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嵐活動終了で改めて問う テレビ業界を支配する「ジャニーズシステム」の正体

 5月31日のライブを最後に、嵐が活動を終了した。
 うちの工房の女性スタッフは、オンラインでライブを楽しんだようで、
「曲を聴くたびに、この曲の時、娘は何歳でどうだった、息子は、、、みたいに思い出しちゃって、、、」
 とコーフンぎみに話していた。

 私はそれを聞いて、

「そういう人が、きっとたくさんいるんだな」

 と思った。
 私は、嵐にしても、SMAPにしても、彼らの存在、パフォーマンスに心を動かされたことがリアルに一度もなく、私の人生に彼らの存在は何の影響も及ぼしていないので、逆に ちょっと新鮮な思いがしたのだ。

 そんな私は、この日本においては少数派なのだろうか?

 今も思っている。

 彼らには特に他の人よりも魅力や才能があり、あるいは人一倍努力をしているのかといえば、全然、そんなことなく、ジャニー喜多川が一代で作り上げ、テレビ界の構造の一つとも言えるシステムの中で優遇され、その地位を与えられているだけだ。

 もちろん彼らだって努力はしている。だが、そんなのはどんな仕事でも当たり前のことだ。
 むしろ、彼らの多くはその地位にあぐらをかき、自分の魅力や実力だと思い上がり、ろくな努力もしていない者の方が多いだろう。次々に目の前に用意される仕事をこなすことなど、努力とは言わないのだから。

 そんな彼らが得ている地位、手にする対価が、私の目には明らかに過大に見える。他とのバランスを欠いている

 そんな彼らになど一円たりとも課金する気はないし、正直、歌番組でもドラマでも、彼らが出てきたらそれだけで興味を失ってしまうのだ。(少ないながら例外もいるけども)

 せっかく好きな原作の映像化だと思って見てみたら、連中のしょうもない演技で見る気を失ったことが、何度あったことか
「これ、主演がもっとまともな俳優だったら、数倍はいい作品になったのに」
 と思ったことが何度あったことか。
 ジャニー喜多川の性加害問題で、ジャニーズ勢が締め出された年の紅白はなんと見やすかったことか
 特番系歌番組で、好きなアーティストの歌をじっくり聴きたいのに、やっと出てきたと思ったらジャニーズとコラボで、何度がっかりさせられたことか

 そう思っているが、そんなことは家庭内でしか口にしない。
(うちの家族はみんな同じ考えです笑)

 もうすでに茂木健一郎らも話している通り、ジャニーズのスター製造のカラクリは「単純接触効果」である。

 人やモノに繰り返し接触することで、自然とそれに対する好感度や親しみが高まっていく心理現象のことだ。
 人は何度も目にしたり耳にしたりすることで、脳の情報処理がスムーズになり、それを「好ましい」と錯覚してしまうのだ。特別なアピールは不要で、とにかく接触の「頻度・回数」が最も大切なのだ。

 例えば、King & Princeのデビューが決まるや、日本テレビ系『ZIP!』の中で、彼らのコーナーが立ち上がったのが、そのいい例だ。その笑顔と仲良くじゃれ合う姿が毎日のようにテレビで放映されているうちに、最初こそ「誰だ?」と思って見ていても、そのうちに「いい子たちだな」と親近感が湧いてくる。

 本来なら、まだデビュー前でまだ何も成し遂げていない彼らが、なぜいきなり人気の情報番組のワンコーナーを持たせてもらえて、毎日のように顔と名前を売る機会を与えられているのか。

 24時間テレビやバレーボールW杯のパーソナリティーも、気がつけばジャニーズが担当するのが当たり前みたいになっている。彼らのコンサートの模様、出演映画がばかりが、朝の情報番組で取り上げられる。
 私にとっては邪魔以外の何物でもないのだが、そんな〝当たり前〟がテレビ界にはいくつもある。

 それはジャニーズだからである。
 他の事務所で、そんな優遇があるところはないが、なぜジャニーズだけがその特権を得ているのか。

 おかしくないか?
 なんで皆、疑問を持たないのだろう?

 私は、そのKing & Princeのコーナーが流れてくるたびに、「オレは一体、何を見せられているのか」と心底バカらしい気持ちになっていたのだ。
 そんな子供だましに、みんなコロッとやられて、何の疑問も持たずに「次のスターはこの子たちなのね」と自然に受け入れてしまうのか。私は、いつも不思議でならなかった。
 もはやジャニーズシステムは、テレビ界の常識であり、なんなら社会の常識レベルに、世の中に深く深く浸透し、疑問を持つほうが極めて少数派となっているんだなと、私はいつも絶望的な気持ちになっていた。

 こう言うと、「いや、SMAPは下積み時代を経験し、深夜のバラエティ番組『夢がMORIMORI』で頑張って才能を開花させて」なんていう人がいるかもしれない。
 その物語こそが、ジャニーズシステムの洗脳だということに、なぜ気づかないのだろうか。

 売れないグループだったのはそうだろう。

 では、なぜ売れないグループが、深夜のバラエティ番組になんて出してもらえるのか?
 売れないアイドルグループなど山ほどあったなか、なぜSMAPだけレギュラーで出してもらえるんだ?
 しかも、ダウンタウンやウッチャンナンチャンの伝説のコント番組『夢で逢えたら』の後枠でだ。

 どこが下積みなのか? こんな特別扱いはないのだ。
 ジャニーズだというだけで、打席に立たせてもらえる機会、回数が圧倒的に優遇されているのだ。

 実力だけで這いあがろうと、正当な努力をしている人たちからすれば、こんな不条理があるだろうか。

 というと、「ジャニーズはデビューするまでが大変なんだ」というファンがいそうだ。
 大変じゃないとは言わないが、そんなの他でチャレンジしている者もみんな同じだ。

 しかもジャニーズの場合、純粋な競争があるのかといえば、そうとも言い切れず、ジャニー喜多川の〝お気に入り〟になりさえすればデビューできるという、飛び級制度(!)があったことが、もう明らかになっている。
(騒動以降、すでに1000に以上が被害を訴え、その多くが被害を認められ補償を受けている)
 それは何より地獄のような体験だったことだろう。だが本来、表現者として世に出ていくために必要な努力などせずとも、ジャニー氏の性的嗜好に合致し、その要求を受け入れればデビューできてしまうホラーな現実があったことも確かで、あまりにも不健全な状況が長年、許されてきた。
 彼らの意識はダンスや歌、演技の上達よりも、いかにジャニー氏に気に入られるかという点に重きが置かれていた現実もある
 多くの暴露本が、その真実を明かしてきたが、メディアはその一切を黙殺してきた。だが、そこで明かされてきた性加害は本当だった。それぞれの暴露本の信憑性は確かだったのだ。

 そして多くのタレントが、スポットライトの快感を手放すことができず、見て見ぬふりをしてきたことで、1000人以上もの被害者が生まれ続けていた

 そうして得てきたポジションに、果たしてどんな価値があるのか。
 はっきり言うと、私にとっては何の価値もないどころか、日本のエンタメの質を低下させる害悪でしかないとさえ思っている。

 当のタレントたちも、まともな者は気づくのだろう。
 自分よりも才能があり、目的に向かってまっすぐ努力をしてきたホンモノの存在に。
 なのに、周りの大人たちは、そう分かっていながら自分の方を丁重に扱う。

「あれ? オレってなんなの? 実はバカにされている??」

 そんな空虚さに気づいたものは辞めていき、ホンモノを目指したくなるのだと思う。
 だが多くのものは、ジャニーズを離れたとき、メディアには一切相手にされなくなり、自分がいかにジャニーズというブランドに守られていたか、さらにジャニーズ時代からのファンに見放されたら活動がままならない現実を突きつけられ、結局、ジャニーズの呪縛からは逃れられない。
 そんな無間地獄に苦しむ者も多いだろう。

 もちろん、そんなジャニーズシステムに甘えることを是とせず、ジャニーズにいながらにして努力をしてホンモノとなった者もいるのも理解をしているが、それでもどうにも素直に彼らを応援する気にはなれないのだ。

 ジャニー喜多川の性加害を認め、表向き「ジャニーズ」の5文字は消えたが、テレビを中心としたジャニーズ偏重の体質は変わっていない。

 テレビ業界ではもう長年「そういうもの」となっており、それを踏襲していた方が楽だからだ。
 一から才能ある人材を見つけ、育てていくよりも、「はい、次は彼らね」とやっていた方がコスパもタイパもいいの で、テレビ界はあんなことになっても、そのジャニーズシステムを慣習として捨てられないのだ。

 テレビがオワコン化していくのも当然だと思うのだ。

 彼らが特別なわけじゃない。
 同じような待遇を受ければ、他の誰だって彼らであった可能性があるのだ。

 ファンが主体的に選んで愛しているというのは、メディアスクラムによる「単純接触効果」による脳のバグ(錯覚)にすぎない
 彼らの存在を心の支えにしているファンがいるのだから、、、その美しい感情すらも、メディアが用意したコスパのいい製造ラインの上で踊らされている結果などだとしたら、あまりにもグロテスクだ

 私には、何の感慨もないが、嵐の活動終了はどうやら一つの時代の区切りのようだ。
 これを機会に、そろそろ日本中が気づいたほうがいいと心から思う。

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