近代日本を支配した「超巨大官庁」…「内務省」とは一体何だったのか…内務省研究会編『内務省』
戦前の日本で、現在の警察庁・総務省・国土交通省・厚生労働省・都道府県知事・消防庁などが担当する役割をすべて掌握していた「巨大官庁」内務省。
いったい、内務省とは何だったのでしょうか?
好評発売中の内務省研究会編『内務省』著者の一人である政治学者・清水唯一朗さんが、日本近代史に君臨した知られざる「省庁の中の省庁」の真実に迫ります。

「省庁の中の省庁」
本書を手に取られた方には、書架に並んだ本書の厚さに驚かれたという方もあるだろう。ひとつの省庁がこれだけの紙幅をもって語られる。いや、語るためにこれだけの厚さを必要とする。なんという組織なのだろう。
内務省は明治のはじめ、1873(明治6)年11月に生まれ、太平洋戦争後の1947(昭和22)年12月に廃止されるまで、74年にわたって存在した日本の省庁であり、その規模、権限の大きさから近代日本における「省庁の中の省庁」とされる。
では、内務省はどれほどの規模を誇ったのか。その大きさを理解するために、内務省が所管していた政策を現代日本の担当省庁に置き換えてみると、次のようになる。
地方行政:総務省のうち旧自治省、都道府県知事・部長
警察行政:警察庁、消防庁、各道府県警察本部長
土木行政:国土交通省のうち旧運輸省、旧建設省、旧国土庁
衛生行政:厚生労働省のうち旧厚生省
社会行政:厚生労働省のうち旧労働省
防空行政:廃止(内閣官房へ)
神社行政:廃止(宗教法人神社本庁へ)
地方行政、警察行政だけでも、それぞれひとつの省庁に匹敵する。それに加え、今日、大規模官庁として知られる厚生労働省、国土交通省までも包括する。これだけではない。廃止時には土地収用、国籍、外国人登録から、史蹟名勝天然記念物保存といった各省に横断する事項も内務省が所管していた(「内務省官制廃止に伴う法令の整理に関する法律」)。現代には比肩するものがない、空前絶後の巨大官庁である。
所管する範囲がこれだけ広ければ、当然、許認可権限も膨大にあり、それに伴う権力は絶大なものとなる。それだけに、現在にいたるまで、内務省は常に内外からの批判にさらされてきた。
とりわけ、警察行政を所管していたことは、権力を用いて国民の権利や自由を抑制するイメージを内務省に貼り付けた。戦時中を生きた人たちにとっては特別高等警察(特高)の強権的な存在が同省を象徴するだろう。戦後に日本史を学んだものにとっては選挙干渉を行う民主主義の敵と映る。それが内務省の持つ一面であることに間違いはない。
しかし、そうしたイメージから一歩引いて研究を進めると、それが内務省の限られた一面に過ぎないことがわかる。すると、内務省とは何か、なぜ内務省を知る意義があるのかが見えてくる。
近代日本の政治・行政の「象徴」
近代日本は、明治憲法のもとで政治(藩閥、政党、宮中など)、行政(各省庁)、軍(陸軍、海軍、軍政、軍令)などがそれぞれ自立し、権力分立体制が築かれていたと理解されている。そうであるなら、なぜこのような巨大官庁が現れ、近代ほぼすべての時期に「省庁の中の省庁」として存在しつづけたのだろうか。内務省を見ることで、近代日本における政治が、行政がどのように運用されたのか、速いペースで近代化を実現しながら、なぜそれが敗戦への道を歩んでいったのか、その要因をたどることができるだろう。近代日本の政治と行政を象徴する。それが内務省であるからだ。
くわえて、地方行政は人々の生活に密着し、政策の実施にあたる都道府県庁は内務官僚のポストであった知事と部長によって運営された。警察行政は私たちが想像する治安維持に加え、建築基準や消防といった生活の細部の安全までを広く担った。衛生行政と土木行政は、災厄から人々を守り、暮らしを便利にした。社会行政はすべての人々が幸福に暮らせるよう措置をした。内務省は、生活全般にかかわる省庁であり、その影響は広く深く国民に浸透していた。植民地の行政にも内務省出身の人材が数多く派遣されている。
それだけではない。多岐にわたる政策領域の蓄積は、戦後も各省に、その人、組織、知識とともに継承された。その結果、戦後も内政は長く内務省支配のもとにあるとされた。内務省の廃止は消滅ではなく、発展的な解体であった。
内務省出身者は、解体によって新設された各省で指導的な地位に就いた。彼らを網羅した名簿が作成され、人的な結びつきも維持された。なにより、戦後の官僚機構のトップである内閣官房副長官(事務)が代々、内務省関係省庁から選ばれてきたことがその影響力を物語っている。
内務省研究会の取り組み
それほどの存在であるなら、これまでにも多くの研究が積み重ねられてきて当然だろう。しかし、実際にはそうではない。震災や敗戦時の処理、さらには解体によって資料が散逸したため、それぞれの政策分野の研究は進んだものの、内務省を全体として捉えることはできなかった。
散逸した資料を集め、まず通史を書くことが必要だった。その作業は研究者ではなく、同省の復活を願うOBたちが取り組んだ。彼らはその組織を「大霞会(たいかかい)」と名付け、1970年から1年をかけて全4巻、3700ページに及ぶ大著『内務省史』が刊行された(大霞会編、1970~71)。通史編は歴史家で、初代内務卿・大久保利通の嫡孫である大久保利謙が手掛け、各論は大霞会のメンバーが担当した。
その存在があまりに大きすぎたのであろう。同書を参照する研究や、それぞれの政策分野を詳述するものは次々と現れたが、内務省そのものを体系的に捉える研究は、なかなか現れなかった。その影響は歴史研究にとどまらず、現代政治、地方自治などの研究においても、戦前期の内務省への理解が不足する状況が続いた。
そうしたなか、若手の日本政治史研究者が集まり、内務省研究会と称する勉強会を立ちあげた。2001年の春のことである。率直に言えば、そのときに新しい内務省史を描こうといった大それた夢を持っていたわけではない。しかし、多彩な分野を専門とするメンバーが互いに切磋琢磨していくなかで、内務省の像がおぼろげながら見えてきた。
それから四半世紀が過ぎた。政治史、社会史、日本史、東アジア史などから個別の関心を深掘りした研究、論文集は刊行されているものの、やはり体系的に捉えたものは現れていない。他方で現代日本を顧みれば、中央省庁再編と公務員制度改革を経て政官関係が激変し、行政の危機も叫ばれるようになった。
発足時には若手だった研究会のメンバーも、年を重ね、中堅と呼ばれる世代になった。このあたりで自分たちの研究をまとめ、学術論文ではなく、新書として広く内務省のことを伝える1冊を世に問うよいタイミングなのではないか。そう考え、本書の執筆の打診を内務省研究会として受けることをメンバーに諮ったところ、みなさん快諾してくださった。
本書は、政治と行政にまたがる内務省の位置を論じる序章と、明治維新、政権移行、政党内閣、戦中戦後の4つに分けて捉える通史編、多彩な行政分野と他のアクターとの関係を取り上げた10の論稿からなるテーマ編、独自の視角による11のコラムと付録年表、組織機構図からなる。いずれも実績のある中堅・若手の研究者による、最新の成果を踏まえた案内となっている。本書を入口として、内務省を、日本の政治と行政のあゆみを捉え、現代日本の淵源の理解に繋げていただければ幸いである。

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— 講談社現代新書 (@gendai_shinsho) April 28, 2025
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