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特高(とっこう)警察特集 ① “みーつけたっ!!”

 最近、治安維持法(ちあんいじほう)制定100周年1925年)だからなのか、、令和の『治安維持法』と揶揄される『スパイ防止法』制定に関心が集まっていますネ。。😅

 そこで、“アレ”⇧が来るなら、もう“コレ”⇩も、絶対に一緒に出て来るじゃんーー😭😭、ということで、、“コレ”とはご存知、日本の政体が変革されそうになると、何処からか現れて、何処かへと去っていくという謎の生態を持った不思議な団体、その名も、
 
 『特高(とっこう)=特別高等警察』
 
 “何処からか現れて、何処かへと去っていく”
。。。まるで『月光仮面(げっこうかめん)』だ!!😂😂

 因みに、若い方は判らないと思うので、こちらをどうぞ。⇒(月光仮面 - Wikipedia)(笑)

 冗談はさておき、、ワタシは先日の『宮城県知事選挙』をネットで観てまして、ピーンと、感じましたです。。。
 
 “、、そうか、、、風神VS 雷神で、寝ている特高さんを呼び覚ます、これは多分、日本の伝統儀式(?)なんだなぁ。”

 
。。。(〜 ̄▽ ̄)〜(〜 ̄▽ ̄)〜。。。

 一体何を言いたいのか。。(笑)
 
 しかし、ワタシの頭の中では、過去からの一連の流れがドンピシャと辻褄が合いました。なので、今日はこれを書こうと思います!😅

 先ずは、特高(とっこう=特別高等警察)とは?? ですが、⇩

 特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、日本の秘密警察。

 …国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家を否認する者や過激な国家主義者の取り締まりを目的に、内務省警保局保安課を総元締めとして、1928年(昭和3年)以後、全国一律に設置された。略称は特高警察(とっこうけいさつ)、特高(とっこう)。
 戦前の日本では、治安警察法・出版法・新聞紙法に基づいて、この種の警察作用が行われた。


 沿革
 1910年(明治43年)、明治天皇の暗殺を計画したとして、大逆罪の容疑で多くの共産主義者、社会主義者、無政府主義者が逮捕・処刑された(幸徳事件(大逆事件))。翌1911年(明治44年)に、社会運動対象の特別高等課が設置された。(これらは)フランスの秘密警察の影響がみられる。特別高等警察を指揮した内務官僚には
安倍源基町村金五町村信孝の父)などがいる。
…当初は共産主義者や共産党員を取締り対象とし、後に日本が戦時色を強めるにつれ、挙国一致体制維持を名目に、障害となりうる反戦運動や類似宗教など、反政府的とみなした団体・活動に対する監視や取締りが行われるようになった。
 
 1945年10月4日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の人権指令により、治安維持法と共に廃止された。

 しかし、日本内務省は、日本共産党などの反政府的動静に対処するために全国の特高警察網を温存させ、内務省警保局に公安課を設置し、各都道府県警察部にも警備
が設置された(公安警察)。
 
アメリカ人ジャーナリストマーク・ゲインは、翌年に山梨県警察部を訪ねて、警察署長から「特高警察の仕事は県庁の公安課の司法官の手に引き継がれた」と聞いた。特高警察の業務は、公安警察に継承された。

 その後、GHQの占領政策の転換に伴う公職追放者の処分解除により、1951年9月以降、自治省・警察庁(警備局)・警視庁公安部・公安調査庁・厚生省・労働省・防衛庁・宮内庁・文部省・日本育英会・住宅金融公庫・年金福祉事業団・日本住宅公団・首都高速道路公団・阪神高速道路公団・日本観光協会などの上級幹部職に復職、また、知事や副知事を足掛かりに国会議員となり、自治大臣兼国家公安委員会委員長や、文部大臣、法務大臣となる者も出た。

 特高警察の総元締め=内務省警保局保安課課長は、重要役職であり、ベルリンやロンドンに海外駐在官を置き、全国5地区の警務官に各府警の警察部長や特高課長を指揮できる権限を持ち、内務省警保局図書課は、新聞・出版物の検閲と外国語出版物の調査、検閲制度の統一や内外出版物の論調の調査研究も行っていた。

 特高警察は二層構造
 内務省保安課長や事務官のポストは、高等文官試験を合格した内務省のエリート。対照的に、特高実戦部隊(各府警特高課や各警察署特高係)は専任警察官の〝たたき上げ組〟が実務の中心を担った。代表的な人物には、1911年に警視庁特高課労働係に配属された毛利基や、1929年に警視庁特高課特高係に配属された宮下弘。2人とも敗戦後の辞職にいたるまで特高警察に在職していた。

特別高等警察 - Wikipedia


 。。 (〜 ̄▽ ̄)〜(〜 ̄▽ ̄)〜。。。

 おいおい、、

 戦前に一般国民を逮捕・拷問してた元・特高幹部の皆サマは、、、
 GHQの公職追放者の処分解除(1951年9月)後に、、

 「自治省・警察庁(警備局)・警視庁公安部・公安調査庁・厚生省・労働省・防衛庁・宮内庁・文部省・日本育英会・住宅金融公庫・年金福祉事業団・日本住宅公団・首都高速道路公団・阪神高速道路公団・日本観光協会等の上級幹部職、知事や副知事を足掛かりに国会議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長や文部大臣、法務大臣

 なんだよ、それ。。。😂😂😂 (笑) 

 
 さてさて、この特高警察は、どんなに戦前の日本国民を苦しめていたのか。。。
 上述の文章にも出てくるアメリカ人ジャーナリスト、マーク・ゲイン氏の『ニッポン日記』を読むと、それがじわじわと伝わってきます。⇩

1945年12月9日
 …(日本)政府は、戦後最初の総選挙の日取を、1946年1月20日に決めた。…民主主義勢力が、このひからびた日本の土の上に成長するのには、幾月かではなく、幾年かが、かかるだろう。…
 同時に旧政治家たちは、ますます大胆に暗闇から這い出しつつある。以前との唯一の相違点は、スローガンである。昨日の狂暴な国家主義者たちは、今日のデモクラシーの戦士たちなのである。ーー『日本流』の。(中略)
 
 共産党はいちばん小さいが、もっとも攻撃的である。…この党の現下の主要問題は組織者の訓練だ。古い組織者たちの多くは、警察の手で、殺されてしまったからだ。

1945年12月20日
 …われわれの多くは、日本降伏以後発せられたいろいろの指令は、当を得たものと考えている。今年の八月は武装解除に関する基礎的な指令の月だった。十月には人間の基本的自由に関する命令が発せられた。ーー特高警察の追放、政治的権限および人権に対する最後の制限の撤廃、強力な労働運動に対するわれわれの期待について…
 
1945年12月22日
 …特高警察関係の役人や、明白に戦争犯罪人と目される警察の長はすべて解職するよう、特別の指令が発せられている。隣県の山形県では、5人の特高警察の幹部が解職された。しばらくしてその5人の所在が発見されたときは、みんな警察の幹部級の地位についているのだった。…青森県では、米軍司令部から警察の幹部6人に対して抗議が発せられたので、この6人は即座に退職を命じられた。ところが、程無く軍政部は、そのうち3人が他の町の警察に復職しているのを発見した。…
 …東京と同様に、ここ仙台でもわれわれは日本に期待する広い航路の海図をつくってやるに止まり、船の運転は日本人自身に任せている。アメリカの観測者たちには、船を運転しているのは主として昔のギャングどもで、進路からはおそろしくはずれている、ということを報告することしか許されていない。…

1945年12月27日
 …話題は特高警察のことにうつった。特高警察というのは、多少風変わりのことをしゃべったからというだけではなく、「危険思想」をもっているという疑いだけでその人たちを牢獄にぶちこむのをこれ事としていた。(山形警察)署長は明らかに不機嫌になった。彼は言い続けた。
 「私単なる警察官で、特高警察のことは知りません。この警察にも特高係はありましたが、係長は県庁から来た人でした」
 「その男はどうしましたか」
 「…日本人と米軍との連絡係です」
 「他の特高の連中は?」
 「…三人は連絡事務所で米軍の仕事をしています。…実際あなたがたがご注意なさるほどのこともない訴えをもってくる連中は、この特高係が門のところで追い返します。用もないのにあなた方を煩わしたくはありませんからね。あなた方のご滞在を、気持ちのいいものにしてあげたいのです。」 

  

マーク・ゲイン著『ニッポン日記』

 
 。。。(〜 ̄▽ ̄)〜(〜 ̄▽ ̄)〜(〜 ̄▽ ̄)〜。。。

 おいおい。。。(笑)

 取り敢えず、日本に上陸したGHQの皆サマの眼👀には、一般日本人には『人間の基本的自由』が皆無だ!!と映っていた訳です。
 それで、日本民主化の一丁目一番地として『特高警察の解体・追放』を命題にしていた、と。😂😂

 要するに、『アメリカ民主主義』VS『日本特高警察』!!

 ⇧この対立の構図が成り立ったことになりますヨネ。。。

 ところで、『日本国民には基本的自由は無い!!』とGHQに断定されたという、特高警察が全盛期だった頃の戦前の日本って、一体どんなだったのさ。。。💦💦

 ということで、松本清張氏の『昭和史発掘 第五巻 小林多喜二の死の章を見てみましょう。 ⇩

…政府は1928(昭和3)年3月15日の午前4時を期して全国で治安維持法の改正を緊急勅令で公布し、最高刑十年の懲役を死刑に改め、さらに特高警察の網を全国的に張り巡らした。この最高刑を死刑にした治安維持法の改正は、陰に陽に当時の革新運動者に大きな衝撃を与え、のちの転向者の続出につながるのである。
 さて、小樽でも、3月15日の未明から二か月にわたって検挙が行われ、500人に及ぶ人が逮捕、検束、召喚された。…小樽警察の演舞場も臨時の収容所となった。ことに小樽合同労働組合の弾圧は徹底をきわめ、検束者は警察でひどい拷問を受けた。…
 …小樽警察での拷問は、特別に署長官舎にその部屋を急造し、毛布などで窓を覆い、防音装置をした中で行われた。7,8人の刑事が夜の10時から夜明けまで詰めて、毎晩一人ずつ意識不明に陥るまであらゆる拷問を繰り返した。なかには発狂者も出た。これらの残忍をきわめた拷問の様子は、(共産党の)13人が刑務所に移されるまで、すでに多喜二たちにはかなり詳しく伝わっていた。

松本清張『昭和史発掘 5』

 。。。( ̄﹏ ̄;) 😨😨😨。。。

 ふと、ここで。
 素朴な疑問が湧きます。

 なぜ、昨日まで地味な国家公務員だった人が、今日の人事異動発表を受けて、特高警察官に配属されて、さてさて、業務命令は『拷問』。でも、そんな簡単に『拷問』ってできるのか?と考えたら、ノーマルな人間なら普通は無理です。絶対に躊躇します。
 とすると、これは当然、受験戦士で命令絶対服従の性質を持つ彼等が、業務実行する時の『伝統』と『経験』と『格式』の『マニュアル』のようなものがきっとあるハズ。。

 そう考えたら、やっぱり、コレか。⇩ 

日本民衆の歴史 5 世直し

 1,救民の戦い 『大塩(平八郎)の乱』
 一農民の約束 

 …まもなく市内の与左衛門牢屋敷に送られた。そこには今度の挙兵のさいに捕らえられた者、自首して出た者、一党の嫌疑を受けた者など数百名が収容されていた。そこで(農民の)郡次は、きびしい取り調べを受けた。その調べは、町奉行が、平八郎を捕えようとあせっているために、いっそう激しいものであった。…
 仲間に対する激しい拷問によるうめきや苦しみの叫びは、当然牢内の郡次まで聞こえてきた。捕らえられている者のなかには、頑強に最後まで抵抗した者もいたからである。…
 牢内の郡次は、拷問の痛みに耐えかねてわれを忘れた。激しい叫び声でわれに帰ると、このままでは明日の命もあぶないと観念した。
 

佐々木潤之介編『日本民族の歴史 5 世直し』(三省堂)より

 
 。。。。おぉぉ、、、ソックリですよ!!💡💡💡
 
 徳川300年の鎖国と拷問の歴史。。。😱😱😱
 全体主義国家の国家警察による国民への拷問。日本伝統のお家芸の系譜は、多分ここが源流か。

 そうすると、これも⇩やはり、『日本の伝統芸』だった可能性が濃厚です。⇩

1946年1月2日
 私は(大槻警察)署長の隣に座り、煙草をやって風邪の具合をたずねた。彼は笑って酒で治ったと言った。いつから大槻の署長をしているのかときいたら、昨年の八月の末ーー降伏後二週間目の日ーーからで、それまでは隣の町の警察の特高係だったと言った。
 「私たちは全部八月から九月にかけて異動されました」
 特高警察が解体されて、「破壊的分子を監視する機関がなくなったのは、まことに困ったことではないか」と私が言ったら、彼は、それは大したことではない、なぜなら「特高関係の仕事は県庁の公安課の司法官の手に引き継がれたから」と説明した。
 「私もちょうど県庁所在地での会議に出席して帰ったばかりです。その会議は12月28日、29日の2日間開かれて、今公安課にいるもとの特高係長がわれわれの仕事についていろいろ新しい指示を与えました。とくに今後の選挙についての」

マーク・ゲイン著『ニッポン日記』

 無条件降伏を受け入れた後の、初の総選挙の準備の為に、1946年1月には既に特高関係の仕事を『県庁の公安課の司法官』に移行完了していたと。。。😂😂
 
 この素早さと決断の速さから考えて、多分、明治維新直後も同様の手口で、徳川幕府の生き残り官僚が、幕府政体維持のための拷問組織『明治新設県庁の公安課の司法官』へ、密かに隠してた証拠じゃないでしょうか。🤔

 特高警察の沿革、
 「1910年(明治43年)、明治天皇の暗殺を計画したとして、大逆罪の容疑で多くの共産主義者、社会主義者、無政府主義者が逮捕・処刑された(幸徳事件(大逆事件))。翌1911年(明治44年)に、社会運動対象の特別高等課が設置された。

 ⇧これは表向きであって、明治維新直後に地方県庁に眠らせておいた『お上(官製)拷問組織』が、政体ピンチで久々に眠りから起こされて壁の中から出て来ただけ。

 
いつも我々の生活の中に有り、、、
 いつも我々を守ってくれる、、
 頼りになる存在。
 でも、知らなかった、、
 そんな中に、実は、隠れていたなんて、、、 ⇩
     

アニメ 進撃の巨人

  
 ソックリだ、このアニメに。(笑)😂😂

 しかしこう考えると、案外スッキリします。

 『特別高等警察』は、1911年に設立。そんな新設組織が、3.15事件(1928)と4.16事件(1929)共産主義組織を潰滅まで追い込み徹底的に弾圧した。そんな抜群の目覚ましい成果を挙げられるって
 偶然?
 まぐれ?
 飛びぬけて優秀だった?

 いやいや、、実はそのカラクリが、『徳川300年の伝統と経験と格式の賜物』だったなら、至極当然の結果だったとか。😅😅

 次は、どんな新しい名前で出てくるのかワカリマセンけど、兎に角、国民運動が盛り上がれば、颯爽と表舞台に現れ、抜群の規律拷問スキルで運動組織を潰滅し、風の様に消え、ひっそりと壁(=県庁)の中に身を隠し、次の政体ピンチまで眠りこけるという奇妙な生態を持った日本の伝統と格式の拷問組織
 政体ピンチで壁(=各県庁)から呼び出された拷問組織の総元締めが、なんと内務省(=現総務省)
 だからなのか、、最近各地方県庁では、如何にも『神輿の飾り』のような人材ばかりへと身内(国政政党)同士自作自演の新旧交代劇。。

 さてさて、次の次?辺りの総務省大臣は、誰がサプライズ抜擢されるのか!? 😱😱😱 怖いよ。。

 
 続きます。(笑)

 

 

 


 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 
 

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