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文藝春秋の動画についての考察(2)  「要素分解」とビジネスの再構築

文藝春秋の動画についての考察の続きを書こうと思う。

前回の記事から、翌日にでも更新しようと考えていた。だが、気づけば9ヶ月もの月日が流れてしまった。

ヘッダーに使用した写真は、今はもう存在しないスタジオの風景だ。数ヶ月前に大幅なリニューアルを敢行し、ずいぶん「動画番組のスタジオ」らしい佇まいになった。あの頃の手作り感あふれる空気は、もう過去のものだ。

9ヶ月という時間は、十分すぎる時間だった。正直に言えば、前回の純粋な「続き」というよりは、今の私の現在地を記すような内容になってしまうかもしれない。それでも、あえてここで「続編」を書き進めてみたい。

改めて、前回の記事を読み返してみた。 そこで私は「文藝春秋PLUS」の本質をこう定義している。 〈紙の「文藝春秋」をレイヤーに分解し、(動画の)デジタル技術と組み合わせたビジネス〉

この考え方自体は、9ヶ月経った今も基本的には変わっていない。

前回「レイヤー」という言葉を使ったのは、西山圭太さんの著書『DXの思考法』の内容を引用していたからだ。もちろん私なりに理解した上での表現だったが、この9ヶ月間、動画ビジネスに携わってきて、理解の解像度が一段上がった実感がある。

実は、最近の講演や取材では、あえて「レイヤー」という言葉を使わず、別の言葉で表現することが増えた。 それは、「紙の雑誌を要素分解し、動画ビジネスと相性の良い要素をピックアップして、ビジネスとして再構築する」という考え方だ。

前回の記事では、紙の「文藝春秋」を構成する要素としてテキストや対談などを挙げた。しかし今、改めて「雑誌の要素」をビジネスの機能面から分解するなら、以下のようなものが挙げられるだろう。

  • 「冊子」というパッケージ化された売り物

  • 新人作家を育成し、試筆させるための「育成媒体」

  • クライアントのメッセージを伝える「広告の容れ物」

  • 書籍化を前提とした「連載のプラットフォーム」

これらはすべて正しい側面を持っているし、人によって解釈は異なるだろう。だが、ここで重要なのは、これらがすべて「ビジネスにおける機能」であるという点だ。

紙の雑誌は、これらの複数のビジネス的要素を一つの「冊子」の中に閉じ込めた、極めて機能的で、かつ特異なビジネスモデルだった。言うまでもないことだが、この「一つの塊(パッケージ)」としてのビジネスモデルは、今、足元から崩れ去ろうとしている。

これは不可逆的な流れだ。紙の雑誌というモデルが、再び右肩上がりの成長曲線を描くことは、おそらくもうないだろう。

しかし、こうして要素分解をしてみると、別の景色が見えてくる。 分解された個々の要素自体は、この先も「なくてはならないビジネス」ばかりなのだ。

新しい書き手を発掘し続けなければならない。クライアントが価値を感じる媒体である必要もある。そして、本を作るための原稿を定期的に生み出す場も不可欠だ。バラバラにしてみれば、どれもが今後も形を変えて続けていくべき営みであることに気づく。

ここで組み合わせるのが、YouTubeというプラットフォームだ。雑誌を複数の「機能」に分解してみると、そのうちのいくつかは、動画との相性が極めて良いことがわかってくる。

YouTubeは基本的に無料のプラットフォームだ。したがって、「それ自体を売る」という一点においては、紙の雑誌の代わりにはならない。なので、「パッケージ化された売り物」という要素とは組み合わせることができない。

だが、「広告の容れ物」という機能はどうだろうか。
今、多くのクライアントは、部数が減少する紙媒体への出稿を減らし、新たな出稿先を探している。動画は、その巨大な受け皿になり得る。雑誌が果たしていた「信頼性の高い広告媒体」という機能は、YouTubeという技術と合体することで、強力なビジネスへと再構築されるのだ。

これこそが、私が「文藝春秋PLUS」で体現しようとしているビジネスの姿だ。

西山さんが提唱する「レイヤー」、あるいは私がここで言う「要素分解」。これが、雑誌のDXを語る上で、極めて重要な思考である。かつての紙の冊子が果たしていた役割を一度解体し、デジタルの技術を用いて組み合わせ、再構築する。

第2弾は一旦このあたりで終わろうと思う。 次回は、文藝春秋PLUSが果たそうとしている別の具体的な役割について、要素分解をした上で、もう少し踏み込んでみたい。

(続く)

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