自由に生きる女性たちへの憧れ。結婚願望はわからなくて
「結婚願望というものがよくわからなかった」
村田沙耶香さんエッセイを読んでいたらそんな言葉が目に飛び込んできた。「私に結婚願望ある時期ってあった?というかどんな願望かいな?」
と自分に問いかけてみたが、私はこれまで結婚を本気で望んだ時期もないし、そんな願望自体ちんぷんかんぷんだ。
「29歳くらいで急に結婚したくなるから!」と職場の先輩に言われたこともあったけれど、30代に入ってもその瞬間はいまだに訪れない。
パートナーがいたら心の支えになるかもと思ったことはあるが、
今もなお“狂おしいほど結婚したい”という感覚とは無縁だ。
憧れたのは、自由に生きる女性たち
思い返せば、小さい頃から私が憧れたのは、家庭や結婚に縛られず、自由で個性的に生きる女性たちだった。
小学生の頃の英会話の先生。母と同世代なのに、彼女はおしゃれでエネルギッシュで、家事よりも趣味や仕事を大事にする姿が魅力的だった。彼女と話していると、自分が一人の人間として尊重されていると感じられて、初めての“自分が受け入れられる幸せ”を知った。彼女は一切自炊せずに自由奔放な生活を楽しんでおり、その生き方に憧れた。
もう一人は、親友の母。彼女はデザイナーとして仕事を持ち、子育てや恋愛にも前向きで、バツ3という経験さえも自身の一部として輝かせていた。
家に遊びに行くとMacのパソコンの前で真剣な顔で仕事をしていた。
いつもおしゃれで、家には大量の雑誌や漫画やCDがサブカルに詳しく、本当にかっこよかった。
一人で子供育てながら、深夜まで働いていたので、いろんな人を暮らしに巻き込み生活を成り立たせていた。彼女のどんどん人を巻き込み自分の人生をエネルギッシュに駆け抜ける彼女に、私は憧れずにはいられなかった。
そんな女性たちに囲まれて、私は自然と「妻」や「母」という役割に憧れを持たずに育ったのだと思う。
母の生き方が教えてくれたもの
対照的に、私は母の生き方には違和感を抱いていた。
母は昔、美大を目指していたが夢を諦めて働く道を選び、私が生まれた頃には家庭や仕事の不満を抱えていた。
祖父母の家でで大量の母のスケッチブックを見つけたとき、母が心の奥で抱いていた夢と、目の前にある現実とのギャップに胸が痛んだ。
そして、目の前のことに流され、自分の人生を放棄した母に幻滅した。
母はフリーターとして職を転々とした後、専門学校で教員のアシスタントに就いた。しかし、あと一歩で講師になれるときに結婚のために退職し、独立した父の仕事を手伝うことに。
母は掴みかけたキャリアを手放し、「子供がいないから」と自分の不満を理由づけて私を妊娠・出産した。子供が生まれた喜びもある一方で、自分の人生の満たされなさを家族にぶつけるようになり、私はその感情の揺れに巻き込まれて育ってきた。
そんな母を見てきた私は、自分の人生の満たされなさを結婚や出産で埋め合わせるような生き方はしたくないと強く思うようになった。
私が求める心の居場所
今もなお、結婚そのものに対しては憧れがない。
しかし、一緒に日常を共有し、安心できる存在とともに過ごす未来を思い描くことはある。
誰かと共に過ごすことで、人生がもっと楽しく、穏やかに感じられるのではないか――そんな思いは少なからず胸にある。
それは、かつて憧れた自由な生き方を保ちながらも、心地よい居場所を作りたいという願いに近いのかもしれない。
私にとって結婚とは「役割を担うこと」ではなく、心の安らぎを感じられる存在と共に歩むこと。結婚という形式にこだわらずとも、自分らしい幸福を追求しながらも、ふと振り返ればそばに誰かがいるような暮らしが理想なのかもしれない。
