ガスライティング
いやぁこれ、ホントに来週、市場暴落あるんじゃないですかねぇ?
なんか私はもはや、そうとしか思えなくなっちゃってるんですけど…。
それでも、ここで執着しちゃうと逆に遠ざかってしまうので、ね。
結論としては、来週でも来週じゃなくても「どっちでもいい」です。
いずれ、来ることは分ってるんだし。
焦ったって、マジでひとつもいいことないですから。
てなことで、本題に入りますけど。
コロナからこっち、意識せずしてずっと、ユングが言うところの「個性化」(いわば ”本来の自分へと戻る行程”)に取り組んできて。
もちろんこれって終わりのない、生涯を通して続く概念ではあるんですが、それでも「自己受容」って意味合いではおおかた完了したようで。
実は、ここのとこもっぱら「三次元」なるものの構造について、宇宙からレクチャーを受けていました。
というのも今生ではのっけから、あまりにも容赦がない中を生きてきて、三次元ってものを客観的に見てる余裕がなかったんですよねぇ。
だからいま、自分自身が経験してきたこの人生を教材として、まとめて教えてもらってる感じなんです。
でね、ここにも数回にわたり書いてきたんですけど…。
ものすごーく客観的に、生まれ育った環境のことや人との関わりの中で常に陥ってきた対立やなんかの、背景やメカニズムを教わってきました。
で、それを通して「三次元がどんなものなのか、自分なりに解釈しなさいね」って言われてる感じがしたんです。
これもまた、下手をすれば生涯を超越したような課題ではあるものの、ここ数日でなんとなーく見えてきた感じがあるので。
今日はそれをまとめていこうかな、と思います。
私ねぇ、これまでずーーーっと、絶えず「キモチワルイなぁ」って思い続けてきたことがあるんですよ。
それって言葉では表現しにくいんですけど、ひとことで言えば「無言の圧力」とか、あるいは「暗黙の了解」って感じでしょうか。
もしかするとスケープゴートにされて育った子ども時代ともリンクしてるのかもしれないんですけど、いわゆる「場の空気に従う」ってことが、私にはまったくできなかったんです。
もちろん「空気を読む」のが苦手っていうのもあるんだけど、そういったことを求められる空間に身を置くと鳥肌が立つくらいキモチワルイのと同時に「どうしてそんなメンドクサイことしなきゃいけないの?」って、強い思いがわいてきた。
だけどそれを、どうしてもこれまで、うまく表現できなかったんですよねぇ…。
でもようやく最近になって「ガスライティング」って言葉を知ったんです。
これ、イングリット・バーグマンが出てる映画で「ガス燈」ってのがあって、それが語源になってるらしいんですけど…。
もっともらしくウソをつき続けることによって、相手の認知を歪ませ、自分の都合のいいように納得させるっていう虐待の一種のようなんです。
それ知ったときに私、ちょっと愕然としました。
「あぁ、私がずーーーっとされてきたのってコレだわ」って感じた。
私をスケープゴートにすることで、他の家族から同情してもらいたかった母親も、もちろんそうですけど。
他にも、つい最近に至るまで、こういうことをしようとしてくる人たちが私の身の周りにはちょいちょい出現してました。
たとえば「そんなことは言ってない」とか、「私が言ったのはこうだ」とか断言することで水掛け論を仕掛け、言い負かそうとしてきた人もそうだし。
噛み合わないやり取りの後で、必ず取って付けたように「あなたと付き合うのは難しい」とかって、ついつい「スイマセン」って言いたくなっちゃうような一言をため息混じりに言い添える人もそうだったんだと思います。
要は、自分の都合のいいように、私の記憶や認知を上書きしようとする試みですよねぇ。
これをくり返すことで、やられたほうは「私が間違ってたのかなぁ?」って、自分に自信を持てなくなるわけです。
さらに、それだけじゃないんです。
これが会社や家庭など、組織の中で起きるとどうなるでしょうか?
たとえば、その場でいちばん立場が上の人が、下の人に対してガスライティングをしているとしたら…。
そこに居合わせた同席者は、たとえそれがウソだと分っていても、わざわざ指摘するでしょうか?
あるいはかつての我が家のように、いつも決まった人がガスライティングを受けているとしたら、それを見た同席者は助けようとするでしょうか?
それとも、自分に類が及ぶのを避けるため、同調してスケープゴートを笑い飛ばすでしょうか?
それどころか、上の人を喜ばせるため、率先して自分からガスライティングを仕掛け始めるかもしれません。
私ねぇ、こういったことを呼吸するみたいに軽々と、やってのけているのが三次元社会なんじゃないかと思うんです。
つまり「ホントか?ウソか?」なんてお構いなしに、ムリくり立場が上の人や組織そのもののニーズを押し通すため、一致団結して口裏を合わせる。
そうやって、あるものを「ない」と言い、現実をどうとでもねじ曲げるのが日常になってる。
だから平気で、自分にとって都合のいいことを「真実だ」って、言い切れちゃうんですよねぇ。
でもね、それを続けてるとどんどん視野が選択的になってっちゃうんです。
つまり、自分にとって都合の良いものだけしか、見られなくなってっちゃう。
そうなってる人の口癖は、たいがい「そんなわけないだろ!」です。
言い換えれば「なかったことにする」ってこと、これを許容していかないと、蓄えてきた常識が容易に破綻しちゃうんですよねぇ。
じゃあ最後に、どうしてこんなことが起きてるのかっていうと…。
三次元ってもの自体が、脆弱な地盤に築かれた、はかない幻想に過ぎないからです。
ですから体験している側が、認知許容度をどんどん上げ続けていかないと、あっという間に崩壊しちゃう。
そして、ことここに至っては、あらゆる構成要素の人たちが三次元を維持するためだけに汲々としているように私の目には映ります。
でもその涙ぐましい努力も、そろそろ限界に来てるんじゃないかなぁ…。
そんなわけで、また長くなっちゃいましたが今日はここまで。
もしも最後までお付き合いくださった方がいたなら、ありがとうございました!
