤交代の江戸滞在期間を短縮しました。
・新田開発の奨励
年貢収入を増やすため積極的に新田開発を推進しました。
・定免法の導入
年貢率を一定にする代わりに数年間の平均収穫量に基づいて税率を定める制度を導入しました。
・目安箱の設置
庶民の意見を聞くための目安箱を設置しました。
・公事方御定書の制定
裁判の基準となる法令を定めました。
・足高の制
能力のある下級武士を登用する制度を設けました。
・洋書輸入の緩和
キリスト教関連以外の洋書の輸入を許可し
西洋の学問を取り入れました。
③晩年
1745年(延享2年)長男の徳川家重に将軍職を
譲り大御所となりましたが実権は握り続けました。
1751年(寛延4年)に68歳で生涯を終えました。
徳川吉宗は、江戸幕府の中興の祖とも呼ばれ
行った享保の改革は、幕府の財政を一時的に立て直しその後の政治に大きな影響を与えました。

2.徳川吉宗のわがままとは?
徳川吉宗は、1.で触れたように質素倹約を旨とする
「享保の改革」を推し進めたことで知られています。
しかし、その一方で非常に個性的な一面も持ち合わせていました。鷹狩りを好んだのもその一つです。
①エピソード
当時の江戸城内は、火災予防の観点から火の気を持つ行為は厳しく制限されていました。
ましてや火薬を使う可能性のある鷹狩りは、
通常であれば許可されるはずもありません。
しかし、将軍である吉宗は自身の強い希望を通して城内での鷹狩りを強行したのです😓
周囲の反対を押し切って行われた鷹狩り当日
不慣れな場所で火縄銃を使ったためか、あるいは何らかの不手際があったのか小さな火災が発生してしまいました。
幸いにもこの火はすぐに消し止められ、大事には
至りませんでした。
しかし、この一件は吉宗にとって大きな教訓となりました。普段は火の気がない場所でも人の手が加わることで火災のリスクが生じることを身をもって体験しました。
②徳川吉宗の防火対策
①のエピソードより、吉宗は改めて江戸の防火体制の重要性を痛感し抜本的な対策を指示しました。
具体的な対策は下記のようになります。
・町火消の組織強化
それまで町ごとに存在していた火消しをより組織的に連携させ迅速な消火活動を可能にする体制を整えました。
・火の見櫓の増設
江戸の各地に火の見櫓を設置し火災の早期発見に
努めました。
・防火用水の確保
井戸や堀などの防火用水を整備し消火活動に必要な水を確保しました。
・火災予防の啓蒙
町民に対して火の扱いの注意や初期消火の重要性を繰り返し伝えました。
これらの対策は、その後の江戸で発生した大火において被害を最小限に食い止める上で大きな役割を果たしたと言われています。
例えば明和の大火(1772年)や文化の大火(1806年)など大規模な火災が発生しましたが、
吉宗が整備した防火体制が機能し以前のような壊滅的な被害は免れたのです。
もし吉宗が鷹狩りを強行せず、小さな火災を経験していなければ防火対策の重要性をこれほど痛感することはなかったかもしれません。
そう考えると一見わがままとも思える吉宗の行動が結果的に江戸の町を大火から救うという事になりました。
徳川吉宗の柔軟な姿勢・自身の過ちから学び速やかに政策に反映させる能力の高さも示していると言えるお話でした❗

こんな大惨事になっていたかもしれません…😨
3.終わりに
徳川吉宗の一つのわがままが江戸の町を大火から
救ったかもしれないお話でした。
権力者でありながら、柔軟な思考を持ち合わせ
失敗経験から即対策を打ち出す姿勢は現代社会でも
見習える点があると感じました🤔
(わがままを押し通す権限は私にはありませんが😅)
歴史から学べたエピソードでありました👍️
最後迄、お読み頂きありがとうございました🙏
