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【特別公開】聖夜の夢はクジラの上で

*1

 その日はクリスマス前日で街の雰囲気もすっかりきらきらときらめいていた。ラジオからも聴き馴染みのあるクリスマスソングがひっきりなしに流れムードを盛り上げるのに一役買っていた。

 僕は仕事を終えると、同僚達に握手を交わしながらクリスマスの挨拶をして回った。クリスマスが祝日の為、それから年明けまでしばらく有給休暇を取る者もいてついでに一年の労を労い合った。 

 十五時。最寄りの駅まで歩いて行く途中ですっかり靴の中まで濡れてしまった。天気は晴れ。昨晩の雪が日光で溶けてドシャドシャになってしまっている。僕はつま先歩きをしながらなんとか駅に着いた。電車が丁度よく入ってきた。

 電車の座席はほとんど埋まっていた。大きい買い物袋を提げた人が何人もいる。祝日にはスーパーをはじめほとんどの店舗が休みになるので、決まってクリスマス前日は祝日の分の食材を大量に買う人でスーパーは混み合う。僕は一昨日、すでに買い物は済ませてあった。とは言っても、小さい手提げのバック一つで間に合うほどで十分な買い物だった。

 電車に乗って二十分、そこから歩いて十分で僕が住んでいる部屋に着く。建物自体は古く見えるが内装は十分に綺麗だ。場所も悪くないし家賃も余裕を持って払える程度で、僕はこの部屋を気に入っている。

 部屋に入って電気をつけた。今朝、朝食の後に片付けていかなかった食器と一匹の金魚が僕を出迎えた。とりあえず帽子と上着を脱ぎコートスタンドに掛けるとパン屑の乗った食器を洗った。

 

 二十四日の夜。クリスマスイブ。世間では恋人や家族と過ごす人が多いだろう。それから二十五日、二十六日の二日間の祝日も同じように。いつもより豪華な料理を楽しみ、いつもよりゆっくり過ぎる時間をくつろぎ、中にはいつもよりロマンチックな時間を過ごす人たちもいるだろう。僕はというと、ひとりだ。

 そうかと言って、決して寂しいわけではない。強がっているわけでもない。僕はひとりで過ごす、ただそれだけの事だ。そもそも母国を離れて単身異国の地に降り立った僕がひとりで聖夜を過ごすのは至って普通だ。仲のいい同僚や友人にも恵まれているが彼らにも家族がある。クリスマスを家族で過ごす時間を邪魔する権利は、いくら仲が良くても持てるはずがない。決して自分の孤独を無理矢理に正当化するわけでも、他人の境遇に覚える劣等感を苦し紛れに打ち消しているわけでもない。至って普通なのだ。

 いつも通りシャワーを浴び、いつも通り金魚に餌をやった。空腹に喘ぐ腹を摩りながら冷蔵庫を開ける。一人とは言え特別な夜。少し奮発して買った食材が冷蔵庫内に押し込められていて、扉を開けた拍子にバターが滑り落ちて来た。ごちゃごちゃとした食材の山を掻き分け、今夜のメインディッシュを引っ張り出す。三十%割引で売られていた牛肉のステーキだ。思わずニヤついた頬を左手で抑えながら、落としたバターと一緒に牛肉を調理台に置いた。料理は決して上手ではないが、焼くぐらいなら出来るだろうとフライパンを火にかけた。後ろのラジオから流れるクリスマスソングに合わせて鼻歌を歌うほど、僕は愉快になっていた。

 牛肉を焼いている間にバゲットを切る。帰り道、と言っても家のすぐ目の前にあるパン屋で買ったものだ。そのパン屋は良心的で、祝日前にもかかわらず十七時まで店を開けてくれていたお陰でバゲットを買うことが出来た。

 まだ硬いクラストをパン用ナイフが通るザシュザシュという音が心地良く、一人だと言うのに思わず六切れも切ってしまった。

 焼き上がったステーキを皿に乗せ、スーパーで買った総菜のサラダを肉の脇にちょこんと添え、かごの中にバゲットを入れテーブルに並べた。赤ワインを取り出しそれもテーブルに並べた。聖夜らしく華やかに彩られた食卓に僕は満足し、十分過ぎるほどの幸せだと思った。

 子供の頃に、サンタさんがいる、という話はもちろん聞いていたが、とてもじゃないが信じる事が出来なかった。もしいたのだとしたら、あまりにも不平等だと思ったからだ。何故なら当時の周りの子供たちが貰っていたプレゼントは流行りのオモチャや自転車だったのに対して、僕が貰っていたプレゼントはあまりにもみすぼらしかったからだ。具体的なプレゼントは恥ずかしいのでここでは書かないが、時には貰えない年さえあった。まだ子供だった僕にとって、その差は単に“サンタクロースの不平等”にしか思えなかった。サンタクロースの存在を信じられなかったなどと言いながら、当時の僕の不満は確かにサンタクロースの存在を肯定した上に成り立っていた。

 今はもう立派な大人だ。サンタクロースの正体だって知っている。でも当時の僕は、まさかサンタクロースの正体がそんなに身近な存在だとは思いもしなかった。今思えば残酷だが、当時の僕はその“サンタへの不満”を父親に漏らしていた。しかも僕には妹がいた。時には妹と二人で父親に詰め寄った事さえあった。

「お父さん、サンタさんへの手紙ちゃんと渡したの?」

「サンタさんと友達なんて本当は嘘なんじゃないの?」

 父親はいつも困った顔で笑いながら僕たちの不満を受け止めてくれていた。僕が四歳の時に母親は病気で亡くなり、それ以来僕達兄妹を一人で育ててきた父親にはクリスマスを過ごす余裕なんて本当は無かったはずだった。仕事をして家事をして、貧しく苦しいながらも何とかやりくりしている中で、サンタクロースへの手紙まで届けられるはずがなかった。

 僕が初めて“サンタクロースの正体”を知ったのは十一歳の時だった。確か友達と話している時に「サンタはいない」と聞いた。そして続けて“サンタクロースの正体”を知った。僕はドキッとして、何とも言えない感情に襲われた事を覚えている。その頃になれば家庭環境の貧しさにも少しずつ気が付いていた僕が、かつて父親にサンタクロースへの不満をぶつけていた残酷な過去を後悔する為の感情だった。

 僕はどうしていいか分からなかった。父親にそれを告げるのも間違いである気がしたし、また突然、サンタクロースへの手紙を書かないことも正しくない気がした。子供が親に気を遣う事の重罪さを、子供なりに承知していたのだろう。

 その年のクリスマスが今までで一番楽しくなかった。しかし、よりによってその年のクリスマスだけ、僕は手紙に書いた通りハーモニカを貰えた。妹も自身の身長よりも大きいテディベアを貰えた。朝、枕元のきれいに包装された小包を恐る恐る開けたあの感覚は未だに手が覚えている。

 後日、僕は涙ながらに父親に「もうクリスマスプレゼントは要らない。」と頭を下げた。“頭を下げる”場面ではなかったが、僕の中にあった罪に似た意識が勝手に頭を下げさせた。本当は「もう子供じゃないから」と大人ぶって断るつもりだったが、父親の優しい目を見た瞬間に涙があふれて来たのを覚えている。父親は黙って抱き締めてくれた。そしてその後思いもよらない言葉が父親の口から飛び出し、僕の頭は一度真っ白になった。

 

「父さんの所にも来てたんだ、サンタクロース」

 

*2

 毎年、クリスマスの時期になるとこの話を思い出す。あれは父親なりに子供をかばって咄嗟とっさに出た嘘なんだろう、と毎年年齢を重ねるにつれ、より一層父親になる事の大変さを感じる。今は独り身だがそのうち素敵な人と出逢い、恋に落ち、結婚をし家庭を持つとなった時に、果たして自分にはそういった覚悟や強さがあるだろうかと不安になる夜も少なくはない。

 結局、六切れのバゲットも全て完食してしまった。ぱんぱんに膨れたお腹はさっきまでと違う声で喘いでいる。行儀が悪いとは分かっているが少し食べ過ぎた僕は、汚れた食器もそのままにベッドに体を倒した。天井を見上げる。そしてまた昔の事を思い出す。父親は元気にしているだろうか。

 今は実家で妹と二人暮らしをしている父親は、定年を迎え仕事を退き、家事も専ら妹に任せている。文句の多い人でもないので、妹の家事にケチを付ける事などはないらしい。妹とはよく電話をするのだが、その時には妹の口から父親の様子を聞くばかりで、父親は電話口には一向に出たがらないらしい。ただ「いつ帰ってくるのか」という事は、毎回問い質される。僕はいつも曖昧な答えしか出来ずにいる。普段がそんな風なので、父親の事を特別に思い出すのはクリスマスの時くらいだ。

 

 何時になったか分からない。ベッドに体を倒した僕はどうやら眠ってしまったようだった。瞼が重くなってきた、と思ったところまでは意識がはっきりしていたが、そのうち眠ってしまったんだろう。

*:*:*

 目が覚めるとお腹の膨れはいくらかおさまっているようだった。天井を見上げる。電気が消えている。確か点けっぱなしで眠ってしまったと思っていたが、うつらうつらした状態でもどうやら律義に電気は消したらしい。トイレに行くために体を起こし立ち上がり電気を付けた。寝起きの目には決して優しくない。細めた目を光から逃がすように上から下へ向けると、ぼんやりとテーブルが目に入った。不思議な事に食器が無い。確か片付けずに眠ってしまったと思っていたが、食器まで片付けてある。記憶が曖昧になってきた。と同時に、罪悪感と義務感に駆られ無意識に片付けをしたであろう自分を想像すると、人間の神秘に触れたような気持ちがして感心を余儀なくされた。

 トイレを済まし、水を飲もうとキッチンに行くと流し台に食器が積まれていた。

 「なんだ、洗ってはいなかったのか。」

と、ほっとしたようながっかりしたような笑みを浮かべてスポンジを手に取った時、どこからかコンコンとノックの音が聞こえた。時計を見ると二十一時だ。

 「こんな時間に誰だ」と思いながら恐る恐る玄関のドアを開いた。が、そこには誰もいなかった。

 「気のせいか」と、今度は背後からまたコンコンと音がした。窓だ。

 窓ではあるがノックの音のはずはない。なぜならここは三階で窓を開けてもその向こうに立てるような場所など無いからだ。大方、枝か雪だろうと思い、また流し台に向き直した。それでもまだコンコンという音は三、四回繰り返された。窓にはカーテンが掛かっていて外は見えない。僕は少しずつ怖くなっていった。

 コンコン、コンコン、

 繰り返されるノックの音。僕は心霊の類は信じていない人間だったが、この時ばかりは足がすくんだ。百聞は一見に如かずという諺があるが、いざこうして自分の身に起こると嫌でも信じざるを得なかった。

コンコン、コンコン、

 それでも鳴り止まないノックの音を止めるには、きっと正体を定かにする以外に方法はないと思い、決死の覚悟で僕はカーテンに手を掛け一息に開いた。

 窓の外には人影。三階の高さの窓の外に人影。僕は叫びそうになったが、不思議なもので本当に恐怖を感じている時というのは叫び声が出ない。声は出ないし、目線は外せない。窓の向こうの目と、不意に視線がぶつかった。そして確かにその人影がノックをしている。どちらに転んでも不幸な結果しか想像がつかなかった僕は、半ば諦め、聖なる夜に十字を切って窓を開けた。窓の外からは冷たい風が室内に流れ込み、口ひげを生やしたおじさんが顔をのぞかせた。

 その表情は決して子供向けの優しいものではなく、どちらかと言えばむしろ仏頂面のように見えた。その男はさらに顔を突き出し口を開いた。

 「メリークリスマス」

 男はそう言うと、黒いトップハットを取り軽く頭を下げた後もう一度それをかぶり直して言った。

 「私、サンタクロースでございます」

 僕は事態が飲み込めずにいた。サンタクロースが実在するわけないという事と、三階なのになぜそこに立っているのかという事と、第一なぜ僕の所へ来たのかという事と、聞きたい事が同時に沢山涌き出てきてそれの処理に追われていた。そうして無意識のままに窓を閉めようと手を掛け、“自称”サンタクロースの顔を外に押し出そうと体を前に出した。すると外が見え、サンタクロースの足元にクジラがいる事に気付いた。また一つ疑問が増えた。そしていよいよ私は腰を抜かしてしまった。

 閉め切れずにあった窓からサンタクロースは今度は中へ入ろうとしていた。僕は腰を抜かしていて動く事も喋る事も出来なかった。

 完全に両足を室内の床に着地させたサンタクロースは、外から伸びる赤いロープを部屋の中にあるラックの棒状の部分に括りつけた。察するに、クジラのリードのような物だろう。そして彼は部屋全体を舐めるように見回しながら上着のポケットの中をまさぐり始めた。

 彼の身なりは僕が知っている“サンタクロース”とは異なっていた。まず、全身が黒で統一されている。頭には黒のトップハット。そして黒のセットアップスーツの上に黒いトレンチコートを着ている。鼻の下に髭が生えていて、顎に長い髭は蓄えられていなかった。きっと外で見たクジラに乗ってきたのだろう、トナカイが引くソリでもなかった。

 「ジュード君で間違いないかな」

 サンタクロースは手に持った紙と僕を交互に見ながら尋ねて来た。僕は彼が自分の名前を知っている事に動揺してばかりで、何とも答えられなかった。

 「間違いないね。さぁ、早く上着を羽織って外に出るんだ」

 サンタクロースはそう言うとかすように両手を二回打ち鳴らした。腰が抜けている僕は、依然として口を開け放しにしたまま彼の顔を見ていた。すると見かねた彼は、私に向けて手を差し伸べてきた。思いのほかスムーズに手が動き、案外スッと立ち上がることが出来た。

「さぁ、急いで。時間が無いんだ」

 

 

*3

 サンタクロースに言われるがまま、僕は上着を羽織りニット帽をかぶり支度をした。

 「準備はいいね」

 心の準備だけがまだ済んでいなかったが僕は頷いた。

 彼はラックに括りつけてあった赤いロープをほどくと、僕が先に外に出るよう指示した。窓から外を覗くと、暗闇の中をキラキラと彩るイルミネーションの中に巨大なクジラが空中を泳いでいるという異様な光景を見た。

 「さぁ怖がらなくて大丈夫だ。このクジラは暴れたりしない、背中も頑丈だ」

 僕は窓の桟にまたがり恐る恐る足をクジラの背中の上に伸ばした。ツルツルとしているかと思ったが案外滑らなかった。言われるがままにもう片方の足も外に出し、いよいよ僕は空飛ぶクジラの上に着地した。僕が背中に乗るやいなやサンタクロースも軽やかにクジラの背中に飛び乗ってきた。あまりの勢いに少し構えたが、なるほどクジラはびくとも揺れなかった。

 「行きたい場所はあるかい」

 唐突にサンタクロースが聞いて来た。急に言われても何も思いつかず首を横に振った。遠慮はいらない、と笑いながら、僕に腰を下ろすように指示してきた。

 「君に面白いものを見せてあげよう」

 サンタクロースはそう言うと赤いロープをぐっと握り直し、立ったまま指笛をピーっと鳴らした。するとクジラはそれに応えるようにゴーと鳴いた後、聖夜の闇を泳ぎ始めた。下を見ていると、住んでいる街がどんどんと遠のいていく。僕は落ちないように必死にクジラに掴まっていた。僕達を乗せたクジラは風を切って進んでいるのに、体感として少しも寒くなかった。

 街はみるみる小さくなっていった。街のシンボルとしてそびえ立つタワーも随分小さく見える所まで来た。だいぶスピードにも慣れてきた僕はちらっと前方を確認した。サンタクロースは立ったままクジラを泳がせている。と、その向こうに薄青い雲が密集している所が見えた。夜なのに青く光って見えるその雲は異様だった。そしてクジラはその青に向かってまっすぐ進んでいるようだった。あの感覚は忘れもしない。飛び込んだ瞬間に何かを突き抜けるように少しの抵抗を体に感じた。しかしそれも束の間、あるいは緊張と恐怖で一瞬に感じられていたのかもしれないが、次の瞬間には明るく開けた“別世界”の中にいた。

 僕は目を丸くして辺りを見渡した。全体を青い雲に包まれたようなその世界は、全方位の最果てを目で確認できるほどの規模しかなかった。クジラは少しずつ下降している。

 「驚いたかい。いや、無理もない。」

 サンタクロースはワハハと笑った。

 クジラが下降していく先に建物のような物が見えた。どうやらそこに向かっているらしく、すぐそばまでくるとサンタクロースはまた指笛を吹いてクジラを止めた。そして止めるやいなやクジラからひょいと飛び降りたが、その着地した先は雲の上だった。

 「さぁ着いたよ。降りるんだ」

 急にそんなことを言われても足はすくんだ。地上からどれほど離れているかもわからないほど高所にいる事は確かで、雲の上に自分が立てるなんて思えるはずがなかった。落ちてしまったら助かるわけがない。そんな事を考えているとクジラはまたゴーと鳴いた。かと思うと、体を揺さぶり始め、とうとう僕はサンタクロースの足元に振り落とされてしまった。とても気持ちのいい感触が全身を包んだ。サンタクロースは笑っている。

 「さぁ、中に入って。温かいコーヒーを淹れよう」

 サンタクロースはそう言うと建物のドアを開け僕を中へ誘導した。

 「ここは…」

 「私の家だ。まぁそこに腰掛けたまえ」サンタクロースは笑いながら答えた。僕は言われた通り椅子に腰掛けた。少しの間をおいてサンタクロースはコーヒーを運んできた。机の上には一切れ分欠けているバウムクーヘンが蓋をして置かれていた。サンタクロースは僕の正面ではなく机の角を挟んで左手に座った。帽子とコートを脱いだサンタクロースはいたって普通の紳士の様だった。

 「驚いたかい」

 またこの質問が飛んできて、今度ははっきりと「驚いた」と返事をした。コーヒーと部屋の暖かさで不思議と幾らか落ち着いている。

 「そりゃそうだろうな、サンタクロースに連れ去られるなんてまるでおとぎ話のようだろうから。しかしこれは現実だよ、ジュード君」

 僕はどんな顔をすればいいか分からなかったが、ただ頷いてコーヒーを啜った。

 「つまりこれは凄く特別な事なんだ。よし言い切ってあげよう、今晩、いや今年、いやここ約十年でこの場所に来たことがあるのは、世界中どこを探しても君だけだ」

 そう言い切るとまたサンタクロースは大笑いをした。そんな説明を受けたところで僕自身、実感はまるで湧いてこない。夢だと思いたいがそれにしては五感の感触が現実世界とまるで同じだ。しかしそこで少しふとある事が引っかかった。“約十年”という事は、それ以前に誰かがここへ来たことがあるという事ではないかと思った。

「昔、誰かもここへ?」ドキドキだかハラハラだかしながら僕は尋ねた。

 するとサンタクロースはちょっと待っていろと僕を残し、隣の部屋へ入っていった。そして紙のような物を持って帰ってきた。よく見ると手に持っていたものは一枚の写真だった。

 「ご覧、きっと見たことがあるに違いない」

 サンタクロースが見せて来た写真には、確かに僕が見た事ある人が写っていた。赤い帽子に赤い服、それから白く長い顎鬚、そうそれは紛れもなく僕がイメージしていたサンタクロースであり、そしてその隣に困ったような顔で写っていたのは、僕の父親に違いなかった。

 「驚いたかい」

 サンタクロースはまたこの質問をしてきたが、今度は何かを企んでいるような含み笑いの表情をしていた。

 「ビート・ポール氏、君のお父さんだね」

 僕は何度も写真を隅々まで確認した。しかしそれは決して合成写真ではなく、今、僕が体験しているのと同じように、父もこのサンタクロースの家に来ていた事の証明以外の何でもなかった。

 「ちなみにこの赤い服を着ているのは私ではなく、私の父親だ。今は体を弱らせて私が後を継いだが、ずいぶん長い事プレゼント管理局長として働いていた」

 サンタクロースの説明によると、彼や彼の父親の職業は“プレゼント管理局長”といって、いわば世界中にプレゼントを配送する各サンタクロースを監視する役割で、この青い雲で覆われた空間が本部だそうだ。細かい仕組みは説明してくれなかったが、ここでいう各サンタクロースというのは各家庭における父親の事で、近年では特別に指示を与えなくても子供から願いを聞き、プレゼントを枕元にバレずに置く所までこなせる優秀な人材がほとんどだという。

 「そんな中で、君の父さんだけは目立って苦しそうにしていたと聞く。君が自転車を欲しがった年には三本一組の鉛筆を上げたり、君がサッカーボールを欲しがった年には手作りの毛糸の帽子を上げたり。それも酷い出来だったと聞くよ」

 サンタクロースはまた笑ったが、今度は気分が悪かった。大人になってから知った父親の苦労を笑われているような気分になって怒りさえ覚えた。サンタクロースはそれに気付いたのか、なだめるような手つきで、すまないと言ってコーヒーを啜った。

 「まぁまぁ落ち着いて、私の父も決して悪い人じゃない。人様の苦労をあざ笑うような真似はしないよ。彼は見かねて君の父さんの元へ会いに行ったんだ。今日、私が君のところに行ったようにね」

 僕は息を呑んで話に集中した。

 「君の父さんも同じように最初は驚いた顔をしていたそうだ。そのうち、苦労が祟って幻覚が見えたものと思って必死に十字を切っていたらしい。それでも何とか家から引き摺り出してついにこの家まで連れて来られたんだ」


『君は、随分と大変な暮らしをしているようだが』

『はい、妻を亡くしてからというもの仕事に家事に追われていて。お金も時間も不十分な暮らしを、子供達にはさせてしまっていて』

『私はサンタクロース、サンタクロースの目線でしかものを言うことが出来ないが、希望としてはクリスマスには子供達に夢を見せてやってほしいと思う』

『でも、こんな生活の中のどこにそんな余裕が』

『落ち着きなさい、だから今晩、私は君をここに連れて来たんだ。私が少し力を貸そう』

 

 「私の父は、君の父さんに、君と君の妹がそれぞれ何を欲しがっているのかを尋ねた。すると君の父さんはポケットの中から二枚の手紙を取り出した。君と妹さんがサンタクロース宛に書いた手紙だ。そこにはハーモニカとクマのぬいぐるみと書かれていた。覚えはあるね?」

 僕は静かに頷いた。

 

『なるほど、ちょっと倉庫を見て来るよ』

 

 「私の父は、倉庫にまとめられたプレゼントの在庫の中から大きいテディベアを引っ張り出して来た。しかし、生憎、倉庫にハーモニカは無かった」

 

『クマのぬいぐるみはこれでいいかな。ふん、ハーモニカが見当たらなかったんだが…』

 

「そう言いながら部屋を見渡した私の父はある物を見付けた」

 

『あー、これがあるじゃないか』

 

「それがこれだ」

 サンタクロースはそう言って僕に一枚の写真を見せてくれた。そこには僕があの年受け取ったハーモニカと同じものが写っていた。ハーモニカの中央に掘られたフラミンゴのような模様が同じだったので直ぐに分かった。

 「そう、これは私の父が愛用していたハーモニカなんだ。私が今日、クジラに指示を出す時に指笛を吹いていたのを覚えているかい。あれと同じ要領で私の父は、トナカイへの指示を出すのに使っていたんだ」

 僕は目を丸くした。そして咄嗟に「そんな大切なものお返ししないと」と慌てたように言った。しかしまた宥めるようにサンタクロースは続けた。

 「いいんだ、それは現在すでに君のハーモニカなんだから。それよりこの話には続きがある。いいかい、君の父親はその後私の父にこう言ったんだ」


『あの、こんな物を貰っておいて言うのも図々しいとは思いますが、一つお願いを聞いて貰えないでしょうか』

『お願い?なんですか』

『話を伺うにきっとあなたにはすでに筒抜けなのかもしれませんが、私は今まで一度もまともに子供達にクリスマスプレゼントを渡せた試しがありません。それどころか御馳走も用意できず、いつも通りの質素な飯を食わせてきました。そしてその状況というのは、この先天変地異でも起こらない限り変える事は出来ないでしょう』

『そこで、もし可能なのであれば、あの子を、私の息子ジュードをいつか私と同じようにここに連れてきてやってほしいんです。私がこれまで子供達に見せてやれなかった夢を見せてやってほしいんです。すぐにとは言いません。まだ子供の彼らをまずは私自身、自力で夢を与えてやりたい。来年こそは素敵なクリスマスを味わわせてやりたいと思っています。なので、十年、十年にしましょう、十年経った時、ジュードが二十歳を超え大人になった時、是非、ここに連れてきてやってほしいんです。それを彼への償いと、過去の貧相なプレゼントの分を取り戻すようなプレゼントとして。これがお願いです、聞いていただけますでしょうか』

 僕が目頭に熱を感じてからすぐに涙が溢れ出て来た。そして頭の中に、当時のみすぼらしいプレゼントや汚い格好をして笑っていた父親の姿が幾重にも浮かんできた。

 「父さんの所にも来てたんだ、サンタクロース」

 あの日、泣いていた僕を抱き締めながら放った父さんの言葉が立体的に蘇った。

 「今日、私が君をここへ連れて来たのは、君の父さんからのクリスマスプレゼントだ。それから父さんからの手紙も預かっている。さぁ」

 サンタクロースは引出しの中から手紙を一通取り出した。封筒を開けるとそれほど大きくない便箋が二つ折りにされて入っていた。日付は確かに十年前だった。

“ジュードへ
 元気か?十年後の事は想像がつかないが、元気である事を祈っている。
 この手紙を読んでいるとしたらきっとお前はもうサンタさんの元にいるはずだな。どうだ、驚いたろう。父さんももちろん最初は驚いた。
 子供のお前にはなかなか華やかなプレゼントや食事を用意してやれなくて本当に申し訳なく思っている。こんな話、子供のお前には出来ないと思い十年後のお前に話す。許してくれ。
 お前が今日、サンタさんの元に連れられてきたこと、これをお前への償いとそれまでの分のプレゼントに変えさせてほしい。きっと忘れられない夜になるはずだから。
 最後に、父さんもお前たちみたいにサンタさんへ手紙を書いてみた。父さんが欲しいのはお前たちの幸せだ。いつか受け取れる日が来るのを心待ちにしているよ。
 それじゃあ、メリークリスマス
                              ポール”

*4

 一通りの物語を聞き手紙を受け取り、涙も枯れた僕は帰り支度を始めた。上着を羽織り、玄関を出るとクジラの大きさに改めて驚いた。部屋の中にいる間すっかりクジラの事は忘れてしまっていた。

 サンタクロースは僕に「どこか行きたいところはあるか」と聞いてくれたが、僕は特にないと言った。「父さんの元へは」という質問にも首を横に振った。理由は分からない。でもきっと、こうして十年越しのプレゼントを受け取った事を父さんには内緒にしておきたいような気持ちがした。

 サンタクロースが指笛を吹くとクジラが目を覚ました。今度は僕もあまり怖がらずに乗ることが出来た。もう一度吹いた指笛を合図に僕たちはサンタクロースの本部を後にした。また青い雲を突き抜ける。突き抜けた先はまだ真っ暗だった。

 今度は街のイルミネーションや街灯の光が少しずつ近付いてくる。往路よりも心に余裕があった僕は、少し落ち着いて街を見下ろすことが出来た。父親が住んでいる僕の母国と今僕が住んでいるこの街は別だが、空は一緒だ。きっと父親の元へ簡単に行く事だってできたはずなのにと、してもいない後悔に頬を軽く緩ませた。

 既視感のせいか帰路の方が短く感じた。クジラはとても正確に僕の部屋の窓の下につけた。

 「さぁ着いた。落ちないように気を付けて」

 開けっ放しにして出てきた窓から中に入ると現実が広がった。振り返って窓の外を見る。サンタクロースはクジラの上でこちらを見ている。

 「素敵な夜を。メリークリスマス」

 サンタクロースと僕は握手をして別れの挨拶をした。そしてまたピーっという指笛の音でクジラは遠くの方へ向かってゆっくりと泳ぎ始めた。しばらく僕は目で追いかけ続けた。頭の中の整理作業がとても追いつかないでいる。

 クジラの姿が見えなくなった時、急に頭に夜風の冷たさを感じて急いで窓を閉めた。

 「しまった、帽子を忘れてきてしまった」

 気付いたところで時すでに遅し、サンタクロースを呼び寄せる術など無い僕は諦めざるを得なかった。そして興奮状態の脳内を抑えるべく、ワインをグラスに注いで飲んだ。現実か夢かは分からないが、心が温まったのは事実だ。顔がほころぶ、そしてまた涙ぐむ。サンタクロースの元で起こった一連の流れを整理しながらワインを飲み進めた僕は、気付かないうちにベッドに倒れ眠り込んでしまった。


*:*:*

 祝日なのに携帯のアラーム設定を解除しておくのを忘れていた僕は、朝の六時に目覚ましに叩き起こされた。少しの間ベッドの上を転がってみたが、昨晩の事を思い出して飛び起きた。部屋を見回す。机の上、汚れた食器が置かれたままになっている。カーテンはきっちり閉められている。

 「夢、だったのか?」

 現実世界に引き戻されてまた脳内が混乱を起こした。夢にしては出来過ぎた話だが、現実にしては現実味の無い話だ。溜め息を一つついた僕は体を起こし、水を一杯んで飲んだ。そして余りのバゲットを二切れ切り落とし、バターを塗って食べた。

 昨夜の食器を片付けようと思ったのとほぼ同時に電話が鳴った。妹からの着信だった。

 「メリークリスマス」

 「あぁメリークリスマス」

 「お兄ちゃんもなかなかやるね。事前に何も言わないでさ」

 妹が突然、そんな事を言ってきた。聞き返すと「とぼけなくていいの」と言い、僕から父親宛のプレゼントが届いたと言う。心当たりが無いと言っても妹は信じない。

 「送ったんでしょ、深緑色のニット帽。父さん喜んでるよ」

 深緑色のニット帽、僕が普段被っているのと同じじゃないか。まさか。

 僕はコートスタンドに目をやった。いつも帰って来てから帽子を掛けて置く所に深緑色のニット帽が、無い。

 

 サンタクロースか。

 僕は高鳴る心臓を抑えるが、何の確認のしようもない。確かに昨晩、僕はサンタクロースの所に帽子を忘れてきてしまったが、あれは夢の中の話で。

 「私の知らないメーカーだけど、父さんは知ってるみたいで泣きながら喜んでるわ。大袈裟よね」

 僕はなんというメーカーか尋ねてみた。心臓はバクバクしている。

 「名前は書いてないけど、フラミンゴみたいな模様が刺繍されてるわ」

 目を真ん丸にした僕は電話をそのままに物入の中にハーモニカを探した。そして見付けたハーモニカにもやっぱり同じようにフラミンゴのマークがあった。

 僕は腰を抜かした。絶望ではない。ただ、希望でもない。喜びや悲しみなどそういった感情ではない。言葉にも文字にも出来ない気持ちを、きっと父親と僕だけが知っている気持ちを感じた。奇跡が起こったのだ。興奮して涙が出てきた。鼻息が荒くなってきた。

 僕は妹に、電話を父親と代わるように頼んだ。そして父親が出た。

 「もしもし、お前、」

 「父さん、何も言わなくていいよ。メリークリスマス、僕は今幸せに暮らしているよ」

 受話器からすすり泣く声が聞こえたが、自分の物か父親の物かは定かではなかった。

 「良かった。幸せなら、それで良かった」

 そう言うと直ぐに父親は妹に電話を渡した。

 「ね、父さん大袈裟でしょ。え、お兄ちゃんも泣いてるの、なんで」

 妹のその反応を聞いて今度は可笑しくなって笑えてきた。それを聞いた妹は困り果てた様子で、しばらく話した後電話を切った。

 落ち着かない体をほぐそうと散歩に出かける事にした僕は上着を羽織り、静まり返った街に繰り出した。クリスマスという事もあって外出している人はほとんどいない。僕はそれを良い事に、指笛を鳴らして空を見上げてみた。待てども待てども何もやっては来ない。そりゃそうだ、とポケットに手を突っ込むと何か入っているのに気が付いた。取り出してみると、父親がサンタクロースの元で僕宛に書いた手紙だった。

 

 遠くの空からピーっと指笛の音が聞こえた気がした。




作・絵/GENCOS(原作2018年、挿絵2021年)


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