「本場の旨辛」 湖南料理に想いを馳せる
自作の金魚割り
先日、妻の実家へ遊びに行った帰り、義父が家庭菜園で育てた赤唐辛子をたくさん持たせてくれました。
ビニール袋に詰め込まれた、つやつやと赤い唐辛子たち。ありがたいけれど、さすがにこの量をどう使い切ればいいのか。料理に使うにも限度があります。
途方に暮れながらネットを眺めていたところ、「金魚割り」という焼酎の飲み方に出会いました。
焼酎のグラスに赤唐辛子と大葉を浮かべて、ソーダで割る。グラスの中で揺れる赤い唐辛子が金魚のように見えることから、その名がついたそうです。暖かくなってくるこれからの季節にぴったりだなと思い、さっそく試してみました。
ほんのりとしたピリ辛が喉を通り抜け、シソの爽やかな風味が追いかけてくる。これは好みの味です。
さらに調べていくと、唐辛子を焼酎そのものに漬け込んで「唐辛子焼酎」を仕込む方法もあるようです。辛味と香りがじんわりと焼酎に移り、ソーダや水で割ると独特の刺激が楽しめるとのこと。余った唐辛子を使い切るにはうってつけです。これはやるしかないと、瓶と焼酎を買い足して、さっそく仕込んでみることにしました。
キッチンに立ち、唐辛子のヘタを取っていきます。
指先にじわりと染みるような刺激。鼻の奥がつんとして、思わず目を細めました。
その瞬間、ふと記憶が蘇ってきました。
以前訪れた、中国・湖南省の長沙という街のことを。
長沙という街
──長沙は湖南省の省都で、毛沢東の生誕の地でもあるこの街は、歴史と活気が入り混じった魅力がありました。
古くから商業の中心地として栄え、近代的な高層ビルと歴史ある街並みが自然に溶け合っています。街の真ん中を湘江という大きな川が流れていて、そのほとりに広がる広場や、岳麓山の緑が印象的でした。
そして夜になると、街の表情が一変します。高層ビルの壁面がまるごと巨大なスクリーンと化し、色とりどりの映像が次々と映し出される。川面にその光が揺れて、街全体がひとつのメディアアートのようでした。
この街は、グルメの都としても知られているようです。
なかでも湖南料理は中国八大料理のひとつに数えられ、「辛くて、酸っぱくて、香り高い」のが特徴。
テーブルに並ぶ料理は、どれも鮮やかな赤やオレンジがかった色合いで、見ているだけで食欲がそそられます。
辛い中華料理といえば四川料理を思い浮かべる方が多いかもしれません。訪問時に同行していた中国人が、その違いを教えてくれました。
四川料理は「麻辣(マーラー)」、つまり唐辛子の辛さだけでなく、花椒の痺れるような刺激が重なり合うのが持ち味です。一方、湖南料理には花椒がほとんど使われません。唐辛子のストレートな辛さに、発酵させた調味料や黒酢の酸味が加わる。「辛さと痺れ」の四川に対して、湖南は「爽やかな辛さと酸味、強い香り」。同じ辛さでも、性格がまるで違うのだと。
そう語り始めると、彼はどんどん熱を帯びていきます。
「長沙の人は、"無辣不歓(辛くなければ気が済まない)"って言うんですよ」
唐辛子は新鮮なまま使うだけでなく、刻んで塩と和えたり、発酵させて「剁椒(ドゥオジャオ)」にしたり、油に漬けて辣椒油にしたりと、加工の仕方も実にさまざまなのだそうです。
同じ唐辛子が、手のかけ方ひとつでまったく違う表情を見せる。そのダイナミックさと奥深さが、「食は長沙にあり」と言われる所以だと、彼は誇らしげに語ってくれました。
ここまで聞かされると、旨辛好きとしてはもう抑えが効きません。
せっかくなので、この長沙滞在で食べた料理をひとつずつ振り返っていきたいと思います。
スパイシーな串焼き
長沙に到着したのは、夜の9時前のことでした。
ホテルに荷物を置くと、すぐに湘江沿いの屋台街へ繰り出しました。長沙の最初の食事は、夜の街で始めたかったのです。
長沙には夏と冬しかなく、その間は雨季だと言われています。この日もやはり小雨がぱらついていましたが、そんなことはお構いなしに、川沿いの屋台街には地元の若者や家族連れが次々と集まってきます。鉄板の上では串がずらりと並び、豚肉、牛肉、羊肉、タコにエビ、さつま揚げのような練り物、野菜まで、ありとあらゆる食材が並んでいました。
たまらない香りに引き寄せられるまま、一際賑わっていた一軒の店に入りました。

お店のシステムはというと、客席のある建物の正面、通りを挟んだ向かい側に食材がずらりと陳列されています。
そこで食べたいものを取り、その場で支払いを済ませると、焼き上がり次第テーブルまで運んでくれます。


好きな串と料理をひと通り選び、席に戻ってビールを啜りながら待ちます。
しばらくすると、串焼きが続々と運ばれてきました。スパイスが惜しみなく振りかけられていて、ネギ、唐辛子の辛味にクミン、ガーリック、五香粉の香りが重なり合い、テーブルの上がたちまちスパイシーな空気に包まれました。






串をひとつ手に取り、川から吹く少し湿った夜風を感じながらかじりつきます。じんわりと辛く、肉はジューシーで、熱々の油が口の中で溶け込みました。旅の疲れもあり、ビールがすすむすすむ。
ただし、ここで注意がひとつ。中国では、ビールが常温で出てくることが珍しくありません。日本のようにキンキンに冷えたビールが当たり前、というわけではないのです。
一緒に食事をとっていた中国人が、店員にひと言
「冷えたのを持ってきて」
と伝えてくれました。
そして僕に向かって
「中国でビールを頼むときは、冷たいのが欲しいってちゃんと言わないと、ぬるいのが出てくるよ」
と教えてくれたのです。
危うくぬるいビールでこのスパイシーな串焼きを食べるところでした。
食べ終わった串をバケツにぽんぽんと投げ入れながら、初めて訪れた街の夜にどっぷりと浸りました。
長沙のエネルギーと、この土地に根づいた食文化のダイナミズムを、串焼き越しに五感で味わった夜でした。
地元に人気の街食堂
翌日の昼、訪問先の方が「地元の人が通う店に行きましょう」と連れ出してくれました。観光客向けではない、本当の長沙の味を食べさせてくれるというのです。

通されたのは、中華料理でおなじみの回転式の円卓でした。テーブルの中央には銀色の筒がどんと置かれていて、蓋を開けるとほかほかの白米が詰まっています。この白米が、のちに大活躍することになります。

店先に目をやると、青々とした緑の唐辛子と鮮やかな赤い唐辛子がかごに山盛りになっています。
その隣には、日本では見かけないような葉物野菜が何種類も並び、さらには山菜らしき野草が無造作に積まれていました。
名前はわからなくても、この土地の食卓がどれだけ豊かかは、この店先を見るだけで十分に伝わってきます。


料理が次々と運ばれてくると、どの皿にも唐辛子が効いています。辛さと旨みが渾然一体となり、にんにくの香ばしさが追いかけてくる。気づけば銀の筒に何度も手が伸びていました。





そしてここで、中国茶が見事な仕事をします。辛さと油で満たされた口を、一杯のお茶がすっと洗い流してくれる。リセットされた舌が、また次の一口を求めてしまう。辛い料理と中国茶。その土地で長い時間をかけて磨かれてきた組み合わせというのは、やはり理にかなっているのだと実感しました。

モダナイズされた湖南料理
昼の素朴な食堂とは打って変わって、夜に訪れたのはモダンにアレンジされた創作系の湖南料理店でした。洗練された内装、丁寧にセットされたお皿。けれど根っこにあるのは、やはり唐辛子の辛さと旨みです。




印象的だったのは、スープの繊細さでした。湖南料理の力強い辛味をベースにしながら、そこに丁寧に引かれた出汁の旨みが重なっていく。口に含むと、まず魚介の深いコクがふわりと広がり、そこへ青唐辛子の爽やかな辛さが追いかけてきます。さらに胡椒のスパイシーな余韻が鼻に抜けて、ひと口のなかに何層もの味わいが折り重なっていました。
この味をどう表現すればいいのか、正直とても悩みました。複雑で、奥深くて、簡単に言語化できない。けれど、僕の味覚の記憶をたどっていくと、ひとつだけ近い味にたどり着いたのです。
カップヌードルのシーフード味。
高級な湖南料理をカップ麺に喩えるなんて、と躊躇しましたが、あの魚介の旨み、そしてどこか中毒性のある後味。方向性としては、確かに同じ系統にある味だと僕は感じたのです。
湖南料理の定番
二日目は火鍋など他省の料理を楽しみ、長沙にいながら中国の食の広さを味わいました。
そして最終日の夜、満を持して訪れたのが、湖南料理の代名詞とも言える一皿──「剁椒魚頭(ドゥオジャオユートウ)」です。

大きな川魚の頭を豪快に開き、たっぷりの剁椒(発酵唐辛子)をのせて蒸し上げた料理で、テーブルに届いた瞬間、その迫力に息を呑みました。
皿いっぱいに広がる魚の頭を、真っ赤な唐辛子が覆い尽くしている。見た目のインパクトも際立つ一品です。
箸で頬のあたりの身をほぐすと、ぷるんとした白身が現れます。
口に運ぶと、蒸すことで引き出された魚の淡い甘みに、剁椒の発酵した旨みと辛さがじわりと絡みつく。生の唐辛子とはまるで違う、角の取れた深い辛さです。「剁椒」が、ここで主役として登場するわけです。

湖南の人々が唐辛子を発酵させて使う理由が、この一皿で腑に落ちました。ただ辛いのではない。時間をかけて発酵させることで生まれる複雑な旨みが、素材の味を消すのではなく、引き立てている。
そして、この料理には最高の締め方があります。
残ったスープにきしめんのような平たい麺を投入するのです。魚の旨みと剁椒の辛味が溶け合ったスープを、幅広の麺がしっかりと吸い上げる。
すするたびに、あの複雑な味わいが凝縮されて押し寄せてきます。
満腹のはずなのに箸が止まらない。これはもう、終わらせたくない味でした。

「本場の旨辛」 湖南料理に想いを馳せる
目の前には、義父がくれた赤唐辛子と、焼酎を注いだばかりの瓶。
指先にはまだ、唐辛子のひりひりとした刺激が残っています。
長沙で食べた串焼きの香り、食堂の円卓に並んだ真っ赤な皿の数々、剁椒魚頭の鮮烈な旨み。あの街で出会った味は、どれも唐辛子という素材を徹底的に信じることで成り立っていました。
生のまま、刻んで、発酵させて、油に漬けて。ひとつの食材にここまで向き合い、ここまで多彩な表情を引き出す。その奥深さに、僕は心を打たれました。
この瓶の中で、唐辛子はこれからゆっくりと焼酎に辛味と香りを移していきます。長沙の剁椒が時間をかけて発酵していくように、僕の唐辛子焼酎もまた、日々少しずつ味わいを深めていくのでしょう。
──1週間後、僕はこの瓶を開けました。グラスに注いで、ソーダで割って、ひと口飲んで、思わず笑顔になりました。唐辛子のピリッとした刺激が、炭酸の弾ける爽快感と一緒に駆け抜けていく。その奥から、焼酎に溶け出した赤唐辛子のふくよかな香りが追いかけてくる。ただ辛いだけじゃない。長沙で何度も感じた、あの「辛さの向こう側にある旨み」が、この一杯の中にもちゃんと息づいていたのです。
ひとつの食材が、これほどまでに表情を変えるなんて。僕はすっかり、唐辛子に魅せられてしまったようです。

