子どもの座席は必要?|未就学児でも「あえて席を取るか」迷った列車移動の実体験
濡れた傘をたたむと、手のひらにまとわりつくような湿気が残りました。
冷房の効いた店内に入っても、体の内側の熱はなかなか引かなくて、
スーツの背中だけがじんわり重いままでした。
カウンターに立つ前、頭の中では同じ場面を何度もなぞっていました。
幼稚園児となった、子どもの席を取った方がいいかどうか。
たったそれだけのことなのに、言葉にしようとすると輪郭がぼやける。
この記事では、北陸新幹線が開業する前、
「はくたか」に乗るために組んだ旅の中で、
子どもの座席をどうするかを決めたときの迷いと、
そのときに見えてきた考え方を書いています。
📝カウンターの前で、言葉が出てこない
仕事帰り、そのまま駅に隣接した旅行会社に入りました。
外は雨で、夕方の空気はぬるく、
歩いてきただけで少し息が上がっていました。
番号札を握ったまま、順番を待つ間に、
何をどう聞けばいいのかを考えます。
「幼稚園児の子どもの席って…」と頭の中で言いかけて、そこで止まる。
節約できる、という感覚ははっきりありました。
夫婦の席だけ確保して、子どもは膝の上に乗せればいい。
制度としても、それは許されている。
でも、同時に、うまくいかなかった場面も浮かんでくる。
長時間の移動、体格の大きい子ども、前の席との距離。
呼ばれて、椅子に座って、やっと口に出した言葉は、
思っていたよりも曖昧でした。
📝時刻表の上で、現実をなぞる
スタッフの方が広げた時刻表を一緒に見ながら、
移動時間を確認していきます。
乗り換え、待ち時間、乗車時間。
頭の中では、子どもを膝に乗せた状態で、その時間をなぞっていました。
最初の30分は大丈夫かもしれない。
でも、1時間を過ぎたあたりから、足がしびれてくる感覚。
少し体勢を変えたときに、前の席に触れてしまうかもしれない距離。
「前の席に当たってしまって、トラブルになることもあります」
そう言われたとき、想像していた場面に、具体的な輪郭がつきました。
自分たちだけの問題では終わらない可能性。
蒸し暑さとは別の理由で、首の後ろに熱がこもる感じがありました。
📝数千円の重さが、少しだけ変わる
子ども料金を払えば、新幹線や特急列車の指定席は確保できる。
数千円の追加。
その金額自体は、払えないものではありませんでした。
ただ、「払わなくてもいいお金」に見えていたことが、
迷いを大きくしていました。
でも、時刻表の上でシミュレーションした時間と、
さっきの言葉が重なっていきます。
疲れた状態で、周囲に気を遣いながら座り続ける時間。
子どもも、自分も、どこかで無理をする前提の移動。
それを避けられるなら、この数千円は何に対して払うのか。
旅費、というよりも、
途中の時間をどう過ごすかに対する支払い、のように感じ始めました。
「じゃあ、子どもの分も座席の確保、お願いします!」
口に出すとき、少しだけ肩の力が抜けました。
📝「膝の上じゃないんだね」と言われた日
後日、実際に列車に乗ったときのことを、今でもはっきり覚えています。
自分の指定席特急券を握りしめて、席の番号を見つける。
シートの前方に膝を合わせて座ると、まだ背もたれまで少し余裕があり、
腰のあたりがシートから少し浮いた状態。
座って外を見ると、窓側の手すりに寄りかかって、
少し前のめりになりながら、じーっと外を眺める。
「今日は膝の上じゃないんだね」
誰に言うでもない、確認のような一言でした。

そのあと、しばらくしてから、景色の話をし始めました。
トンネルの暗さや、外の色の変わり方を、ひとつひとつ拾うように。
乗せられている、というよりも、
自分でこの時間に参加しているような座り方でした。
📝移動に余白を持たせる、という考え方
あのときの判断は、節約をやめた、というよりも、
何を削らないかを決めた、に近かった気がします。
移動時間をどう扱うか。
疲れや不安を抱えたまま通り過ぎる時間にするのか、
少し余白を持たせるのか。
結果として、その後の旅でも、子どもの席については、
状況を見ながら確保することが増えました。
周囲への配慮と、自分たちの過ごし方のバランスを、
その都度考えるようになっていきます。
あの日の蒸し暑さや、言葉を探していた時間は、
今でも少し身体に残っています。
あのとき選ばなかったほうの可能性も、完全には消えていません。
だからこそ、同じように迷う場面に出会ったとき、
どちらを選ぶかではなく、何を残したいのかを、もう一度考えるようになりました。
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