見出し画像

私はなぜ、鑑別士として宝石に向き合っているのか ― このnoteで大切にしていること ―

鑑別と鑑定


私は、鑑別士として宝石に向き合っています。  

FGAを取得していると、  
「宝石鑑定士ではないの?」
と聞かれることがあります。  

鑑別とは、  
「この石が何であるか」を見分けることです。  
そしてそれは、  
ひとつの答えを見つけていく行為でもあります。  

一方で、  
鑑定は、価値を見定めたり、  
価格として表していく役割
があります。  


この宝石に価値はありますか?



そう聞かれたとき、  
答えに迷ったことがあります。  

鑑別のための知識はあるはずなのに、  
それでもひとつに決めきれない。  

そのときに感じたのは、  

価値は「正解」という形で  
ひとつに決められるものではなく
、  
いくつかの要素をもとに、  
その都度考えていくものなのかもしれない、  

ということでした。  

こうした「価値の見え方」については、  
別の記事でも少しずつ整理しています。  


鑑別器材を使うとき


宝石を見ていると、  

「見る」  
「考える」  
「判断する」  

という行為が、  
ひとつに分けられない感覚があります。  

常に心で考え、  
眼で観察しながら、  
手で遂行する。  

腕時計の技術者の言葉として
紹介されているこの考え方は、  
鑑別の現場にも通じるものがあると感じています。  

この感覚は、  
鑑別器材を扱うときにも
強く感じることがあります。  

道具は、  
単に数値や結果を測定するためのものではなく、  

自分の「見る」「感じる」

という働きを  
外側に広げてくれるものと考えています。  

どのように見るのか。  
どのように考えるのか。
 

その積み重ねによって、  
見え方や判断の精度は少しずつ変わっていきます。  

このあたりのことも、  
別の記事でも少しずつ整理しています。  


問い続けること。考え続けること。  



それは、宝石学を学ぶ中で、  
大切にしてきたことでもあります。  

だからこそ私は、  
そのすべてを判断できるとは思っていません。
 

もっと知りたい。  
もっと理解したい。  

そう思いながら、  
少しビクビクしながら学び続けています。  


このnoteで伝えたいこと


このnoteでは、  
正解を伝えるのではなく、  
宝石の見え方や考え方を、  
少しずつほどいていきたいと思っています。  

価値はひとつのものではなく、  
さまざまな要素が重なり合いながら  
見えてくるものと考えています。  

もしどこかで、  
「どう選べばいいのだろう」と迷うことがあれば、  
そのときに立ち返れるような、  
ひとつの視点として受け取っていただけたら嬉しいです。


ご利用について


このnoteの内容は、
引用の範囲であればご利用いただけますが、
無断での転載や構成の流用はご遠慮ください。

引用の際は、出典の明記をお願いいたします。

いいなと思ったら応援しよう!