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小さな私へ。60年目に知ったこと。

私は61歳。

20年ほど前から、原因不明の激しい痛みと共存している。

線維筋痛症。

難病と言われ、合併症もいくつかあって、
効いているのかどうか分からない薬を何年も飲み続けている。

最初は何件もの病院をたらい回しにされた。

今はある先生のもとで治療を続けているが、病状は変わらない。

ある日、その先生から
「一度、心療内科にも行ってみたらどうかな」

と勧められた。

どこに行っても同じよ。
そう思いながら、心療内科を受診した。


そこの先生は、痛みや検査の話よりも、私の生い立ちを丁寧に聞いていった。

どんな家庭環境だったのか。
どんな親で、どんな兄弟で、どんな生活だったのか。


そして先生は言った。

「この病気の多くは、幼少期のトラウマやストレスが関係しています。あなたも、そうですね。」

私は唖然とした。

でも同時に、妙に腑に落ちた。


私は典型的な毒親育ちだ。

それなりに壮絶な幼少期だった。

母親は酒乱。
父親は女狂い。


しかも私は、母親の姉の養女に出される予定だった。

理由は、
「うちは子どもが二人いるから、一人あげるよ。」


だから、どこが自分の家で、誰が本当の母親なのかもよく分からなかった。

その叔母は、私が小学生になる頃に急死し、
養女の話はなくなった。


私は、幼少期と言われるその頃の記憶がほとんどない。

受け止めきれないストレスや出来事は、
脳が記憶を消してしまうことがあると聞いた。


小さな頃、ひどい夢遊病があった。
毎晩、理由も分からず怒鳴られ叱られていた。

ひどいチックもあった。
体が勝手に動いてしまう。
そしてそのたびに、また強く怒られた。

覚えているのは、それくらいだ。


でも、最近になって少し思い出した景色がある。

母の姉の家の隣に、小さな小川が流れていた。

市営住宅の小さな家だった。

私はそこで、いつも一人で遊んでいた。
何をしていたのかは覚えていない。

でも、その小川の水の音と、緑が綺麗な水草、いろいろな形の小石
そして、ひとりでいた記憶だけが残っている。

もしかしたら、あの頃の私は、
小川のそばで自分の居場所を探していたのかもしれない。


もう一つ覚えているのは、
ビニールでできたピンクのゾウと黄色いキリンの人形。

発泡スチロールの空き箱にその二人を乗せて、

「どこへ行きますかー」

と言いながら、狭い部屋を何周も走らせた。

そのゾウとキリンが、私の唯一の友達だった。

私はその遊びが大好きだった。

というか、
それしかなかった。


懐かしいな。


今思うと、そんな症状が出ていたくらいだから、
小さな私には記憶を消してしまうほどのストレスがあったのだろう。


私はこれまで、自分の病気に対して
「困っちゃうね」くらいの気持ちで向き合ってきた。

悲観することもなく、それなりに付き合ってきた。

でも原因が幼少期にあるかもしれないと知って、逆に思った。

子どもの頃の私は、そんなに辛い経験をしていたのか。

60年経った今でも、体に異変が出るほどの出来事に私は耐えてきたのか。

そう思うと、
小さな頃の自分が不憫で、とても可哀想に思えた。


今でも私は、大きな音が怖い。

誰かが怒鳴る声も怖い。

幼少期が原因かもしれないと分かったとき、
スッキリするどころか、なぜか少し落ち込んだ。

きっと、自分が可哀想だったのだと思う。


今は実家とは絶縁している。
それが、なんとなく救いだ。


でも、私の今を見てほしい。


十数年前に再婚した、素晴らしい理解者の旦那様。

息子という名の同志たち。
ずっと私を支えてくれた、心強い二人。

そして新しく家族になった、桜の花のようなお嫁さん。

毎日私を癒してくれる、元野犬だった保護犬のゆめこ。

いつもお空から見ていてくれる、豆助としーちゃん。


もはやこのチームのおかげで、私は今、人生で一番幸せだ。

誰も欠けてはダメ。

完璧な仲間たち。

だから、それでいい。


私のチームは、この先、幸せの種しか持っていない。

これからもきっと、柔らかい何かでみんなが私を包んでくれる。

我が家には、いつも明るい太陽がさしているように。


だから今もこれからも、

何も心配はいらない。


そんな自分のことを、書きたくなった。


小さな私のこと。


#創作大賞2026

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